諸君、メガネをかけなおせ
薄暗い場所だった。ひんやりとして、じめじめしている。
秋斗は後ろ手に縛られて、そのうえでさらに蓑虫状態に縄でぐるぐる巻きにされていた。
視界にはブルーのフィルターがかかっている。薄暗い青の世界に目が慣れてくると、どうやらそこはどこか倉庫の中らしいことに気がついた。
背の高い滑車付きのテナー籠の中に重ねられたダンボールには、『パリ・ミキ』と大きな紫のロゴがある。パリ。フランスだろうか。いや違うだろう。カタカナで書いてある。見渡すと青い視界の中、同じようなテナー籠が並んでいる。中には水中ゴーグルのいっぱいに詰められた透明なプラスチックボックスが入っていたり、色とりどりのおしゃれメガネの入ったボックスが重ねられていたりする。紫、緑、どどめ色。どどめ色がどんな色かは知らなかったが、黒ずんだ色はなんとなくそんな呼び名が似合う気がした。青いフィルタがかかっていることを思うと、実際はもっと鮮やかな色のメガネたちが、秋斗と目を合わせているのだろう。
「あ、ブルー、気がつきました?」
不意に女の子の声が背後から聞こえた。縛り上げられた身をよじって、秋斗は声の主を探してみる。
秋斗の背後には、『クリーナふきふき』とシールの貼られたダンボールが、どどめ色のパレットに山積みにされていた。高さにして人一人分もあろうかというダンボールの山の上から、女の子がしゃがみこんで秋斗のことを見下ろしている。暗がりにはっきりと確認できないが、毛先の少し跳ねたおかっぱに、紺色のブレザーの制服――青のフィルターを修正すると、本来は黒の制服なのかもしれない――の、高校生と思しきメガネの女の子がそこにいた。丸っこい鼻の方に少しずり落ちたメガネのフレームは、冷たい色のシルバーパープル。
「あたしはピンク。はじめまして」
少し調子の外れた女の子の声が、のんびりとダンボールの山から降ってくる。
「メガネんジャーの仲間を紹介するね。赤いスクエアフレームのメガネがリーダーのレッド。黄色のゴーグルがムードメーカーのイエロー。まだ来てないけど、もう一人ブレーンのブラックがいるわ。あたしとブルーを入れた五人の仲間で、世界を悪の手から救うのよ」
ああ、パープルではなく、ピンクなのか。ピンクと青と混ぜると、秋斗の見ている色になるのだろう。そんなことがくだらない思考が、秋斗の脳味噌を占領していた。
水銀灯がぼんやりついた。億劫げにちかちかと何度か渋ってから、少し時間を置いて本照明の蛍光灯も、フロアに冷たい光を撒き始める。
『メガネんジャー』の面々の姿が、光の元にさらされる。考えるべきことは色々あるような気がしたが、彼らの姿に、秋斗はとりあえずげっそりしてしまった。
「イエロー。電気つけると、またリーダーに怒られるよ」
見かけによらず軽やかに、ダンボールの山からひらりと飛び降りた女子高生は、電気をつけてくれた男を緊張感のない声で注意した。
「ノンノン、ベイベー。ダークネスはノーセンキューだぜ。ミーはマイケルイエロー。ウェルカムだぜ、ブルー」
アロハシャツにゴーグルの、季節と場所を間違えた不審な大男が、空回りする陽気な声で洪水のように何かを言った。マイケルと名乗られた気がしないでもなかったが、英語の発音と顔つきは、東南アジアから中東系の香りがする。
「イエロー君、ここは秘密基地だ。ピンク君の言うとおり、我々は隠密に行動をしなければならない。だがせっかくブルー君の加わった今日は無礼講にしてもいいだろう。ブルー君、ようこそ。私が委員長のレッドだ。イエロー君はなんとかスタンの人を母に持つ君と同じ埼玉っ子だ。ルーツも育ちも内陸なのに、馬鹿げた格好をしている。気に障ることも多々あろうが、同郷の誼で仲良くしてくれたまえ」
ノーウ、浦和にオーシャンはあるはずだ。浦はオーシャンのミーニングだろうっ!
