ポドールイの人形師

2-3、下仕えの少女

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 人形に着せるような、肩が丸く膨らんだ服を少女は着ていた。反して服越しに感じる少女の肩は、あまりに細い。押さえつけると、壊れてしまうと思った少女の長い髪がシーツに投げ出され、蜂蜜色が白に無造作に広がり散る。
 少女の顔にかかってしまった、自分の長い髪をどけてやる。冷たい翠の瞳が、まっすぐにミカエルを見据えていた。
「なぜそう、感情のない目で俺を見る」
 顔のよさは自覚している。教養も、剣も、人に劣るものではない。なによりミカエルは、兄を蹴落として皇帝になったのだ。
「たいていの女は、俺にこうされると喜ぶ」
 少女の胸元に手を伸ばす。びくっと一瞬体を震わし、少女は目を瞑ったが、すぐさま目を開けて、気丈にもミカエルを憎々しげに睨み付けてきた。
「おまえは俺が昔知っていた娘によく似ている。この世で最も俺を苛立たせた女だ」
 嫌なら叫べばいい、抵抗すればいい。なのに少女はなんの反応も示さない。あいかわらずの冷たい双眸で、冴え冴えと自分を見据えている。夢の中の少女と同じ。壊してしまおうかとも思った。
「昔、ラウランという侯爵家があった。つい二年ほど前に滅びたのだがな」
 胸元から喉もとへ、爪の先で少女の体をなぞってゆく。襟もとの紐でドレスの布は途切れ、陶器のように白く滑らかな、少女の肌に差し掛かる。冷たくて硬いのではないかとも思ったが、爪先に感じるその肌は、温かくて柔らかかった。
「そのラウランの娘を、確かシシルとかいった。おまえはそのシシルによく似ている」
 組み伏せられた少女の瞳に宿る憎悪は頂点に達し、その眼光だけで気圧されそうになる。
「おまえはシシル・ド・ラウランという娘を知っているか。年頃も、ほぼおまえと同じくらいだろう」
 少女は小さく首を左右に動かし、否定の意を示す。ミカエルはその際わずかによじれた白い首へと、手を伸ばした。手をかけた少女の首はあまりに細くて、簡単に折れそうだと思った。
「おまえは今ジューヌの下女だと言ったな。どうだ、俺のもとへこないか。宮廷へあげてやる」
 首もとに手をかけていては脅迫じみている。そう自覚しつつ、ミカエルはその手をどかす気にはなれなかった。汗ばんだ手で喉もとをおさえつけ、いつでも殺せるところにおいておきたかった。力を入れたつもりはなかったが、体重がかかってしまっているのかもしれない。少女は少し、苦しそうな顔をする。
「もったいないお話ですが、辞退させていただきます」
 憎悪と軽蔑、さまざまな負の感情を織り込むように、少女は少し苦しげに、慇懃無礼な断りを述べた。
「なぜだ、俺は皇帝だぞ。俺に仕えるなら、下手な貴族の娘よりもよっぽど良い暮らしをさせてやる。そうだな、侯爵令嬢くらいの待遇は約束する。あの変人のジューヌに、皇帝たるこの俺の、どこが劣るというのだ」
 強圧的に、意識的に倣岸に告げられたミカエルの言葉にも、幼い少女は怯えた様子は微塵もなく、冴え冴えとした双眸でミカエルを見上げた。
「ジューヌさまのほうが……」
 デ・ジャ・ビュ。このあと少女がなんと答えるかは、容易に予想がついてしまった。
「ジューヌさまのほうが、やさしいわ」
 五年の月日を越えて。夢と同じ結末に、ミカエルは笑うしかなかった。

