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ポドールイの人形師

4−8、聖者の帰還

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 シャイヨーから、帝都パリスへと向かう行軍だ。北への道はしばらく農村地帯が続き、どこも同じ様子だった。男たちが兵士として連れ去られ、黒い服の聖職者は皇帝に屈して白い衣に着替えるか、あるいはポドールイのカトリノー司祭と同じく、官憲に捕らわれ連れ去られていた。畑を耕す者はなく、どの村も疲弊していた。道中はびこる兵士や白い聖職者を駆逐していく。行軍は放り出された農民たちを吸収しながら、どんどん大きくなっていく。
 ジューヌは指揮官になってしまったので、ラザールやリュックと一緒に行軍の先頭を行っていた。有象無象の農民たちがどんどんと加わる中、ジューヌは驚くほど見事に大集団を指揮していた。しんがりにはダルジャントー卿がついている。ダルジャントーは人を率いるには向いていないが、後方から見渡す才には長けている。シシルの父ジネディの評だった。評に違わず、卿のお陰で隊列は後尾まで乱れず整然と続いていた。シャイヨーの民とは違い、規律の概念のないポドールイの村人たちをまとめるのに、村長のモルロは四苦八苦している。クリスチャンはなにかしら忙しそうだ。落ち着きなく子供たちを引き連れて、行軍の前へ行ったり後ろに行ったりして、モルロやダルジャントー卿に叱られている。
 シシルはというと、仮にもラウラン家の娘ということで、ポドールイの村人たちからも引き離され、隊列の中でもっとも安全だというラウランの兵士たちの中で守られながら、母テレーズと並んで進んでいた。
「はぁ」
 人形を抱きつ、ディアンヌに揺られ、シシルはとてもきまずい思いで溜め息をついた。 この二日間、母と一度も口を利いていない。並んでいるものだからなにか話そうと、こっそり窺い見るのだが、一度もテレーズと目が合うことはなかった。昔からそうなのだ。テレーズはシシルに構ってくれない。こっそり窺ってみても、まるで効果がないものだから、シシルは今日は、じっとテレーズを見つめてみた。
 兵士の一人に抱えられ、横座りにおとなしい黒毛の馬に座っている。テレーズは体をシシルの方へ向けていながらも、翠の視線は泳ぎシシルの横をすり抜けていた。顔を背けることすらしてくれない。母はいつも、どこか遠くを見つめており、あいかわらずシシルにはまるで関心がないようだった。色素の薄い、テレーズのほとんど真っ白な髪が風に揺れる。年をとっても容色の衰えない表情は虚ろで、目を開けたまま意識は失っているのかもしれなかった。
 シシルは子供のころから、母にそっくりだといわれてきた。鏡を見ると、よく似た顔だと思う。ラヴェンナのダルジャントー家の流れを汲む緑の瞳、髪質の細い薄い色素の白金の髪。コンプレックスの少し秀でた額も、美しい母と同じだと思うと、さほど気にならなかったものだった。ただ実際に前にして見れば見るほど、この美しい虚ろな人と、自分は少し違うと思うのだ。
 前方から、なにやら歓声が聞こえた。なにがあったのだろう。誰かに訊ねたかったが、見回すとシシルの話せる人は誰もいなかった。徐々に大きくなる声にも、ラウランの兵士たちの規律は影響されることなく一糸乱れず行軍する。母はまるで反応を示さず、ぼんやりシシルの横を見つめている。なにが、起こっているのだろう。
「はぁ」
 もう何度目かの情けない溜め息をつきつつ、シシルは心の中で胸に抱く人形に尋ねてみた。 綺麗な顔の大人の人形。着せられた将服は無紋だったが、造りの細かい立派な衣装だった。新しいR侯爵の人形だった。ジューヌにしゃれこうべを預けてみたら、この人形になって返ってきた。
