ポドールイの人形師

6−3、叛乱軍の集会

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 手すら貸してもらえず、シシルがコートを汚しながら土手を登ると、そこは豊かな田園地帯だった。一面青々と穂を立てる麦の海原に、土地の豊かさと気候の恩恵が感じられる。涼しいシャイヨーは植物がこんなに背が高くはならないし、雪深いポドールイにおいては、もはや想像すらつかない景色だった。河に沿って、大きな街道が走っている。馬車の轍が、すれ違えるよう二列くっきり砂利道に刻み込まれている。人通りも多い。車を引いていたりと大きな荷物を運ぶ人が多く、やがて彼らがアルビの城下街から避難してきた人だと気付いたが、賑わいの中に身を置くのは、居心地の悪さが否めない。
 まっすぐ行けばアルビの城に辿り着く。言われずとも、道の伸びるはるか先に城が見えるので見当がついたが、リリアンは彼方を指差し、馬鹿にするようにそれをシシルに説明をした。
「僕一人だったら、空が赤くなるころには着くんだけど、あんたのせいで太陽が沈んでしまうまで着かないかもしれない」
 土手から這い上がるだけで息を切らせてしまったシシルを見下ろし、リリアンは意地悪を言った。だがそんな言を放ったにも関わらず、街道を下る時にはシシルに合わせてくれるわけではなく、リリアンは気遣い皆無に自分の速度で歩くていく。足の裏は痛いし、往来は人が多く、人いきれに体力を奪われる錯覚を覚える。土地の気候は快適だったが、歩くには暑くて厚いコートの下が汗ばんだ。
「おい、もっと速く歩けよ。殺すぞ」
 そしてシシルが少し離されると、緊張感のない口調で物騒な脅し文句が飛んでくる。
 急かされて、お陰でまだ太陽の沈みきらない空が深い紫色になる時間には、シシルたちは豊かで退屈な田園地帯を抜け、アルビ城の河州の縁まで辿り着いた。だがわずかこの半日の行程だけで、シシルは第一印象よりさらにはるかにヴィルトールの公子が嫌いになった。


 そのほとんどを農村の女、老人、子供、聖職者たちで構成された叛乱軍は、アルビ城の水没に際し、ほとんど壊滅的な損害を受けた。入城の際には三千人までに膨れ上がっていたものが、城から逃れ、今城外に構えなおされた陣に参じることができたのは、見渡す限りのわずか数百。旗頭であるアンドレ皇子を始め、ラウランのシシル姫や、またポドールイの村長を含む各小集団の指導者の姿も見当たらない。
 シャイヨーの民や私兵たちについては、しんがりについていたダルジャントー卿がいち早く事態を予見し先導したため、被害は相対的にわずかに収まっていた。だが被害の少なかったシャイヨーの民と、庇護されなかった他の地の民の間では、感情的な対立が生まれていた。またそんな自身への非難の矛先を逸らすため、ダルジャントー卿は無謀を冒したラザール将軍を強く糾弾した。敵将の首を持ち帰った英雄への糾弾に、大きな打撃を蒙った叛乱軍の内で、さらに分裂の火種が拡大していた。