「まあ、ミカエル。なにをしているの」
 先帝の崩御の後、皇帝となったミカエルを呼び捨てにする権利を持つ者は限られている。一人はミカエルの文武の指南役だった、前宰相、ジネディ・ド・ラウラン。選定会議でミカエルの即位を強く反対し、決定後も承服をよしとしなかったラウラン侯は、先日破滅した。自らが育てた若き皇帝、ミカエル・ド・ラ・ヴィエラの率いる帝国軍によって。もう一人はミカエルの実兄、アンドレ・ド・ラ・ヴィエラだった。彼は妾腹の子であり、母は異国の出身だった。そして少し、変人だとも言われていた。本人も権力にはまったく興味を示さなかったこともあって、先帝の長子でありながら、皇位は弟のミカエルに譲られた。選帝会議で弟に敗れたのち、アンドレは消息を絶っている。
 さあ、断りもいれずに扉を開いた美しい人形は、そのどちらでもないにも関わらず、皇帝であるミカエルの名を呼び捨てにした。これは不敬罪であろう。切り捨ててやろうかとも思ったが、ロセンサルの様子を見て、やる気が萎えた。
「すみません、すみません。すぐにやめさせます。陛下! 子供相手になんてことをなさっているのですか。獣と思われたくないなら、今すぐその娘さんから手を放して、謝りなさい」
 大柄な黒騎士が、美しい人形にへこへこ頭を下げている。あまつさえ主君であるミカエルに説教を垂れて、謝れと言う。
 ミカエルは少女の首から手を離し、そのまま白い頬をなぞって、白金に輝く前髪をなで上げた。少し秀でた額があらわになり、きのう殴ったこめかみのあたり、包帯が少し朱に染まっている。赤い色が、少女の出来すぎた調和を崩して、それがどこかミカエルを安心させた。ひととおり舐めるように少女の体を眺め回し、ミカエルはひらりと寝台の上から飛び降りる。
「ロセンサル、出るぞ。ラウランの残党狩りだ」
 振り返らないので後ろの少女の様子は分からないが、乱入してきた人形の方は、なにやら少し慌てている。
「シシル」
 確信なく、ミカエルは呟いてみた。
「……なんでしょう」
「ほう、おまえはシシルというのか。ラウランの娘と同じ名前だな」
 背後から聞こえた少女の声に、不確かな想像が確信に変わる。誘導尋問。寝台の少女が歯噛みしている様子が目に浮かぶ。
「三年前つぶしたラウラン家の残党が、このポドールイの邦境でくすぶっている。それを掃除するため、俺はポドールイくんだりまでやってきた」
 ラウラン侯爵の領邦だったシャイヨーは、ジューヌの治めるポドールイの北辺で接していた。行き場を失ったラウラン家ゆかりの者たちが、多数このポドールイに逃れていた。
「おまえは同じシシルでも、ラウランのシシルは知らないと言ったな。おまえには関係のない話だ」
 わざと挑発してみる。自分で煽ってみたのに、後ろを振り向くのは怖かった。憎しみか、悲しみか、そんな顔しか見られまい。
「ミカエル様、シシルの前でそういうことを言わないでください。あえて伏せておいたのに……」
 人形が、まるで緊張感も敬意のない口調でミカエルを咎めた。精一杯の険しい目つきで人形を睨みつけるが、陶製の美しい顔に表情の浮かぶはずもなく、人形はただ首を傾げるだけだ。
「貴様、一体なんの用なんだ」
 そう問うと、そういえば、といったように、人形は胸の前で手を合わせた。
「使者の方がいらっしゃったんです。丘のふもとで陣を張ってらっしゃるあなたの軍が、奇襲をかけられているそうですよ。早く戻った方がよろしいんじゃありません?」
 人形ののんびりした口調に、しばしミカエルはその意味を理解することができなかった。だがその分、ロセンサルが慌ててくれた。
「陛下! すぐに戻りますよ!」
「待て、寝巻きのままだ。着替えさせてくれ」
「そんな暇はございません。道中になさい」
「……馬上でか? はずかしいぞ」
 抱き上げてでもミカエルを連れ出そうとするロセンサルを、しょうがないので殴って制する。
「やめろ、はずかしい」
 殴られた頭を抑えてうずくまるロセンサルを前に、シシルに背を向けたまま、ミカエルは軽く深呼吸する。
「シシル、後で迎えに来る。そうだな、今日ラウランの残党を掃除して、四、五年後くらい。俺はこの大陸の覇者に、おまえも大人になっているはずだ。そのとき、改めておまえを貰い受ける」
 柄にもなく、顔が熱くなるのを自分でも感じたので、フリル付きの寝巻き姿のまま、ミカエルはいまだ蹲るロセンサルより先に部屋を飛び出した。
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