 R侯爵――ジューヌの人形劇では、黒王子のもとに逃げてくる、お姫さまの父親役――。尖塔の牢獄でもらった、しゃれこうべ。シシルは思わずその意味を邪推しかけたが、ろくでもない妄想は、すぐに振り払ったものだ。母が一瞬、シシルの人形に目を留めたような気がしたが、すぐに視線はどこか遠くに泳いでしまった。

「……軍に大切なのは規律だぞ。おまえのようなお調子者の一人のわがままがだな、全軍を危機に陥れることになる。そのいい例があの阿呆のラザールだ」
 行軍の最後尾、クリスチャンはかれこれ三十分くらい怒られていた。なんなのであろう、この爺さんは。目の合う度に呼びつけられて、くどくど説教を垂れてくる。しかも行進中だから、クリスチャンは歩きながら叱られなければならないのだ。このダルジャントーという爺さんは馬に乗っているのだから、不公平この上ない。
 前方から大きな声がして、クリスチャンははっと顔を上げた。なんだろう。敵かもしれない。
「ポドールイ自警団、出陣。行軍の先頭に行くぞー!」
 クリスチャンと一緒に怒られていた団員たちも、喊声を上げて団長の命に応じた。逃げる背中に、爺さんの喚く声が聞こえる。当分後尾には帰ってくるまい。先頭でピエロをからかい、リュックやラザールと冗談を交わしていたほうがずっとよい。
 自警団が先頭まで追いつくと、行軍は止まっていた。ピエロたちが馬を下りて、誰かを迎えている。誰だろう。目を凝らす。黒い服の人影が二つ、聖職者だろうか。
「クリスチャン!」
 相手の正体を認識する前に、クリスチャンは逆に自分の名前を呼ばれた。一瞬、誰だかわからなかった。だが続いて、その者の笑顔が目に入った。懐かしい、なぜかどこかしら胡散臭い、優しい表情。
「司祭様!」
 呆然と立ち尽くすクリスチャンを追い越して、自警団の団員たちがどっと押し寄せた。司祭カトリノーは両手を拡げ、心底嬉しそうに子供たちを迎える。
「クリスチャン、ただいま」
 その様子をぼーっと眺めていたクリスチャンに、カトリノーが子供たちに纏わられながら、もう一度呼びかけてくれた。なんと返せばよいか思い浮かばない。目尻に熱いものが溢れそうになるのを自分で感じながら、クリスチャンも遅ればせにカトリノーの元に駆け寄った。

 現れた二人の聖職者は、ポドールイ村の司祭、カトリノー。そしてかつて選帝侯にも名を連ねた、ルアン大司教、ギィオだった。二人は禁教とされた教皇庁派の聖職者だ。捕らえられ、そして処刑されたと思われていた。自分たちの他にもたくさんの聖職者が牢に囚われ、日々改宗を迫られていること。そしてギィオ大司教の手引きで、自分だけが脱獄できたこと。熱をこめて、少し興奮気味に、カトリノーがことの顛末を語ってくれた。
 その夜、大行軍は進行を止めた。大司教ギィオを迎え、シャイヨーや他の地の民は弥撒を行った。司教リュックを失って以来の久方ぶりの教皇庁派の聖職者を迎えての弥撒であり、その晩は皆、静謐な空気に包まれ祈りを捧げた。一角、カトリノーはポドールイの村人たちに迎えられ、そこだけはお祭り騒ぎになっていた。
 その夜、シシルはラウランの兵たちの間をこっそり抜け出し、夜陰に紛れポドールイの村人たちのいる一角に忍び込んでいた。途中カラスに見つかり、思わず声を上げかけた。暗闇の中、ディディエの金の双眸は心臓に悪い。ここ数日ずっと姿を見せなかったのに、なぜこの大事な時に現れるのだろう。仕方がないので、シシルはディディエに静かにしていてくれるよう必死にお願いをして、代わりに頭の上に巣篭りすることを許してあげた。
 遠くで篝火が燃えている。酒気が空気にまで漂い、むやみに人々が踊っている。行軍中ということもありやや質素ではあったが、間違いない。懐かしい、ポドールイの宴だった。
 中央の篝火とは別に、小さな焚火がたかれていた。揺らめく明かりと熱の周りに、黒服の人影と、子供たちが集まっている。
「牢獄の中にあってなお、私は神に祈りを捧げていたのです。如何な試練を下されようとも、私の信心が変わることはありませんでした」