 無理矢理シシルに羽織わせた襤褸着の、内懐にリリアンは唐突に手を突っ込んだ。シシルが悲鳴を上げると、今度は頬をほとんど無造作につねられる。口をしっかり開けられず、声が出せない。
「黙れよ。また声出したら殺すよ」
 本気とも冗談ともつかない無気味な笑顔で呟くリリアンの掌には、きらきら光る小さな環っかが握られている。シシルが押し付けられたボロボロの上着の内懐から、リリアンは指輪のようなものを取り出したようだった。
「それにしてもあの爺さん、うちの間者か? 見事だな」
 両側二本の立て槍にそれぞれ雪十字と王家の紋の入った大楯を凭せ掛け、帳を掛けただけの高さのない壇上から、数百人の民を前にダルジャントー卿が演説を打っているようだ。声は遠くで聞こえるものの、背の高くないシシルでは、前の髪の長い女の人の背中に遮られて姿は見えない。しゃがれ声ながらも、よく通る発音で、不信心への神の罰、故郷への郷愁、戦犯への糾弾が雄弁に語られる。卿の話はひどく消極的で、士気の下がる演説に思われた。
「うー」
 しばらく頬をひねったりねじったりされてシシルは涙目になってしまったが、卿の演説が一段落するとようやく解放される。当然に怒りと、痛かったのでほんの少々の怯えも交えて、シシルは隣のリリアンを睨みつける。リリアンは手癖悪く指輪を手の中で弄くりながら、まるで平然とした顔をして壇上を見据えていた。あしらわれた大きな宝石が、転がるたびに色を変えて、不思議だった。
 片方が涼しい顔を守るのなら、例えどちらに非があろうとも、先に激したほうが負けになる。リリアンの様子をしばらく観察し、相手がその気ならと、シシルもリリアンに対して無視を決め込むことにした。こっそり距離を取り、前髪をわざと下ろしてリリアンを視界から追い出した。
「あの爺さん裁判を開くつもりらしい。戦時の内輪の裁きに、私刑。僕も大法官として趣向を凝らして裁判をしてきたけど、これは僕が裁くよりおもしろい判決が下されることになるかもしれない」
 生き残ったらしい大司教ギィオを打ち首にすることは、前提の上でダルジャントーの弁論は続いていた。叛乱軍を罠に誘い入れ、数千人の犠牲者を出した責任が、まず全てギィオ一人に押し付けられる。弁護する者は一人もおらず、ギィオの処刑は暗黙の内に皆の決定事項のようだった。
 さらにダルジャントーはラザールを阿呆将軍と罵り、罠を見抜けず軍を死地に踏み入れさせたことを非難した。そもそものアルビ進軍を、大司教と共に主張したのが卿なのだから、責任転嫁の臭いもする少し見苦しい訴えだった。
「おい、見ろよ。呼ばれて噂の阿呆将軍が出てきたぜ」
 絶対に口を利くまいと決心しているシシルに向けて、リリアンは何事もないかのように軽い調子で、次々と言葉を投げてくれる。見ようと思っても、背が少し低いシシルでは、前のドレスの女の人が邪魔でラザールの姿も見えないのだ。シシルが少しふて腐れた気分になっていると、女の人が突然振り向き、シシルと目を合わせると首を傾げた。
「あ」
 ナシャさん。思わず、声が出てしまった。

