周瑜嬢

17、二人合わせて二張といったところでしょうか(by張紘)

 巨大な体育館に三千脚のパイプ椅子が並べられ、新入生から三年生まで、高等部の全生徒が一同に会する。たかが始業式だったが、マンモス校の紅東学園のそれは、何度見ても迫力だった。
 新年度は、学園の体制もずいぶん刷新されるらしい。
 校長、教頭がまとめて代わった。
 新校長の張昭先生が、就任の挨拶をする。見掛けからして、偏屈な頑固爺を具現化したような老人だった。スーツをきっちりと着込み、細い首に赤いネクタイをやや短く締め、長い白髭を蓄えて、偏屈そうな小さな目が爛々としている。
 話は長々と三十分にも及び、体育館に集合した三千人の生徒のうち七割が立ったままレム睡眠に陥り、空間が弛緩しきったところ、突然新校長からキレたような喝が入った。さらに十分ほど、どこか中国の故事を引用しつつの説教を披露し、再び睡魔で場の空気を弛緩させて後、やっと張昭校長の話は終了した。
 続いて新教頭の、張紘先生が壇上に立った。年齢や細いシルエットは校長とよく似たものだったが、受ける印象が真逆だった。穏やかに笑みを浮かべ、柔和な空気を振り撒いている。青いネクタイがややだらしなく、長めに垂れている。
「張紘と申します、皆さんよろしくお願いします。奇しくも苗字が校長先生と同じ張ということで、二人合わせて二張といったところでしょうか」
 特にオチもない軽口で、春先の体育館をひんやりと冷やし、次いで時計に目を遣ると、
「では、終わりにしましょうか」
 あっさり三十秒ほどで話を引き上げてしまった。
 さらに生徒会長、袁術の挨拶。
 自身の生徒会長としての功績、さらには袁家の自慢と、聞くに堪えたい無意味な話が十分ほど続けられた。呂範はいつものように目を閉じ、心を無にして、生徒会長の話を聞き流す。
 さらに新入生代表の挨拶。これは、入学試験の学年首席が行うことになっている。
 紅東学園は、中等部在籍者は成績に関わらず、原則全員高等部への進学が認められる。ただし一応、入学試験は行われ、問題は外部生と同じものが課されるらしい。壇上に上がるのは、現時点で内部生外部生問わずの学年一の秀才であり、顔は一気に学内に知られてしまう。
 ちなみに呂範の代では、二年続けて同じクラスになった虞翻が務めた。秀才としてより、いまや学年一の奇人としてすっかり有名になってしまった虞翻であるが、その端はこの新入生代表挨拶から始まっている。
 呂範と同じ外部生だった虞翻は、壇上に立って第一声、
「まさかこんなにレベルの低い学校だとは思いませんでした」
 そう言い放ち、盛大にため息をついたのだ。
 外部生に喧嘩を売られたと見なした袁術派からは早速目をつけられてしまったが、逆に成績が圏外に悪い孫策はおもしろがって、人付き合いの悪い虞翻をあれやこれやと引っ張り回した。いまやめでたく、学年一の変人、もとい秀才は、孫策軍団の参謀格だ。
 今年度、新入生代表として壇上に立っていたのは、呂範もよく知っている、知っているからこそ思いもよらない子だった。
 中等部の伝説の三馬鹿、その悪名は高等部まで轟いていた。その三馬鹿をして、ナンバーワンの称号をほしいままにしてきた困ったちゃん、呂蒙、あだ名をりょも。
 受けた試験はその教科、難易度に関わらず、全て一桁の点数に収める荒業を修めていると聞いていた。
「は、はじめまして。し、新入生代表、一年D組、りょ、呂蒙です」
 学年一の秀才が立つべきその場所に、学年一のお馬鹿が立っている。
「えと……」
 がちがちに緊張して、最初から噛みまくり、緊張で頭が真っ白になって何も喋れず固まっている。
 館内のあちこちから、小さな失笑が湧き始める。呂蒙は遠目からもわかるくらい顔を赤黒くして、何も言えず俯いてしまっている。
 呂蒙はお馬鹿だったが、孫策軍団の弟分的存在だ。喧嘩にも時折狩り出している。助けてやりたいのやまやまだったが、こうした畏まった場での動き方がわからない。孫策や愈河、仲間たちの様子も窺う。孫策の貧乏ゆすりが大きくなっているくらいで、皆やはり呂範と状況は変わらないようだ。
