ポドールイの人形師

3−1、訪問者

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 戦いから、いくつかの季節が過ぎていた。牢獄のような尖塔の先に隠れていたシシルは、足元の戦いの顛末を見ていない。シシルの叔父、司教リュックが亡くなった。ラウランは恩赦を下され、シャイヨーへの帰還を許された。全てが終わった後、シシルがジューヌより告げられたのは、たったそれだけだ。聞きたいことは山ほどあった。だがジューヌは話してくれなかった。言葉にされたわけではなかったが、姿を隠し、その態度は話すことを拒絶していた。シシルはそれ以上、訊ねることができなかった。
 待てども、シャイヨーからの音沙汰はない。今、ラウランは、どうなっているのだろう。ラウランが帝室に赦されたということは、思いがけずシシルにも帰る場所ができたということであろうか。司教を失ったカロルのことが心配だった。カロルはお父さんっ子だった。今、隣にいられないのがもどかしい。
 日が長くなってもなお雪深きポドールイの、白い丘に佇む人形館。美しい陶磁の人形と、素顔を見せぬ道化師と、金目を光らす化けガラス。ときには赤衣の魔女が訪れて、人形館を壊していく。騒がしくも平穏な、たゆたう緩やかな時の流れに、シシルの昂ぶりは次第深くへ沈んでゆく。ただ叔父を殺した皇帝への憎しみが、静かに残って募ってゆく。色々なことが頭の中を交錯して、このところシシルは、少し上の空な日々を過ごしていた。

「ラザール・ド・ラウランの子、リュックと申します」
 人形館に客が訪れた。偏屈なジューヌの住まう人形館に訪問者など、滅多にないことである。入り浸っている魔女を除けば、皇帝ミカエル以来だった。なお珍しいことに、皇帝を迎えてさえ隠れようとしていたジューヌが、姿を現しその年若い将校を応対していた。
 その日は、少し寒い朝だった。常は淀んだ館の空気が、凍りつくように凛としている。ドレスの上に肩掛けを重ねたシシルは、陽光を招く窓列を背後に、高い宙廊から下界の様子を見下ろしている。頭の上にカラスのとまるのを許したシシルは、両の肘を手摺について、重くなった頭部を支えた。整列する二階部のガラス窓から漏れ入る光に照らされて、埃が広い堂内を漂っている。頭上でカラスがひとつ羽ばたくと、大量のフケが雪のようにシシルの眼前に降ってきて、空気をさらに悪くする。しばらくの付き合いで慣れたのだろう、カラスのディディエを怖いと思うことはなくなった。だがその分、上下関係が定まってきてしまった感がある。
 シシルの視線の先、二階へと続く階段を前に、簡易な将服を着込んだ将校がかしずいていた。人形館のカラクリ仕掛けの歓迎に、先ほどまでの慌てようは、見ていてとてもおかしかった。
 だが今は神妙に頭を垂れて、衣装もあいまって厳かである。将校は自らを、ラザール将軍の息子と名乗ってみせた。三十も半ばにして未だ独身の叔父に子供がいるなど、シシルは知らない。シシルの見知らぬ従兄は、背は低くはない。だがあの巨人のようなラザールの子と名乗るには、みるからに身体の線が細すぎる。肩に施された白い十字の紋章には、不可解な取り合わせの二つの彩が添えられていた。紅い斜線と金糸の縁取り。意味するところは、庶生の印と当主の証。
 鳶色の大きな瞳を睫毛に翳す面差しは、幼く見えた。亡き叔父と同じ名を名乗るこの少年は、やはりシシルの記憶をいくら探っても見当たらなかった。

 階上からナシャが、仮面の道化を連れて出迎えた。
「ようこそ、人形館へ。ラザール将軍は存じております。今ラウラン家の家督は将軍が継がれたのですか? 伯父上のリュック様はご不幸でしたが、お父上ならよく御家を導いてくれるものと思います」
 透き通るような美しい声が、ナシャの薄い唇より紡がれる。彼女が、背後に従う道化の操る陶人形で、しかもその声音は腹話術であると。果たして階下にかしずく少年将校に説明したとしたら、どこまで信じてもらえるだろうか。
「現当主は私、リュック・ド・ラウランです」
 ナシャの口上に顔を上げ、少年は朗とした声で言い放つ。細い肩を心持ちそびやかせ、金糸の入った雪十字の紋を見せつけた。少年の返答は、冷たい空気に凛と響く綺麗な声だったが、ともすればその華奢な体つきともあいまって、女の声のようにも聞こえてしまう。
 耳の見えるあたりに刈り揃えられた、少しくすんだ金のくせっ毛。大きな鳶色の瞳には、どこか見覚えがある気がする。明らかにラウランの形質とはそぐわない、リュックと名乗る少年の造作や仕草は、なぜだかシシルに懐かしい気持ちを抱かせた。
「あっ!」
 思わず身を起こし、シシルは宙廊の上より声を漏らしてしまう。その際ディディエが頭の上でバランスを崩し、シシルの髪に絡まりながら飛び立った。
 ……少年の正体に見当がついてしまった。
 思わず、笑ってしまいそうになる。呆気に取られた様子で自分を見上げる、少年将校を含む三対の視線に見上げられ、シシルは慌てて首に巻いた肩掛けの一片で口元を隠した。
「ジューヌさま、あたしもリュックさまと二人でお話がしたいです。お話が終わりましたら、リュックさまだけ、あたしの部屋に通してください」
 肩掛けの布越しに、声がくぐもって空気に伝わる。吹きだしてしまいそうなのを、果たしてジューヌと将校に感づかれずに済んだだろうか。
 言うべき事を言い残し、シシルは慌てて自分の部屋へと立ち去った。
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