「俺の不信心を認めよう。神を信じたことはない。俺の軽率も認めよう。罠を見抜けず、幾千の同士を殺してしまった。卿の非難を、全て認める。俺を裁くというのなら、全て甘んじて受け入れよう。さて、そんな人間だからして、俺は司令官の座を降りることにする。あとは卿にお預けしよう」
 明朗な大きな声が響く。内容とはまったくそぐわない、挑発的な調子だ。言い捨てるなり、ラザールは壇を降りてしまったようだった。
 シシルの足元では、赤ら顔の凶悪そうな男の人形が出てきたかと思うと、問答無用で目つきの悪い老人の人形を殴っていた。さすがにこれはナシャさんの誇張であろう。本物はいきなり手を出したりはしていないと思う。
 どこからともなく、民たちの中でざわめきが広がる。しおらしく見せかけて、ラザールの言葉は明らかな脅迫だった。叛乱軍の中で例外的に真っ当な武力を持つラウランの私兵団は、いまやラザールが完全に一人で掌握しており、ラザールを本気で裁ける者などいようはずもない。そもそも、当主ジネディ、司教リュックはすでに居らず、名目上の最高指令だったジューヌ伯爵さえも行方が知れない。叛乱軍の中に、能力、経験、立場、あらゆる面から見て、将軍職の務まる者はラザールしかいないのだった。この場の誰も、ダルジャントー自身も、その地位がラザール以外の人間の手に負えるとは思っていない。保身のために放たれた、鏃(やじり)の外されたダルジャントーの矢を、ラザールは避ければいいものを剣を抜いて払ったのだ。分裂、対立の危機は、なお一層に高まる。
 指輪を握りしめて、リリアンは肩を震わせていた。見やると腹を抱え、声を抑えて、泣き笑いの表情だ。シシルの不審げな視線と目が合うと、針は痛いけど毒は抜いてあるから大丈夫、とリリアンは意味不明なことを言って目配せした。
「またなんか出てきた。あ、ほら。あのおどおどした子。細い子。カロルじゃん」
 声を潜めながらも、なぜかリリアンははしゃいだ様子だった。リリアンのことは放って置きながらも、足元に視線を落とし、人形劇の役者を待つ。
 ナシャがシシルには背中を向けたまま、秘密めいて小さく指を振るってみせると、ナシャの複雑なドレスのひだの間から、今度は将服姿の女の子の人形が現れる。男の子のような格好をした女の子は、果敢にも殴り合いをしている大男と老人の間に駆け入って、仲裁を試みているようだった。
「父上」
 やがて人ごみの先前方から、よく通る、綺麗な声が響いた。女の子にしては、声を低く抑えて男っぽくしようとがんばっているのが感じられる。それでも先に交わされたダルジャントーのしわがれた声や、ラザールの割れた声とはあるで違う。比べてしまうなら、まるで鈴の音のよう、と形容したくなるほどにかわいい声の呼び掛けだ。
「父上、神への暴言を謝ってください。父上は元帥ラグナロワ将軍を倒し、聖職者を解放しました。犠牲が多いのは悔しいことですが、ラザール・ド・ラウランはこの勝利の英雄です。引き続き司令官として、我々をお導きください。ダルジャントー様も、どうか父の働きを認め、その無礼をお許しくださるようお願いします。ダルジャントー様には今後とも、父上も、私も、道を踏み外すことのないよう、監督していただければと思います」
 時に噛みながらもカロルは一つ一つ言葉を選び、誠意を込めて、居丈高で年嵩の二人を制そうとする。
「今は議論をするときではありません。誰かを裁くときでもありません。この勝利の犠牲者たちを悼み、行方の知れない同士たち、特にアンドレ陛下の捜索を優先せねばなりません」
 シシルの足元では、女の子の人形が大男と老人の人形を踏み付け、屈服させている様子が展開されていた。ナシャの解釈は、少し間違っているように思う。
「カロルちゃん、ずいぶん強いじゃん。どっかのお姫様とは全然違うね」
 大きな独り言を漏らして、リリアンが嫌味な視線をシシルに送った。シシルは、大事な人を見失うと、そのまま仲間も、自分も、信念も、耐えられず全てのものを放棄した。あのお人よしで気弱に見えるカロルは、最愛の司教の死すらも乗り越え、ずっと気丈に戦い続けている。烏の公子に指摘されるのはこの上なく癪だったが、カロルの強さと、自分の弱さは、確かだった。
 大男を踏み付けに、老人にはひれ伏させて、ふんぞり返る女の子の人形に。こっそり微笑み、シシルは小さく頷いた。
 ナシャの足の陰から、新しい女の人形が現れた。ナシャと造作がそっくりで、そのまま小さくしたような人形だ。違いと言えば、長い髪が淡い金の色ではなく、真っ白に色褪せていることくらいだろうか。
「頼りなかったかわいい当主様が、ずいぶんと立派になられましたこと」
 遠くから、大人の女の人の声が聞こえた。上品で明るい声に、シシルは聞き覚えがない。
 小型ナシャは腕を組み、高慢な態度で将服の女の子を見据えている。本物のナシャの行動様式は慇懃無礼が基本だったから、シシルは人形のあからさまな倣岸さに違和感を覚えた。
「なにあれ、あんたの姉貴? 母親?」
 いつの間にか傍に寄っていたリリアンが、シシルに訊ねた。
「こんにちは、リリアンさん。お世話様でした」
「……おお、また出た、化け人形。どういたしまして、貸し借りなしでお願いするよ」
 目が合った様子のリリアンとナシャが和やかに挨拶を交わす傍ら、シシルは思い出した。
「お母さま……」
 声に力があって、わからなかった。シシルの知らない母の挑発的な口調に、不安がよぎった。
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