 黒服の人影がいやに大仰に、そんな語りを披露していた。即座に周りの小さな人影たちから野次が飛ぶ。自警団のチビたちの、舌足らずな冷やかしだ。
「司祭様、何偉そうに言ってんだよ。捕まってただけのくせに情けねぇの」
 クリスチャンの、容赦なく、けれども邪気のない声が続く。胡散臭い司祭と、生意気なクリスチャン。懐かしい。ずっと前の、シファがいなくなる前の遣り取りだ。
「そして昨日のことです。朝の祈りを捧げながら、私は何か予感のようなものを感じていました。案の定、大司教様が牢の鍵を持って現れたのです。まるで奇跡でしたが、私は同時に使命のようなものを……」
 シシルはこっそり、地面を這って子供たちの間に紛れ込む。シシルに気付くなり、ポカンと口を開ける両脇のチビたちには、その唇を指でつついて黙ってもらう。早速声をあげようとした気の利かないクリスチャンについては、ディディエをけしかけて襲わせた。
「シシル様。おひさしぶりです」
 見つかってしまったので、立ちあがる。クリスチャンが暴れているせいだ、あとでもう一度覚悟してもらわなければならない。
「司祭さま、おかえりなさい」
「なんて格好ですか。あなたは正真正銘のお姫様でしょうに」
 注意されてしまった。炎に照らされ、白いコートの土汚れが、露わに目立ってしまうことに気付く。胸までついてしまった土を、シシルは慌てて払い落とした。
 カトリノー司祭が、ひどく柔らかい笑みをくれていた。長い時、苦しい目に会いながら、その信仰を守ってきたのだ。憲兵に連れ去られる前の憔悴した様子ではない。しかし会った当初のように、ただ軽薄なわけでもない。深い、例えば幼き日に今は亡き叔父リュックに対した時のような、信仰に生きる者の存在感を感じる。
 カトリノーは聖者の空気を纏った。クリスチャンは大きく強くなった。カロルは勇気と決意を得、ジューヌは天命を受け入れ覚悟を持ってくれた。時は流れ状況は悪くなる一方に見えたが、皆が皆成長し、そしてカトリノーの言うとおり、なんらかの使命を与えられてゆく。
 人形館に逃れて五年、シシルは成長したのだろうか。神さまは、シシルに使命をくれるのだろうか。
「私は正直、与えられた使命の大きさに慄いているのです。シシル様はかのラウランの姫君で、領主様は、なんと皇帝になられるお方だそうです」
 司祭は、真剣に言っているのだろう。
「わずかとはいえど、私は皇帝陛下を玉座に導く者の一人としての、使命を授けられたのです」
 だがカトリノーが言うと、シシル自身やジューヌ本人のことを言っているのにも関わらず、すべてタチの悪い冗談にしか聞こえないから不思議だ。シシルはお姫さまで、ジューヌは皇帝陛下なのだそうだ。思わず、吹き出しそうになる。
 焚火を挟んで、シシルはカトリノーに近寄った。ゆらゆらと焔の向こう側に、口元を引き締めた司祭の顔が揺れている。薄い唇、細い面、無精ひげが伸びている。ダメだ、見慣れたこの顔に、真面目な表情は似合わない。
「司祭さま、そんなに畏まらないで下さい。あたしはあたしで変わりません。ジューヌさまも、皇帝になってもジューヌさまです。そう望んでいます」
 自分の口からこんな言葉が出るのは不思議だった。ジューヌには、その身分に相応しくあって欲しい、いつもそう望んできたのに。カトリノーには、クリスチャンには、ポドールイの人たちには。今までどおりに接して欲しいと思ってしまった。
「せめて今晩は、シシル・ド・ジューヌのまま、あたしもここにいさせてください」
 そんな名前を、自らの舌に乗せるのも初めてだった。クリスチャンをとっちめてきてくれたディディエを片腕で受け、シシルは周りを見渡す。祭りだ。宴だ。篝火は燃え盛り、人々は踊っている。仮面の下のジューヌの目にも、この光景が映っていたのだろうか。シシルは、胸のR侯爵の人形を抱きしめる。守らなければ。そう思う。
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