ポドールイの人形師

5−1、元帥の居城

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 突然の訪問だった。皇帝付きのジュダの黒騎士が、幼子を連れてラグナロワ侯爵の居城に訪れたのだ。急ぎの伝令の途中ゆえ、子供を預かってほしいという。
 引き取った幼子が、宿敵のヴィルトールの娘と聞いて、侯爵はなお驚愕した。

「ラグナロワ将軍、お世話になります」
 幼子は深く辞儀をし、笑ってみせた。なるほど、ヴィルトールの笑み。本物だ。この幼さにして、見事なものだ。宿敵、ヴィルトール侯爵の娘、ラフィセ・ド・ヴィルトール。この少女に罪は無いとは言え、手放しで歓待するわけにもいかないだろう。
「ようこそ」
 相手の顔もろくに見ず、出迎えに出たアンリ・ド・ラグナロワは軽く手をかざし、短く告げると踵を返した。武芸一辺倒な自分と、謀略を好むヴィルトール侯爵との確執は有名だった。それはあくまでも政治的なもので、ラグナロワは人間としてのティエリ・ド・ヴィルトールを嫌っているわけではない。ラグナロワは政敵として、ヴィルトール侯爵の才知を認め尊敬もしていた。 しかし相容れない価値観は決して好き嫌いで埋められるものでもなく、老獪なる現宰相と愚直な自分は、決して交わることの無いものと思っていた。
 そっけない応対となってしまったラグナロワではあったが、彼はなにもヴィルトール侯爵の娘であるラフィセを冷遇するつもりもない。自分も、幼子も、あえて気まずい思いをする必要もないだろう。そう思っての、アンリなりの気遣いだった。
「将軍」
 顔だけ見せて、そのまま行ってしまおうとしたラグナロワだったが、ヴィルトールの娘に呼びとめられた。マントを翻しラグナロワは振り向く。先ほどはよく見なかった幼子の顔を、そのとき初めて認識する。実にかわいらしい。ただ焦点の合わない紫の瞳が、幼いだけではない、娘に一種の迫力を加えていた。
「将軍は戦わないのですか」
 強ばりも怯みもなく。際どい質問ではあるが、決して不遜なわけではない。ラグナロワを前に、娘は物怖じすることなく、まっすぐに尋ねてきた。
「私は陛下と宰相殿に嫌われていてね、後方待機だ」
「父は将軍を嫌ってなどおりませんわ。ただ将軍とは政策が合わないだけです」
 穏やかな口調の、決して無礼でも倣岸でもない少女の、妙な威圧感の正体に気付く。ヴィルトールの娘は、ラグナロワの膝元ほどの身長しかない幼い少女は、元帥の錫杖を握る自分と同じ高みで話をしていた。
「でも安心しました。将軍も父のことを嫌ってはいらっしゃらない様子。わたしをとても優しく迎えてくださいました」
 幼子はなにも映すことのない紫の瞳の奥で、一体なにを見ているのだろう。誰にも明かしたことのないラグナロワの心の底を、ラフィセ・ド・ヴィルトールはいとも簡単に見透かした。さすがに、ヴィルトール家の人間といったところであろうか。腹の探りあいでは、この幼い少女にすら、ラグナロワに勝機はないようだった。
「それであなたは、私に保護を求めに来たのではなく、監視にいらしたのか」
 幼子を相手に、ラグナロワは武人らしく突き放した言いようをした。油断をすれば足元を掬われる。すでにラグナロワは、ラフィセを保護を求めるか弱い少女としてではなく、政敵たるヴィルトール家の徒として扱っていた。
「いいえ、緊急の事態だったのです。ロセンサルさんは、わたしを最も安全な場所へ置いてくれただけです。兄や父も賛成してくれるでしょう。ヴィルトール家は将軍と考えを異にしているとはいいますが、父も兄も、あなたを信用はしていますから」
 子供の言葉ではなかった。ラグナロワを、それどころかヴィルトールの父子すらをも見透かした、高みからの言葉だ。
「黒騎士殿や、宰相殿や公子殿の期待に添うよう、あなたの身柄は保証する」
 ラフィセの穏やかな声に気圧されながら、ラグナロワはやっとそれだけ絞り出した。
「将軍は、それで良いのですか?」
 なにも映らぬ紫紺の双眸は、それゆえに、まっすぐにラグナロワの瞳を見据えていた。
「不敗の将軍、かつてラウラン侯爵さまと双璧と謳われた、国を護るべき元帥閣下が、わたしのような小娘の身柄一つを守ることで満足すると」
 そんなはずがあろうか。できることなら命を賭けて、戦場の最前線で戦いたい。王家のために命を賭けて剣を振るう、それがラグナロワ家の使命のはずだ。だがラウラン侯爵との親交が篤かったばかりに、新帝にはラグナロワ家の覚えは非常に悪いものだった。今も、宮廷に参内することすら許されていない。
「わたしは、おとなしく守られている気などありません。父や兄や、陛下や……、愛する人たちが命を賭けて戦っているのです」
 『陛下』という言葉のあとに、ラフィセは少し口篭もった。愛する人とは……。なんにせよそのとき初めて、ラグナロワはラフィセの顔に、狡猾なヴィルトールの仮面ではなく、相応の――むしろずいぶんとませているかもしれないが――幼い乙女の表情を覗き見る。
「それで、ヴィルトールの娘よ。どんな策がある。私に、なにができる」
 わずかとはいえ、幼子の弱点を垣間見た気がしたアンリは、語気を和らげそう問うた。応えてにっこりと、ラフィセは綺麗な笑顔を浮かべてくれる。ヴィルトールの笑みだ。かわいらしいといえようはずだが、全てを見透かしたような落ち着いた笑みに、その形容はどこか不適切に思えた。
「元帥閣下には、シャイヨーとポドールイの逆徒を討ってもらわねばなりません」
 ラウラン侯爵領シャイヨー。かつての盟友の領徒を討てと。望むところだった。

