ポドールイの人形師 番外編
其を護る、騎士たらん
written by 麻国
「ギィオ、出て来い! シアンを返せ!」
ロセンサルは見張りの僧兵を斬り殺し、扉を蹴り開ける。豪奢な部屋だ。大司教がいるかと思った。
だが目に映ったのは、大きな寝台から気だるげに身を起こす、幼い人影だった。白いブラウス姿に長い金糸の髪が流れ、眠たげな視線がロセンサルを捉える。
「人違いだ、あほぅ」
女の子、だろう。綺麗な子供は目を擦り擦り、半分寝ぼけて文句を言った。
呆気にとられ。一瞬、油断したのかもしれない。背後の気配の気付くのが遅れ、ロセンサルは殴り倒され、気絶した。
・・・
「あたし、大きくなったら王子さまと結婚して、お姫さまになりたいわ」
ルアンの聖堂で執り行われているアンドレ皇子の成人式を遠目で見ながら、シアンがうっとりと呟いた。
ロアンヌ帝国第一皇子の洗礼式に、貴族王族が大挙してルアンに訪れ、この田舎の邦に、都の空気が溢れていた。
もう十二になるというのに、困った妹だった。軽率で、夢見がちだ。
今の自分たちの立場は、死体の掃除人だというのに。
無防備たること。希望を持つこと。それは、ジュダの人間としてロアンヌに生きる上での、タブーだった。
ジュダ人。ロアンヌ人の聖典には、メシアを殺した悪魔の民と記されている。ロアンヌ帝国はジュダ人に数多の特別税をかけ、職に就くことも制限している。
ジュダ人が就くのは、死体を扱う医者か葬儀屋。または聖典で禁じられる、金貸しだ。
黒楯の家のイーザルは、医者と葬儀屋と高利貸しをまとめて営んでいた。その子供たちであるロセンサルとシアンは、ルアンの聖堂に、獄死した異端者――神を信じるロアンヌ人にとっては不浄にして不可触――の遺体を引き取りに来たところなのだった。
引き渡された異端者の死体を、ジュダの神の名の元に弔った帰り道。ジュダ人指定の黒いワンピースのシアンは、辛そうな顔で俯いている。いつもの仕事なのに、なお慣れぬらしい。
やがてロセンサルの視線に気付いたシアンは、無理やり婀娜けた笑顔を造ってみせた。
「お兄ちゃん。豚みたいに太った神官が、ジロジロあたしのこと見てたの。神官のくせにギラギラ装飾物をぶら下げて、悪趣味ったらないわ」
口を開いたかと思えば。シアンはロセンサルの腕にぶら下がり、高い位置のロセンサルの顔を見上げてそんなことを言ってくる。
「それは……、大司教のギィオじゃないか。変なことしてないだろうな」
「してないよ、思いっきし睨み返してやったけど。そしたらあの豚、笑いかけてきたのよ。吐きそうだった」
長い睫毛に縁取られた大きな瞳は不機嫌そうにそがめられ、幼い造りの、白陶色の肌に映える鮮やかな唇が、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。残忍な宗教裁判を繰り返す、『法の死神』と忌み名されるギィオにも、おそらくこれと同じ顔をして見せたのだろう。
人の心に、たやすく侵される。無防備で、正直だ。そして幼いながらにジュダの形質を色濃く映した、年齢に似合わぬ妖艶さを持っている。
全てはシアンを可憐に見せる、美徳たるべきものだった。だが同時に、虐げられることが運命付けられた、ジュダの娘としては、ひどく危うい性質でもあった。
さしあたってのロセンサルの使命は、家族と、この危なげな妹を護ることだ。
「うー、お兄ひゃん。なにひゅるの」
悪いことが起こらなければよいが。ロセンサルは無造作に妹の白い頬をつまんでやりながら、嘆息した。
・・・
目を覚ますと、ひどく近い距離に、綺麗なロアンヌ人の顔があった。
異教の、天使の顔に思えた。見とれてしまい、ロセンサルは直後に自分に嫌悪を感じる。
「おはよう。水、飲め」
水差しをそのまま、渡される。言われるがままに受けとって、ロセンサルは陶器の縁に口をつけた。ほのかに柑橘の匂い付けがしてあった。貴族様の趣向である。冷たい水が喉を通り、ひどく頭痛がした。思わず水差しを取り落とし、布団の上に零してしまう。流れ出す水とともに、甘い香りが一気に広がる。
「ああ、気にするな。兄貴にうしろっから殴られたんだ。まだクラクラするだろ」
ロセンサルの様子に、子供は口許に薄く笑みを刷いた。
前に零れる長い髪を細い指で耳に掛けながら、異教の天使に見紛う子供が、顔に似合わない乱暴な口調で言葉を紡ぐ。金糸の髪が、きらきら光を反射した。
少しずつ、状況を把握する。自分は、この子の寝台を占領してしまっているようだ。大きな寝台だ。綺麗な子供は枕元に腰掛けている。白いブラウスをしどけなく着崩し、無防備な姿勢でロセンサルの顔をのぞいてくる。
「シアンを……」
「やめとけ」
まだ意識が明としないまま、ロセンサルが起きあがろうとすると、剣鞘を突き付けられて制された。身を乗り出した子供の、長い髪が前に落ち、さらりとロセンサルの顔を撫でる。鞘には、……ロアンヌ皇家の百合紋が入っていた。
「ギィオは悪人だ。おまえもなんらかの被害者なんだろう。だが奴は大司教で、ここは王権も届かぬ奴の神殿。そしておまえは、僧兵を殺したジュダ人だ。匿ってやるから、おとなしくしてろ」
「シアンが、妹が奴に。俺が助けないと……!」