マイケルの悲痛な叫びを、レッドは氷のように冷酷な無表情で聞き流す。
「ブルー君。なんて顔をしているのかね、見苦しい。メガネが泣いているぞ。質問があるのなら答えよう、言ってみたまえ」
呆気に取られて二人の会話を眺めていた秋斗に、レッドは眉をひそめて苛立たしげな顔を造った。
ああ、自分はこの変人たちと同じように、青い色メガネを掛けさせられているのだ。だから世界が青く見える。秋斗はそこで初めて気付いた。だが今この状況、秋斗にはそれよりも大切なことがあるはずだった。例え危険な変人たちと同じようにメガネを掛けさせられているとしても、せめて精神の常識は保っていたい。
「レッド……さん。あなたはなんの委員長なのですか?」
委員長はさらに不機嫌にグランドキャニオン並みの深い皺を眉間に刻み込み、スクエアフレームのメガネのブリッジに、気難しげに手を添える。
ふっ、と気を落ち着けるように小さく冷笑すると、一転して、転がる秋斗を蔑むように微笑みかけた。
「我々の活動理念を教わりたいと、そう言うのだね。いいだろう。我々は全人類のメガネっ子化というユートピアの創造のため、日々悪と戦い、メガネを掛けない愚かな人間たちを教化している。光栄に思いたまえ、その『青の色メガネ』を千円で購った君は、崇高なる理想のために戦う我々メガネんジャーの一員に選ばれたのだ」
訊いてもいないのに語り出した、いかにも危険な委員長の言葉に、秋斗は目を瞑る。意識から青い世界を締め出すと、忘却の淵から泡のように苦い記憶が浮かび上がってきた。
秋斗は今日、埼玉県北部からはるばる二時間電車に揺られ、渋谷に出てきたのだった。デートの待ち合わせがあったのだが、待ち合わせ場所の喫茶店の前に、彼女は現れなかった。メールを送り、さらに三十分待って携帯を掛けると、電源が切れているかもしくは電波の届かない場所におります、と案内が流れた。
強引に誘ったときからそんな空気は感じていたため、落胆はさほどでもない。しかしここまで出向いて何もしないというのは、あまりに空しい。秋斗は買い物をしようと服屋に入り、目に付いた薄手の青いジャケットを買うことにした。手にとってみると、なんだか街の空気に合わせてみたくなり、秋斗は店先の小物ゾーンをチェックした。比較的大人しめの、青い色メガネを秋斗は選んだ。視力は良いし、伊達メガネという柄でもない。だがそのときはたまたま憂さ晴らしに冒険をしたくって、まさかその選択がこんな結果につながるなどと思うはずもなかったわけで。
メガネを掛けて、世界を青く染めたまま、本屋に行こうと路地に反れたところで、女子高生に声を掛けられたのだ。
「メガネ、好きですか?」
キャッチセールスはやりすごさなければならない。そのくらいは身についていたが、メガネの女の子があまりに野暮ったい雰囲気で警戒心がいまいち働かず、すっぽかしを食らってちょうど人恋しかったこともあいまって、秋斗は思わず足を止めてしまったのだ。
「ウェルカム、ミーとユーはフレンズだぜ!」
突然何者かに後ろから口を塞がれ、腕を締め上げられた。
「ごめんね。世界平和のためなの」
女子高生は声を出せない秋斗の眼前で、ふー、と握り拳に息を吐きかけていた。パワー、一千分の一。小さな拳に、高校生は意味不明の呟きを込める。
逃げられないまま、もがくことも忘れたまま、女の子の強烈な右ストレートをレバーに受けて、秋斗は悶絶したのである。
「委員長、少し思い出してきました。俺は経済学部なので法律は素人ですけど、無知を承知で言わせてもらえば、暴行罪と傷害罪と、拉致監禁罪とかの被害者になっているんですね、俺。ここの倉庫も、不法侵入でしょう。全て忘れますから、俺を解放して、なかったことにしませんか?」
