ポドールイの人形師

0-1、序

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 尖塔の牢獄には一人の男が囚われていた。その暗い牢に、仮面の道化が足を踏み入る。饐えた血のにおいが充満していた。
「ラウラン侯爵様、まだ生きておられるんですね……」
 男の名前を、ジネディ・ド・ラウラン。新帝への不服従の罪で、すでに侯爵の位は失っていた。囚われの身になり、食を断たれるという拷問を受けながら、ジネディは自らの足を食らって生き延びていた。
「私は死なぬよ。皇帝にはアンドレ、君がならなければならない。君を皇帝に据えること。それが私の、最後の仕事だ」
「どうかミカエルを認めてあげてください。それだけで、あなたはここから出られます。私が侯爵の身の上は保証します。ミカエルはいい子ですよ、ただ少し、不器用なだけなのです」
 道化に、ジネディは乾いた笑いを漏らす。
「わかっているさ。私を誰だと思っている。君たち兄弟を育て上げたのはこの私だよ。自分の娘のことすらも満足に知らない私だが、君たちのことは誰よりもよくわかっているよ。あらゆる才で、ミカエルは君に及ばないが、それを打ち消しはるかに上回るだけの素直な、美しい性質を彼は持っている。ミカエルの不器用さも、君が必死に道化を装っているのも、同様にいとしいのだよ」
「なら、なぜ……」
「君が皇帝になる方が、おもしろい。自分の顔を、鏡で見たことがあるだろう?」
 自らの足を食らった高貴なる囚人は、含みを込めて笑みを造る。蒼い眼差が不思議と優しかった。
「侯爵、あなたを殺していいですか。あなたのそのような姿を、シシルに見せるのは忍びない」
 道化の言葉に、ジネディはうれしそうに笑う。
「アンドレ、君は道化にもなりきれないね。ミカエルは私をどんなに憎んでも、最後まで私を殺すことはできなかった。だが、君は言葉静かに、しかし冷徹に私を殺すという。先代の陛下の慈悲深さ、優柔不断さを、まるで受け継いでいない。皇帝の座に座るのは、やはりアンドレ、君でなくてはならないよ」
 仮面の道化はゆっくりと剣を抜いた。囚人に、命乞いの機会を与える。ただ一言、弟が皇帝になることを認めてくれれば、それでよい。しかしそれでもジネディは、楽しげな笑みを浮かべながら、誇り高く、恐れの片鱗すらも見せなかった。
 苦しみを長引かせないよう、鞘から剣を抜いた時とは打って変わった迅速さで、アンドレはジネディの首を刎ねた。
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