思わず伸ばしたロセンサルの腕は、子供のさらさらした髪を掴んでいた。髪を引かれ、子供が痛そうに綺麗な顔をしかめるのを見て、思わず力を緩める。
「妹ねぇ、わかった、なんとかしてやるよ。だからおまえは、寝てろ」
幼い声の語尾が、かすれて聞こえる。視界がぼやけ、自分を見下ろす綺麗な顔が、二重に見えた。頭痛がして、体に力が入らない。
「薬。怖いな」
最後に、子供の苦笑いが見えた。薬。渡された水差し。
考えがまとまらないうちに、ロセンサルは再び意識を失った。
・・・
ロセンサルが帰ると、家が荒らされていた。
父が殺されていた。母が泣いていた。
僧兵に、シアンが連れて行かれたと。母が言った。
・・・
頭痛がする。目覚めると、泣きそうな顔の子供がいた。長い金糸を肩に纏う、天使の様に美しい子供が、悲しそうにロセンサルを見下ろしている。
思わずロセンサルは腕を伸ばし、子供の頭を撫でてやる。くすぐったそうに身を竦め、手の届かぬ先に避けられてしまった。
「兄貴と、宰相に頼んで、シアンという娘を探してもらった。おまえの妹は、大司教の逆鱗に触れたらしい。手遅れだった。とても……無残な姿になっていた」
子供の頭を逃してしまい、手持ち無沙汰なロセンサルの腕が、空を薙ぐ。不思議と、ロセンサルは落ち着いていた。
なにを、どこにぶつければいいのだろうか。寝台から見渡す部屋は豪奢できらびやかで、ロセンサルの気持ちとはまるでそぐわなかった。
やがて白いかわいい掌が、ロセンサルの手を包んでくれる。温かくて、涙が出た。
「ギィオを罰することは出来ない。奴の罪を追及しないことを条件に、おまえの妹の居場所を教えてもらった。僧兵を殺したおまえの恩赦も、ギィオにもらった」
ひどく申し訳なさそうに、子供は肩を竦めていた。長い睫毛に縁取られた深い青の瞳から、涙が溢れそうだった。
この優しい子供に、当たるわけにはいかない。この子がダメというならば、大司教を恨むことも許されぬのであろう。
「皇帝になって、いつかギィオを罰してやる。復讐がしたければ、ついてこい」
高い声が、耳に響いた。
例え志を持とうとも、そんな言葉を口にしてはいけない。それに兄のいる姫君が、皇帝になることも叶うまい。
軽率で、夢見がち。無防備で、心優しい。幼いながら、天使のごとく美しい。
小さな手を取りロセンサルは、その白い甲に口付けをした。
姫君は白皙の頬を染め、変な顔をしている。
忠誠の、誓いだった。
「姫。我は其を護る、騎士たらん」
ロセンサルの誓いに、姫はなぜだが、不機嫌そうに目をそがめた。
・・・
「ロセンサル、リリアンが俺を姫君呼ばわりしやがる。ぶん殴ってきてくれ!」
「御意に、ひ……ぇいか」
忠実にして、ロアンヌ最強の黒騎士。彼は思わず口が滑らせかけ、刺さってくる眼差に身震いした。
ロセンサルの主は、皇帝だ。姫ではない、陛下なのだ。つい、脳内から変換することを忘れてしまう。
「一応言っておくが、また間違えてみろ。今度は絶交だからな」
黒騎士は、皇帝の言に深々と頭を下げる。どうだろうか、精一杯気を付けているのだが、この先絶対間違わないという自信は持てない。
「陛下、私の不徳の致す分、リリアン殿をとっちめてまいりますので、平に、ご容赦を」
「……うん。いいな、それ」
しばし考える仕草を見せ、ロセンサルの皇帝陛下は、いたずらっぽく笑みを含んで、頷いてみせた。
いつも大事な陛下をからかう報いだ。悪いが今日はリリアンには、たっぷり痛い目にあってもらおう。
天使に見紛う綺麗な子供は、実は男の子で、兄を追い落とし帝位に就いた。
彼は軍を率い、大司教ギィオの治めるルアンを攻めた。幼き日の約束通り、シアンを奪った男を罰してくれた。
その美しさと優しさに姫君と見紛い、交わしたロセンサルの忠誠の誓い。
――姫。我は其を護る、騎士たらん。
それは黒騎士の胸のうち、今だ有効である。
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本編情報 |
作品名 |
ポドールイの人形師
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作者名 |
麻国
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掲載サイト |
聖者の行進
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注意事項 |
年齢制限なし
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性別注意事項なし
/
表現注意事項なし
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連載中
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紹介 |
雪深いポドールイの地に住む人形師のもとに、一人の貴族の姫君が逃れ来る。平穏を望む人形師が、姫君の思いや自らの出生に飲まれ、次第戦乱のうねりに巻き込まれてゆく。
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