秋斗は生ぬるい目でレッドを見上げた。そこにいるのは、かっちりと黒髪を七三に分け、メガネも顎も四角い男である。もう学生という年でもないだろうに、ぴっちりとした黒のガクランを着込んでいる。顔つきだけで、融通の利かないいかにも偏った思想の人間に見えた。ピンクが紹介したとおり、彼がこの危険な集団の首領なのだろう。
ピンクは思考を放棄してそうだったし、イエローには言葉が通じそうにない。レッドとて、思想は狂っているし理性もなさそうだが、頭が動いているなら利害の計算くらいはしてくれたら良いと思う。秋斗はメガネんジャーの理念には共感できないから、彼らの誘いに乗って共に世界を護ることは出来ないのだ。
もし言っても通じないのなら、結局何をしてもムダだろう。殺されなければいいな、と思う。
「ブルー君、何を言っているんだ。我々は革命者だよ。メガネを掛けない人間が元首の国家の法などに、従う謂れはないのだよ。だが同志をいつまでもそんな姿にしておくのは、我々としても確かに本意ではない。もう少し待ちたまえ、ブラック君がくれば、すぐにぬるま湯のごとき腐敗した日本社会の因習に囚われた君の正しきエスを解放し、君はメガネを愛し、メガネに身を捧げる決意を固めることになるだろう」
「イェスサー、メガネズ、イコール、オーマイガッ!」
「いいんちょ、かっこいい」
イエローは米兵式の敬礼姿勢をとり、ピンクは胸元でぱちぱち手を叩く。レッドはどこぞの独裁者のように、鷹揚に手を振って二人の合いの手に応えていた。
涙が滲む思いである。イエローだけどころか結局誰にも、言葉はまるで通じないようだった。
突然、電気が落ちた。
「エレクトリックストップか!」
マイケルイエローの声である。それが停電という意味であることを解するのに、秋斗は三十秒を要した。
「敵襲だ。総員メガネを守れ!」
委員長レッドである。自分のメガネをぶち壊してやりたくなったが、暗闇の中で掛けたままに破片が飛び散ると危ないと思い直し、秋斗は顔を地面に打ち付けるのをやめた。
「きゃー」
ピンクの悲鳴が聞こえた。特に突っ込みどころもないまっとうな女子高生の悲鳴に、秋斗は不覚にも心洗われる思いになる。
「騒ぐな、単細胞ども」
知らない四つめの声が聞こえた。ひどく醒めた感じはあるが、子供の声だ。
声のほうに目をやると、突然逆光に襲われ目がくらんだ。懐中電灯を当てられたようだった。
「自分たちが迷惑行為をやっていることを自覚して行動しろよ。バカみたいにどんちゃん騒ぎしやがって」
舌の回りきらないあどけない声が、手厳しい言葉を連発する。懐中電灯の光線がぐるりと変人たちを照らすと、蛇にでも睨み据えられたように傷害拉致監禁犯たちは押し黙った。あと共謀罪とか危険思想罪とか、色々重ねて重い刑になったらいいな、と思う。
秋斗を一度光が捉え、やがて四人目の人物は、懐中電灯を引いて自分の顔に光をあてた。小さな頭の半分くらいを隠している、巨大な黒グラサンが現れた。
「災難だな一般人。黒野ユキだ。どうも」
目が慣れてくると、そこにいるのは声の通りに小学生くらいの子供であった。小さな体に、科学者のような白衣を地面まで引きずっている。
ユキはグラサンを少し下にずらして、大きな目を見せてくれた。
いたずらっぽい笑みを造る顔はテレビの子供アイドルみたいに綺麗にできていて、男の子か女の子かわからなかった。
「ち、遅刻だぞ、ブラック君。なにをしていた。新入隊員の歓迎式はメガネんジャーの最重要行事だぞ」
「ごめんね、リーダー。任務中だったんだ。テレビ埼玉の電波に細工をしてた。これで零時から二時のテレビショッピングを見た人間は、全員メガネに降ることになると思うよ。視力を劇的に悪化させる特殊な光線が混ざるようにしたんだ」
