ポドールイの人形師

1-6、小さな好敵手

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「私はどうも誤解されている気がします。ドロティアさんもモルロさんも、私を人形を使って独り言を言う、おかしな人間だと思っている節がある」
 ロバのくつわをひきながら、とぼとぼ歩く仮面の道化がふと零した。たとえば異邦の人が訪ねてきて、この光景を見たとする。この道化をこの地の領主だと得心することは、まず絶対に無理だろうと思うのだ。
「ジューヌさまの場合は真実そのとおりだからいいんです。誤解されているのはあたしのほうです。ジューヌさまの普段の素行のせいで、誰もあたしを人間だとも認めてくれない」
 ロバのディアンヌの背に揺られ、両の裸足を横に垂らして、小人の人形を抱えた少女は憤懣やるかたなくそう口にする。着慣れない、人形服のような機能性のない服を着せられていることもあいまって、ふらふら歩くディアンヌの背中は、少し安定が悪かった。
「傷付きますね、まるで私だけが悪いみたいな……。シシルが人形に間違われるのは、シシルにも責任があるでしょうに」
「ジューヌさままであたしのことを自分ではなにもできない、人形みたいな娘だっておっしゃるんですね。ええ、どうせあたしは女中さんとしてお料理もお掃除もできない役立たずですし、自分のお風呂までナシャさんに手伝ってもらう始末ですもの。ジューヌさまにとっては、むしろ人形以下ですよね」
 そして家を滅ぼされてなお、その名を捨ててまでのうのうと生きている。自分で言っているうちに、本当に惨めになってきた。
「いえ、私はね、シシルの容姿が人形にまちがえられるほど美しいと……」
 完全にそっぽを向いてしまったシシルに、ジューヌの呟くような小さな主張は届かなかった。
 シシルの機嫌を窺い、従僕さながらに雪の村道を歩く道化の後ろ姿が、ことさらシシルの苛立ちを募らせた。
「あ、ピエロ!」
 やんちゃな子供の声が聞こえて、シシルが振り向いた先には、男の子が立っていた。くせっ毛の十歳くらいの男の子は、息を切らせながらジューヌ伯爵の前に立ちふさがり、生意気そうに仮面を見上げる。
「おい、ピエロ。俺の妹が生まれたってのになにやってんだ、おせぇじゃねえか。しかたねぇから今呼びに行ってやろうと思ってたんだぜ。村のやつらはもうみんな集まってんだからな」
 小さな子供にピエロ呼ばわり……。あまりの主のふがいなさに、後ろから見下ろすシシルは、言葉も出ない。
「遅れてしまってすみません。そうですか、女の子ですか。クリスチャンもいよいよ、お兄ちゃんですね」
 嬉しげに答える仮面の道化。へへっ、とか言いながら、得意げに鼻をこするくせっ毛の少年。名前はどうやらクリスチャン。
 その平和な光景が、シシルには我慢ならなかった。
「ジューヌさま……!」
「な、なんでしょう」
 ロバの上から発せられた、シシルの怒りのこもった声に、ジューヌ伯爵はやや身構えて、頼りない返事を返した。完全に主従逆転の状態も、怒り心頭のシシルは気付かない。
 領民にピエロ呼ばわりされて平気でいることとか。道をよけるどころか、堂々と領主の進行の邪魔をする子供を咎めないことや。あまつさえ遅れたことを謝ったり、へらへら笑っていたり。言いたいことがありすぎて、シシルは逆に言葉に詰まってしまった。
「おい、おまえ」
 シシルの声に反応して、クリスチャンが寄ってきた。あっちこっちに乱れる亜麻色のくせっ毛は、人懐っこそうな大きな目ともあいまって、幼い少年をなお、やんちゃっぽく見せている。
「なによ」
「おまえ、ナシャの妹だろ」
「な、なんでよっ」
 シシルの不機嫌な応対にもまったくめげることなく、クリスチャンは無造作にシシルの纏う金の髪を、一房つかんだ。
「だってそっくりだもん。すぐわかるよ」
 シシルを人形のナシャと比べる真意がわからない。美しいナシャと似ていると言われるのは悪い気はしない。しかしこの少年まで、シシルを人形扱いするつもりなのだろうか。
「クリスチャンは、ナシャを人間だと思ってるんですよ」
 困惑したシシルに、ジューヌ伯爵がこっそり耳打ちする。
「俺の妹も、目なんか、俺に似てんだぜ!」
「あ、そうなの」
 乱暴な言葉遣いの少年に、悪気のないことがわかったシシルは、髪の毛をつかまれたまま気のない返事を返しておく。
「俺に妹ができて、おまえもナシャの妹で、一緒だな!」
「なにがよ」
 まずシシルはナシャの妹ではない。そのうえ、この少年の言っていることは支離滅裂だ。自分でも混乱してきた様子のクリスチャンは、しばし頭を抱えて黙考していた。
「んーと、つまりだ。俺はおまえの兄ちゃん、なのか?」
「違うと思うわよ」
 少年の必死の思考の末の疑問形の結論を、シシルは冷たく否定する。
「ん? まあ、いいか」
 気にした様子もなくそう言うと、クリスチャンは幼い顔に意味ありげな笑みを浮かべて、まっすぐシシルの瞳を見据えてきた。
 クリスチャンは爪先立ちになると、シシルの髪に、不意に軽く口づけをする。十やそこらのやんちゃ坊主のませた仕草に、思わずシシルは笑みをこぼした。
「んじゃ、先戻って待ってっかんなー。早く来いよー!」
 そう言うと、クリスチャンは逃げるように走り去った。

「ジューヌさま、あの子、言葉遣いほど悪い子じゃないみたいですね」
 ディアンヌの背に揺られ、シシルはそう口にする。なにせ別れ際のクリスチャンの仕草は、全てを帳消しにするほど愛らしかった。
 キスをされた長い髪にシシルが手櫛をかけていると、突然伯爵が立ち止まる。シシルの傍らに、先ほどのクリスチャンと同じ立ち位置に歩み寄ると、やはり同じようにシシルの髪を一房持ち上げた。
「シシル、私も……」
 遠慮がちにシシルの髪をなぜる、男の人の、やさしい大きな手のひらは、なぜだか妙になつかしい。
「なんです?」
「……いや、なんでもない」
 そのままシシルの髪を一梳きすると、伯爵は何事もなかったようにディアンヌの先導に戻っていった。ロバをひく仮面の道化は、その後むっつり押し黙り、なぜだかどこか不機嫌に見えた。
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