 固唾を呑んで呂蒙を見上げていると、最前列の新入生の列から、小柄な生徒がもぞもぞと這い出した。長い金髪の女子生徒――もとい、女装生徒。こちらも呂範にとって、呂蒙以上に馴染みの後輩で、すぐに正体が判明する――、孫権が胸くらいの高さの舞台に手を掛け、正面からよじ登った。
「ベスぅ」
「もう。りょもったら勉強だけできるようになっても、全然変わってないんだからあ」
 呂蒙の涙声に、孫権の子供っぽい高い声。マイクを通して、体育館中に響き渡る。
 遠目にはお人形のような孫権が、腰に手を当て、胸を張ってふんぞり返る。なんだか小学生のお遊戯劇でも見ているようで、微笑ましい。
 りょもどいて。わがままそうな声をしっかり館内に響かせて、孫権は呂蒙を押しのけ、マイクの取り付けられた説教壇を占領した。
「新入生代表代理、エリザベスです。呂蒙がへたれなので、ボクが代わりに挨拶やります。成績は中の上ですが、パパがこの学園の理事長なので、文句ないと思います。ちなみにさっきりょものこと笑ったヒト。りょもは中学三年の三学期だけで、成績一千人抜きした天才的馬鹿なので、馬鹿にしないように」
 校長、教頭、程普筆頭の教師陣が慌てた顔をしている。挨拶を終えて舞台脇の待機席に戻っていた生徒会長が、顔を真っ青に立ち上がる。
 だが彼らが動き出す前に、新入生の席から大きな歓声が上がった。孫策が立ち上がる。ユキも立ち上がる。
「呂蒙、孫権、がんばれ!」
 二年の誰よりも、孫策よりも早く、大きな声で、ユキの綺麗な声が飛んだ。
「おい、三年を前に出させるなよ!」
 孫策が二年の列に、壁になるよう号令を出す。最後列の三年は生徒会長派が多く、孫権の暴挙を邪魔しに掛かる可能性が高い。
 呂範も立ち上がり、大きな声で叫んだ。
「権君、いいぞっ!」
 マイクを奪った孫権は、まず父親が理事長だと再宣言して胸を張り、兄が強いんだぞとふんぞり返る。
 さらには自分の可愛さ自慢に話が流れ、自慢三昧だった袁術会長と重ねるように、孫権は無意味な演説をぶった。天然ならろくでもないし、意識して真似ているならなお性格が悪い。
「そういえばボク、この間ゴスロリファッションで街を歩いていましたら、袁術会長にナンパされまして。スペシャルストロベリーサンデー、おごってくれてどうもありがとうございました。正直男の人とデートしてもまったく楽しくないので困りものだったんですけど、ボクが断っちゃったら袁術会長じゃ一生こんな可愛い子とデートする機会なんてないでしょうし、なによりボクが可愛すぎることが罪なわけで、泣く泣く喫茶店に入ったんです。でもスペシャルストロベリーサンデーすっごく美味しかったし、袁術会長も心が狭くて意地悪なイメージと違って意外とやさしくておごってくれて、思ったよりもましな人なのかもしれないなぁって……」
 そういえば、こういう子だった。明らかに確信犯で、性格が悪い。
 袁術が、取り乱して喚いている。孫策が、腹を抱えて笑っている。ユキは頭を抱えていた。
 一年は総立ちになって孫権の演説をはやし立て、二年と三年は入り乱れて小競り合いになっている。
 もう収拾はつかないだろう。愈河たち軍団の武闘派たちは、嬉々として戦線に突っ込んでいった。
 呂範はいまいち気が乗らず、大人しく席に座って目を瞑る。
 声が聞こえる。孫策が馬鹿笑いしている。虞翻が甲高い声で喚いている。愈河が殴られて逆ギレして叫んでいる。知った声ばかりだ。
 袁術は生徒会長で、孫策は不良のリーダーとはいえ、立場上は袁術より一学年下の一般生徒だ。肩書きが、そのまま勢力の差になっている。
 まだ、袁術派は強い。しかし、勢いはこちらにある。
「呂範、何をサボってる」
 目を開けると、ユキがいた。綺麗な顔に不敵な笑みを浮かべて、白い手を呂範に差し伸べている。
 この奔流は、もはや誰にも止められまい。予想以上に早く、孫策たちの時代はくる。
 伸べられたユキの手は借りず、呂範は自分で立ち上がった。



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