委員長の言葉に、ユキは真っ黒なグラサンを掛け直し、表情の読めなくなった顔で不思議な言葉を口にした。
「うむ、ならば仕方がないな。ご苦労だったぞ、ブラック君」
「あー、録画予約忘れたぁ。テレ玉のテレビショッピングって、おもしろいよね。あたしギリギリ都民なんだけど、画像悪くてもいつも見てるもん」
「イェス、このイエローゴーグルも、ミーはティーヴィー埼玉のティーヴィーショッピングでゲットしたのさ!」
イエローは無論であるが、ピンクとレッドの発言も精神衛生上聞き流す。実のある内容は皆無に等しい。
今のレッドへの返事を聞く限り、やはりブラックも期待はできそうにない。だが登場時は常識的なことを言っていたし、せめて正常な小学生くらいに話が通じたら、と。秋斗は一瞬淡い期待を抱いてみて、諦めた。こんなところにいて、溶け込んでいる子供が、まともなことなどあるだろうか。いや、ない。反語である。
「リーダー、早速だけど、新入り借りるよ」
「おお、そうだ。ブラック君に任せようと思っていたんだ。しっかりブルー君を教化してやってくれたまえ」
先に諦めておいて、本当に良かったと思う。
「まかせてよ」
あどけないソプラノで、ユキは涼やかに賢そうな返事をした。
秋斗はぐるぐる巻きのまま立ち上がらされ、ユキに縄の端っこを引っ張られ、どこか倉庫の隅っこに連れてこられた。懐中電灯の心細い光だけが頼りだ。青い闇は進むに連れて、さらに深くなっていく気がした。貨物が袋小路の壁のように聳えていて、行き止まりになっている。
「フォーク乗れる?」
貨物の壁の袋小路まで連れてこられ、不意に訊ねられた。
「フォーク?」
「フォークリフトだよ、その様子じゃ無理だよね。待ってて、逃げないでね」
懐中電灯の光があさっての方を向くと、闇に完全に周囲が見えなくなる。逃げるどころではない。小さなユキの気配が離れると、取り残された気分になった。
ガチャン、と重い金属の擦れる音がした。ぱっと光がついた。フロントライトの双眸を点した、立ち乗りのフォークリフトの姿が浮かび上がる。モーター音を唸らせながら、ゆっくり鉄の爪を持ち上げている。背の低いユキが乗ると、運転席の窓からはグラサンがぎりぎりやっとのぞくだけだった。一見すると、無人で動いているように見えてしまう。
幽霊フォークはムダの一つなく正確に動き、迷いなくパレットの穴に爪を差込み、パレットの上に貨物を積み重ねてできた柱を一本持ち上げ、人一人分だけずらしてみせた。
秘密の扉の内側には、小さな空間が作ってあった。
「僕の秘密の研究室だ。リーダーやマイケルやハルナにも教えていない」
デスクトップのパソコンの、起動したままの青黒い画面がちかちかしている。ユキの帰りを待っているようだった。
「早く入って。閉めるから」
幽霊フォークが子供の声で、呆けた秋斗を急かしてきた。
「ブルーは落ち着いてるねえ。僕らが怖くないの?」
超高速でキーボードを叩きながら、ユキは春の風景でも眺めるように、とろんとした様子で洪水のように宇宙語が流れていくディスプレイを見つめている。ユキのグラサンはクリップオンになっているらしく、今はレンズがあがってフレームだけになっている。
きらきらと表情を映す大きな瞳が見えていれば、ユキは少し綺麗過ぎるただの可愛い子供に過ぎず、怖いことなど何もない。
「いくらなんでも子供相手に、怖がったりしないよ」
「リーダーたち前にしても、落ち着いてたじゃん。普通じゃないよ、あの人たち。僕だって時々怖くなるのに」
「頭がおかしいだけだろう。本当に怖いのは、あんな種類の人間じゃないよ」
ユキは手を止め、椅子を回して秋斗のほうへ振り向いた。楽しそうにけらけらと笑うユキの様子は、子供っぽい。