 ラグナロワ侯爵領、アルビ。美しいその地は、水の都と呼び名される。しかし馨しいを水の匂いに溢れるアルビは、その実堅牢な要塞都市でもある。山脈から下る川が合流し、その河洲に位置するアルビの街は、石畳の水路が街中を巡っている。高い堤防に囲まれた水路は場所によっては地面よりも高くに流れ、そんな場所では頭の上から川のせせらぎが聞こえてくる。水路のあちこちに建てられた関は、街を流れる水の量を自在に制御しているらしい。
 常時には人々の足として生活を助ける優しい流れは、戦時には敵の侵入を防ぐ堅牢複雑な濠となる。そしてもし、たっぷりと水を湛える、この水路の関を外したら……。物騒な思考を途中で切り上げ、ラフィセはラグナロワ将軍の声を聞いた。
「このアルビにシャイヨーの賊軍が攻めてくると?」
「ええ」
 将軍は純粋だ。驕りもなく、侮りもなく、憐れみもなく。年若い、目も見えないラフィセを一人前として扱ってくれる。宮廷では普段、人に会うときは、見たくもない闇ばかりが見えてしまう。その分、たまに将軍や、そしてロセンサルのような眩しいほどの純粋さに触れると、計算していたことを忘れてしまうほどに浮かれてしまうのだ。
「このアルビには、教皇庁派の聖職者たちが収監されているそうですね。賊の要求は徴兵の免除、信教の自由、旧派非宣誓司祭の解放と聞いています。アルビに聖職者たちがいることを教えれば、必然、彼らの攻撃目標はここになると思います」
「難しい言葉を。そんなことを、どこで知った?」
「盗み聞きは得意なのです」
 目の見えないラフィセの聴力は、常人のそれとは違うらしい。人は自分に聞こえないように話しているつもりだろうが、例えば壁一枚隔てていても、ラフィセには聞こえてしまう場合が多い。それに幼いラフィセを、宮廷人は動物だとでも思っているのか。父や兄の前では神経質なほどに警戒をしている者たちが、ラフィセの前では子供のように無防備だ。
 将軍はラフィセの返答に、呆れたような溜息を一つついた。
「国王軍はほとんど遠征に従軍しているからな……」
 アルビにいるのは私の私兵五十人程度……、ぼそぼそと、将軍は口に出してアルビの戦力を胸算用する。
「して、賊軍はどのくらいだろうか?」
「シャイヨー、ポドールイの民を合わせて、千人程度。ただシャイヨーからアルビまでは農村地帯が続きますから、賊軍は雪だるま式に増えているものと思います。おそらく、三倍、四倍くらい……」
 本当によく知っているな。そう言って、将軍はラフィセの言葉に失笑を漏らした。五十対三千。実際比べるだに馬鹿らしい。
「将軍、怖気付きました?」
「いや、望むところだ。たかが農奴の三千や四千、ラグナロワ家の精鋭を持ってすれば敵ではない」
 おそらくすでに自決の場面まで想像していることだろう。将軍の景気の良い強がりに、今度はラフィセが笑う番だった。
「少しは怖気付いた方がよいと思います」
「私が一千を斬る。あとは私の部下たちが一人五十人ずつ斬れば、十分に勝てる」
 将軍の口調は冗談に聞こえない。実際冗談ではないのだろう。自分を鼓舞するための言葉を、本気で実行するだけの純粋さをラグナロワ将軍は持っていた。しかし冗談が本気な分だけ、ラフィセはさらに笑ってしまう。
「なにがおかしい。私は本気だ。命を賭けて帝国を守る」
 自棄的ともいえる将軍の言葉がとどめになった。ラグナロワ将軍の子供のような頑なな主張に、ラフィセは息が出来ないほどに笑い転げる。
「しょ、将軍さま」
 自らを高く置くため意識的に外していた将軍の敬称を、思わずつけてしまった。むしろ敬称でもつけておかないと、子供扱いしてしまいそうだ。不愉快げな感情がひしひしと伝わってくる。普段宮廷に渦巻く謀略の闇ばかりを感じているため――その最たる主はラフィセの父と兄なのだが――このまっすぐな素直さが愛しいほどに可笑しい。
「大丈夫、策を持ってすれば、きっと勝てます」
 ラフィセは必死に笑いを収めて、そう言った。この純粋な将軍を、ヴィルトール家のやりかたで汚すのは忍びない。しかしラフィセにも戦わねばならない理由があったし、また将軍を思いやるほどの余裕もなかった。
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