籠の鳥



  天蓋付きの大きな寝台も、木目調の豪奢な家具も、高い位置の大きな窓も、全て男の趣味である。
  扉の木目が、目のように見えて怖いと少女が言うものだから、家具を全てその材木に統一した。赤い花が、血の色に見えると怯えるものだから、毎日紅い薔薇を活けかえさせている。高いところにいると死にたくなると言うものだから、屋敷の一番高い、屋根裏部屋をあてがって、大きな窓を取り付けた。独りで寝るのが寂しいように、寝台は必要以上に大きくした。
  男が一人。大きな部屋の中心に、椅子が一つ。椅子の上に、幼い少女。
  波打つ長い、まばゆい髪を身に纏い、金糸の間に白い肌が覗いている。肌と同色の白いドレスの幼い少女が、小さな椅子に座っていた。
「あたし、お父さんにもらわれたくなかった。独りで生きられたのに」
「うん、知ってる。だからマリーを連れてきた」
  少女の長い髪に、男は無造作に指を通す。少女は眉間に皺を寄せたが、特に抵抗はしなかった。
「孤児院には、お父さんを欲しがっていた子がたくさんいたわ」
「僕は子供なんて欲しくなかったんだ。ただ、妻がどうしても子供を欲しいと言って。僕は楽しくないから、来たくなさそうだったマリーを道連れにした」
  髪を持って、男が少女のもとからあとずさる。長い、金色の髪の房だけが、少女と男の掲げる指とを繋いでいた。
「お母さんは死んだんでしょ。いらないなら、あたしを捨てれば?」
「妻は死んだね。でも、マリーは捨てない。彼女が死んだ今、君の不幸だけが僕の楽しみだ」
  男が手を開くと、少女の髪は解放され、少女のもとへとはらはら落ちた。


  この部屋は、大きな鳥かごだ。少女は甘いものが嫌いだった。
「ほら、マリー。おみやげ、チョコレートだ」
  閉ざされた鳥かごの鍵を持つのは、男だけだ。男は高価な、チョコレートボンボンを持ってきた。深い朱のリボンは、特注の品だ。より血の色に見えるように、あつらえた。
「あたし、甘いの嫌いなの。知ってるでしょ」
  少女の無表情に整った、白皙の貌。彫像のような美しい顔が、やがて不快げに眉根を寄せる。
「だからだよ。そのしかめ面が、好き」
「そのにやけ顔が、嫌い」
  チョコレートを差し出す男の顔を、少女はあからさまに睨(ね)め上げる。憎悪に満ちた、碧の瞳。
「楽しい」
  男は満面の笑みを浮かべた。


  部屋に入ると、少女は開いた窓の側、今にも飛び降りようとしていた。少女の長い金糸の髪が、ほつれ、夜風にたなびく。
  少女を怯えさせるため、最後に窓を開けたのは男である。不注意にも、窓の鍵を掛け忘れていたらしい。
「死ぬの?」
「死ぬ」
  少女の透明な声が、今はわずかに震えていた。その小さな揺らぎが、耳に心地よい。
「なんで」
「お父さんといると、不快なの。死んだほうがまし」
  少女の言葉に、男は少し、昂揚する。
「迷うな」
「何をよ?」
「止めるか止めまいか」
  強い風が吹いた。金糸の束が舞いあがり、白いドレスが夜闇にはためく。
  少女は思わず、膝を折り、屈みこむ。
「止めても無駄よ」
  今度ははっきりそれとわかるほど、少女の声が震えていた。あまりの心地よい音色に、男は理性を失いかける。
  刹那の囀りを聴くためならば、今、小鳥を籠から放してしまっても構わないと思うほどに。
「もしもこのまま放したならば、マリーは死んでしまう。それはつまり、僕のこの先の人生、楽しみがなくなるということだ。だけどマリーは止めて欲しそう。マリーの喜ぶ顔は、見たくない」
  少女は俯き、何も言葉を発しなかった。窓の向こうには、奇麗な夜景が広がっているはずである。
  しばし、少女の反応を待ったのち。
「飛ばないの?」
  男が訊ねた。
「怖い」
「弱いね。そんなマリーが好き」
  ゆっくりと、窓の前にうずくまる少女に寄り、男は後ろから抱き寄せる。少し尖った少女の顎に、男は軽く指を掛けた。
「こっちを向いて。涙が見たい」

・・・

  少女は大きくなった。
  体はもはや大人であったが、その身に纏う儚さは、何も変わっていなかった。
  男は小さな糸切りバサミを持ってきた。
「やあ。最近の君はつまらない。僕は愛しい小鳥が籠の中で必死にもがく様を見たいのであって、動かぬ人形が欲しいわけじゃないんだよ」
  部屋の中央。小さな椅子に腰を据え。少女は男の声に反応しようとしなかった。
  女神の彫像。陶磁の人形。それは完成された美ではあったが、残念ながら、男の欲する物とは違っていた。
「怒ってみせて。泣いてみせて」
  男はハサミを振りかざし、おどけるように脅してみせる。
  だが何も聞こえないかのよう。少女は無表情を崩さない。
「不快だな」
  少女の綺麗な髪に刃をあてがい、男は無造作にハサミを入れた。淡い金糸の束が断ち切られ、少女の膝にはらりと落ちる。
「ほら、ここだけ髪がないと、すごく間抜けだ。嫌な顔の一つもしたら?」
  さらにハサミを入れてゆく。美しかった少女の髪は、まだらに、まるで襤褸を被っているかのようにみすぼらしくなってゆく。
「どうだい、まるで乞食の娘だ。鏡で自分の顔を見てみるかい?」
  男の言葉に、少女は壊れたような笑顔をくれた。華やかな笑顔は、男の最も嫌うものだった。
「なんて顔だ。マリーに笑顔は似合わない」
  艶やかな少女の顔に、男は唾を吐きかける。拭こうともせず、少女は笑みを湛えたまま、わずかに目を細めただけだった。
「許さないよ。囀ることを忘れた小鳥に、悪いが僕は用はない。しばらく遊んであげないよ。そしたらマリーも、寂しがってくれるかな」

  それから一年、男は少女のもとを訪れなかった。
  ただ赤い薔薇を、毎日、一輪ずつ、自分を忘れさせぬよう贈りつづけた。

・・・

「やあ、マリー。ひさしぶり。おみやげのホワイトチョコレートだ。普通のチョコより甘いらしい」
  挨拶もそこそこに。ひさかたぶりに会った少女の、思いがけない反応に目を瞠る。
  切り裂いた、ざんばらの髪は伸び、その艶やかさを取り戻していた。
  男を見据える、感情を映さぬ少女の目には、とどまりきらぬ大粒の涙が浮かんでいた。
「そう。うれしいよ。とても美しい。マリー、愛しているよ」
  男は少女のもとにより、白く滑らかな頬を伝う、涙にそっと口づけした。


読んだよ!(拍手)


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