「僕たちはこの倉庫から、メガネで世界を征服しようとしてるんだ。狂ってるわけでも、子供の戯言でもないよ。例えばこのパソコン、もともとこれは倉庫の在庫管理のために置いてあったパソコンだけど、僕が改造したから今ならペンタゴンにだって侵入できる。その気になれば、ここから核スイッチを押すことだってできるんだ」
無邪気な子供の声は、嘘をついてるようには聞こえなかった。かといって、秋斗が信じたわけでもない。
UFOを見た、とでも言われてるような、疑うわけでもないが信じるわけでもない、そんな感じで秋斗はユキの話に聞き入っていた。
「リーダーだってただの狂人じゃないよ。メガネ仲間のつてで某テロ支援国家の指導者と関係持ってて、時々工作活動やってるからね。ブルーを連れてくるのだって、手際良かったろ。ピンクことハルナだって、ああ見えて格闘家なんだ。世界無差別級メガネ天下一武道会で、女なのに優勝しちゃったんだから。イエローことマイケルだって、日本語以外なら三十ヶ国語以上を自在に操り、動植物とだって会話が出来る、コミュニケーションのエキスパートだ」
秋斗は、とりあえず現実逃避に、空を飛んでみたいと思った。
「もちろんブルーだって、僕たちの仲間に選ばれるんだから、ただ者じゃあない。ブルーは十億人に一人の、メガネ遺伝子の持ち主なんだ」
気付くと秋斗はふわふわと、宙に浮かんでいた。メガネから、不思議な力が溢れ出すのを感じる。
少し集中をすれば、念力の刃で簡単に縄を切断できた。
「……覚醒おめでとう。そして改めてようこそ。僕らと一緒に、世界をメガネでいっぱいにしよう」
ユキはふわふわ浮かぶ秋斗のもとに近づいて、背伸びしながら小さな手を伸ばし、少しずれた秋斗の青メガネを直してくれた。
瞬く間、わずか三年の間に、世界のほとんどはメガネんジャーたちに征服されようとしていた。
メガネレッドの世界同時多発メガネテロによって緒を切られたメガネの侵略は、それぞれのメガネんジャーたちの力によって加速度的に進行した。メガネピンクの怪力は、素手で戦車をひっくり返し、衝撃波で飛行機を打ち落とし、海へ出れば力づくで津波を起こし戦艦空母を沈めてしまった。メガネブラックはあらゆる情報を掌握し、テレビ新聞インターネットのあらゆるメディアから、人々をメガネ信仰に洗脳していった。メガネイエローは火星人とのコンタクトに成功し、近眼に悩んでいた火星人にメガネを贈り、火星の教化にも着手していた。返礼に贈られた宇宙戦艦は、宇宙空間から地表にブラズマ砲を発射でき、世界最強の兵器であった。
そんな強力無比な侵略者たちと、たった一人戦い続ける者がいた。
メガネブルー、それは捨てた名である。今はただ一人の、青き色メガネの戦士でしかない。
メガネパワーで強化した肉体は、メガネピンクの怪力すらも凌駕した。メガネが発する青い光は、人々をメガネブラックの洗脳から解放した。時空を超えるメガネパワーは、宇宙にすら力を及ぼし、メガネイエローの宇宙戦艦やイエロー率いる火星人の侵略からも、地球を守った。
今、秋斗は、全ての始まりだったメガネ倉庫の中にいる。
倉庫は、現在はメガネんジャーに接収されていた。三年前は休日や夜中にこっそり忍び込むだけだった秘密基地は、いまや公然のメガネんジャーの本部だった。
だが、中の様子は何も変わらなかった。出荷先を失った在庫は、ほとんど当時そのままに残っていた。
今では秋斗にもわかる。倉庫はメガネやメガネの関連物であふれている。ダンボールのロゴになっている『パリ・ミキ』はメガネの店であるし、『クリーナふきふき』はメガネを拭くためのウェットティッシュだった。
「なるほど。メガネ好きにはたまらない場所だな。決戦の場にはそぐわないくらい、穏やかで温かい場所だ」
「ブルー君。君は一体どの口で、メガネへの愛を語るのかね。裏切り者に、メガネの癒しを受ける資格はない」
