ポドールイの人形師

6−5、真実の姿

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 人ごみの中でしゃがみこみ、リリアンはラウランの姫君と、頭を突き合わせて人形たちの芝居を見ていた。見やるとシシルは、女の人形の言にも、さほど動揺を表情に出してはいなかった。カロルに関してはリリアンにもばればれだったが、アンドレの正体はリリアンにとっても驚くべきものだった。姫君がむっつりと無表情になると、なまじ造作が整いすぎて本当によくできた陶細工に見えてくる。
 突然、舞台に上空から小さな影が降ってきた。一瞬姫君も、翠の大きな目を瞠る。銀髪の、顔はひどく適当な造りの人形が、華麗に二人の間に着地する。マントを一つ払って見返ると、両腕を広げて間抜けにポーズを決めてくれた。
「皇帝、参上」
 背を向けたままの、ドレスの化け人形が、小声で囁く。やがて人ごみの向こうから、人形に合わせた自己紹介が聞こえ、辺りは歓声とも悲鳴ともつかない、騒然たるどよめきに包まれた。


 広場の時は止まったようだった。黒マントを翻した蒼い瞳と銀髪の青年は、まずはゆっくりと、ラザールの前に歩み寄ってきた。ラザールは数瞬呆気に取られ、自らの目線より低い位置にある、アンドレの額辺りを見下ろしていた。アンドレは目線を上げようともせず、表情すらも造ろうとはしない。近づいてきたのにも関わらず、ラザールのことがまるで目に入らないかのようなアンドレの態度に、ラザールは為すべき行動にようやく気付いた。
 彼は皇帝になっている。飾り物に過ぎなかったはずのアンドレ陛下が、道化の仮面を脱ぎ捨て、その意志を持って王としてそこにいる。慌てて身を落とし、ラザールは片膝を付いて頭を垂れた。
「顔を上げなさい」
 湿った黒い地面をしばらく見つめていると、王は待ちくたびれたかのように、わずかに呆れを滲ませそう告げる。命ぜられるままに顔を上げると、見上げた視線の先では、王が寛容な笑みを浮かべていた。
「剣を貸して下さい」
 その威容に呑み込まれ、ラザールはほとんど機械的に、鞘ごと自らの剣を差し出していた。気付いた時、自分は両腕を突き出し、普通の人にはとても扱えぬであろう重い大剣を、さして逞しくも見えない王の前に捧げていた。剣を何に使おうというのか。いまさらになって、思い出すように考えた。訝ること、ラザールはそれすらも忘れていた。
「ありがとう」
 一言、王はラザールに言葉を掛けた。こともなげに片手でラザールの大剣を受け取ると、離れていった。
「テレーズさん」
 壇に寄って発せられた王の声は、ひどく冷たいものだった。端で見ていて背筋に響く。呼び掛けられた本人は、どれほどの恐怖を味わうだろう。
「な、なにかしら。あなたのような不浄な偽者が……」
 気丈にも啖呵を切ろうとしたテレーズに、王は無言で剣を抜いた。切っ先の軌跡はひどくゆっくりと弧を描く。言葉を飲み込んでしまったテレーズを含め、場の誰も動かず、声も上げない。ただ剣先がテレーズの華奢な肩口を掠めてゆく。そのまま刃は流れ、テレーズの小さな頭を覆ってしまうほどの広い大剣の腹が、彼女の白い頬を撫ぜていた。
「人の出生、信仰。犯した罪。そんなものは些細なことだ」
 大きな剣の陰にテレーズの表情を隠した王は、低く静かに、しかし静まり返った広場の端々まで響き渡る、そんな声で言葉を発した。
「例えばの話、リュック・ド・ラウランが女だったとして、ラウランの当主が彼以外にいるだろうか。もし異教徒の血を引くこの私が、仮に皇帝の子ではなかったとして、私はこの国の皇帝ではないのだろうか」
 大剣をゆっくりとずらしながら、王は静かに言葉を紡いでゆく。口調は穏やかだったが、遠目からすらも戦慄を感じるほどに声音は冷たく、それはほとんど脅迫だった。大きな剣の陰より、雲間から青白い月の覗くように浮かび上がるテレーズの顔は、色褪せ血の気を失い、唇は紫色に変じて震えていた。
「虚言を用い、皇帝たる私を誹謗し、人心を惑わした罪は、本来死に値する」
 皆に聞える程度の大きな声で感情なくそう告げると、王はゆっくりと剣を下ろす。そして異国めいたその顔に不敵な笑みを浮かべ、テレーズに顔を寄せて至近よりまじまじと覗きこむ。屈辱に歯を食い縛り、恐怖に身を震わせながらも、テレーズの翠の双眸が必死の形相で王の顔を見返していた。
「しかし罪なものだ。私が私であるように、如何な罪を犯そうと、あなたはあの子の母親なのだな。例えあなたが、その魂を悪魔に譲り渡していたとしても、女神にも見紛う麗しいかんばせに免じて、あなたを許そう」
 テレーズの顔を無遠慮なほどにじっと覗き込む。その美貌に、王は少し酔っているようだった。先までの冷酷さとは打って変わった、しかしあからさまに不遜な優しさを込めて、とうとうと言葉が紡がれる。
 やがて視線を外すや、王はすぐに踵を返した。唐突さを感じるほどに、淡白な動きだった。
「テレーズさんを、捕らえておいてください」
 テレーズに背を向け、自らが率いてきた軍勢に小さく告げる。さしたる感情もなく零された王の命。それに万余の軍勢が一瞬揺れた。テレーズを拘束するために動いた兵士は、王の声の掛けた近くにあった数人だ。それでも万にも及ぶ軍勢全体に、王の命を遂行するためその瞬間緊張が走ったことが、広場にいた全ての者に感じられた。
「ジューヌさま、助けて!」
 しんと静まった民衆の中から、唐突に悲鳴が上がる。知った声だと思って目を向けると、また唐突に、鈍器で何かを打ちつけるくぐもった音が、静まり返った広場に響いた。