マイケルのイエローゴーグルは、宇宙の藻屑と消えた。
ハルナのピンクフレーム鼻メガネは、秋斗の衝撃波で木っ端微塵に吹き飛んだ。
ユキのクリップオンブラックグラサンは、今さっき、秘密の研究室で、秋斗が真っ二つに叩き割ってきた。
「委員長、君の愛は、間違っている。メガネは誰かに押し付けて、無理やり掛けさせるものじゃない。人は強制されるのではなく、自らの意思でメガネを手に取らねばならないんだ」
メガネレッドは、メガネのブリッジに手を添えた。戦闘開始の合図である。
メガネへの愛は食い違うものではないはずなのに、レッドとは戦わなければわかりあえない。胸が痛み、メガネが軋んだ。
一瞬だった。交差した瞬間に、秋斗は委員長のスクエアフレームのメガネを掴み、握りつぶした。レッドが袖から抜き出した仕込み銃が、虚しく砲声を上げる。銃弾は外れた。秋斗の手の中のレンズは砕け、どこまでも四角かった赤いフレームは、ぐにゃりと歪んだ。
「うぎゃー」
かつてメガネレッドであった、委員長の断末魔の絶叫が、倉庫中に響き渡った。
戦いは終わった。
秋斗は青い色メガネを外し、床に落とす。素顔をさらすのは、三年ぶりのことだった。
共に戦った戦友を、秋斗はゆっくり踏み割った。レンズの砕ける感触が、身を裂くように秋斗の全身にじわりと走った。
二年ぶりの日本に、李仁朝(イ・インチョ)は不思議な心地を感じていた。夜の街といえば、ソウル、香港、上海、新宿……、だが渋谷も夜の街だ。それもひどく、洗練されていない夜のわだかまる街である。これが同じ夜であろうか。出歩く人間たちの活力も、瞬くネオンの電力も、無駄なものとしか思えない。祖国は世界に言われもない非難を受けるが、この日本という先進国のほうが、よほど間違っているようにさえ思われる。
だが今はそんなことを考えている場合ではない。国家間の対立など吹き飛ぶほどの、未曾有の危機が世界を襲っているのである。
故郷ではわずか三十にして、秘密工作庁の長官に上り詰めた仁朝が、自ら密入国のリスクを犯すのは異例のことであった。この街で、今日は二年前の同志たちとの再会が待っている。駅前やセンター街には人通りが溢れている。だが営業時間が終わった大型店舗の一角は、不思議なほどに人が絶えていた。それでもいつまでも電飾は瞬き続け、静けさと眩さを放つ大型店舗の玄関広場で、仁朝は人を待っていた。
不意にタクシーのフロントライトの双眸に睨まれ、仁朝は反射的に柱の裏に身を隠した。
神経質すぎるのは逆に目立つように思われ自分を戒めていたところ、
「リーダー」
不意に後ろから肩を掴まれた。
咄嗟に日本の学生服の上着の中で背後の人物に銃口を突きつけ、振り返る。仁朝は留学生として密入国していた。偽造の学生証も持っている。
そこにいたのは、ビジネスバッグを手に提げた、ビジネスマン風の男だった。
「お久しぶりです」
流暢過ぎる日本語を話す南アジア風に彫りの深い目鼻立ちの人物は、キャバクラの客引きにしてはきっちりとしすぎるほどにライトグレーのスーツを着こなし、ビジネスライクな上品な笑顔を浮かべている。誰だろう。こういう階層の人間に、仁朝は心当たりがない。
「……もしかして私がわからない? マイケルです、イエローこと。今はIT企業の社長をしております。仕事中ですもので、といってもビジネスとプライベートの境なんてあってないような身分なのですが。六本木の私のオフィスに、春菜も由紀も待ってますから、話はそこで」
人目を忍ぶように告げると、マイケルは慇懃に、しかし有無も言わせず、仁朝をタクシーに導いた。老練な青年実業家、これが本当にあのマイケルイエローであろうか。メガネを外すだけで、人は変わるものである。
高いビルディングの、ここは何階であろうか。エレベーターはわずかな時間で、ほとんど振動もなく穏やかに目的の階に到着し、仁朝は容易く位置感覚を見失った。
「いらっしゃいませ」
深いお辞儀で迎えてくれた女性秘書に、つられて仁朝も中途半端に頭を下げる。
顔を上げた彼女は、怜悧な眼差しに少し驚いたような色を見せた。鋭い印象の彼女に、制服の胸元、ピンクのリボンが際立つほどの柔らかなアクセントになっている。
「……あら、社長。一緒にいらっしゃるのは、もしかして委員長ですか!?」
「春菜君、由紀は? 来てくれたかな」
「大丈夫、引きずってきました。委員長に会うのが恥ずかしいみたいで」
……ハルナ、本当だろうか。隙のない、大人びた笑みを備えた女性がいる。メガネんジャーを結成してからもう五年が経っており、あの時まだ高校生であったハルナが大人になっているのは当然であるが、やはり信じられない思いだった。メガネを外すだけで、人はこうも変わるのだろうか。襟足の髪がほんの少し跳ねていて、それだけがわずかに当時のメガネピンクの面影を残している。
壁紙からフローリングからインテリアまで、真っ白なオフィスに踏み入ると、奥のパソコンに見入って超高速でキーボードを叩くセーラー服の少女がいた。ユキ、良かった、大きくなっても変わっていない。不覚にもほっとすると同時に、仁朝はそこはかとない違和感を覚えた。
椅子を回して、ユキが仁朝に振り向いた。まっすぐな黒髪を、細い肩に零している。大人びてどこか人を見下す冷淡な目つきで、形容に困るほどの美少女が、仁朝の目を見据えていた。
「おい、ハルナ、ユキが女子になっているが……?」
「なに言ってるの委員長、由紀は女の子に決まってるじゃない」
あのピンクが、冷ややかな反応を返してくれる。
「その気持ちわかるよ、リーダー。私も最初は驚いた。でもとにかく、由紀がこの会社のブレーンであり、心臓だ。校則違反らしいがね」
イエローが、会話に合った正しい日本語を話している。
「だからこんな格好で会いたくなかったんだ、馬鹿にしやがって」
拗ねた表情で目を逸らす、ユキは昔のままだった。ただそれが、こまっしゃくれた白衣の子供ではなく、ルノワールの絵画からでも抜き出たような美しい少女の姿をとっている。
「リーダー、なにしてんの。始めてよ」
ユキの鋭い視線に射抜かれて、仁朝は一つ大げさに咳払いをしてみせた。
穏やかに笑うイエロー、怜悧な微笑を浮かべるピンク、美貌に不機嫌な無表情を貼り付けたブラック。それぞれの顔は、メガネを失っても力を失ってはいなかった。
「諸君、メガネをもっているだろうか」
IT社長は黄色い水中ゴーグルを着用した。社長秘書はポップなピンクのフレームメガネを鼻に掛ける。アイドル高校生は、黒い大きなグラサンをつけた。
一度は壊された彼らのメガネ。仁朝は思わず涙ぐむ。
「ブルーが、メガネ遺伝子の暴走によって正気を失い、今世界は破滅の危機に瀕している。彼を止められるのは、同じメガネの力を持つ我々だけだ。ブルーのメガネ遺伝子は強力だ。無傷では済むまい。死ぬことだって考えられる。だがかつての同士、我々をメガネの狂気から救ってくれた仲間を、今救うことができるのは我々しかいない。私は行こうと思う。間違ってほしくないのだが、これは強制ではない。君たちには、よく考えてほしい。今一度メガネんジャーとして、私とともに戦ってくれる者はいるだろうか」
もちろんですとも! イエローは頼もしい言葉で応えてくれた。ピンクは力強く、イエローの言葉に頷いた。ブラックはくすりと、視線を逸らして楽しそうに苦笑を浮かべた。
世界を破滅から救うため、そしてメガネで繋がった仲間を救うために。
メガネんジャーは、終わらない。
小説TOP | HOME