 ヴィルトールの公子が、酷いことを。言ったのだ。
 人壁に遮られ本物を見られないシシルは、しゃがみこみ、役者の増えていく人形劇を眺めていた。黒王子は将軍の人形のもとによるや、脈絡なく将軍の脛を蹴って、すっ転ばせた。次に生えていた自分の背丈ほどの、鋭い形の雑草を千切り取ると、ふんぞり返ってその草を掲げた。剣に見立てているらしい。遠くから聞こえる、アンドレの静かな台詞で実際に起こっている情景をなんとか想像するものの、劇だけを見てもさっぱり意味がわからない。やがて黒王子は、シシルの母、テレーズの人形の元に寄る。その一場面はジューヌの人形劇にしてはとてもよくできていた。遠くから聞こえる台詞の声は、低く冷たく、母テレーズの声は、らしくなく動揺して、震えていた。草の葉の剣を振るい、テレーズの人形を脅しつける黒王子の動きは真に迫っていて、たかが人形劇で背筋がひんやり冷たくなる。
 ヴィルトールの公子は好奇心いっぱいの様子で、シシルの隣りに座り込んで黒王子の大立ち回りに見入っていた。
「そう、あれは皇帝だ。僕は、リリアン・ド・ヴィルトール。あんた、ラウランのお姫様。雪十字が地に落ちても、あんたが貴族のお人形さんだということは変わらないし。黒鷲の家訓を破ったって、僕は黒鷲でなくなるわけじゃない」
 独り言だろうか。黒王子から視線を離さないリリアンがいやにしんみりと言うもので、シシルは少し戸惑った。シシルは侮辱され、ジューヌは誤解されている。憤るべき、見解のはずだ。
「……あたしが無力なのも、あなたがろくでなしなのも、事実だと思う。でも、あのジューヌさまは、本物じゃない」
 結局勢いもつかず、リリアンの台詞をなぞっても、はっきりと怒る場所が見つからない。シシルは少し諦めた心地で呟いた。自身は差し置くとしても、ジューヌのことは反論したい。
「偽者? だとしたら、それはそれで見事だ」
「違う、本人だけど」
 リリアンの合いの手に、軽口の調子が戻っていた。気持ちを構え直して、シシルは言葉を探してみた。
「ジューヌさまは、王さまを演じているだけ。本物のジューヌさまは……」
 優しくて領民思いで少し気弱で、それなのに命を懸けてまで、シシルを守ってくれる。そんな人が、おそらくシシルのために、無理して王を演じている。口にすると過分に自惚れが混じってしまいそうでシシルが言い淀んでしまったところ、リリアンがすかさず言葉を継いできた。
「冷酷で自分本位で、世界を蔑んでいる」
「違う!」
「違うかなぁ。まぁ、僕よりあんたのほうが知っているんだろうけど」
 鋭い草を剣に見立てて振り回し、小型ナシャを脅してみせている黒王子のとぼけた顔を、リリアンは強く突付いた。黒王子はよろめき不自然に半回転したが、すぐに立ち直って何事もなかったように、小型ナシャの頬に葉っぱを押し付けた。
「でももしこれを善人だとでも思っているなら、それはあんたの勘違いだよ」
 調子に乗って、再度伸ばされたリリアンの指を、黒王子は今度は草の剣で振り払う。斬り付けられたリリアンの指先は、怯んだように引き下がった。
「ジューヌさまは、優しくてあたしをいつも守ってくれて……」
 リリアンの丸みのある人差し指の腹に、細い紅の線が滲む。眉根を寄せ、不機嫌そうな表情になったリリアンは、指の傷を口に含んだ。
「でも、そのジューヌ様は本物じゃない」
 一呼吸の間行儀悪く指をしゃぶったリリアンは、誰かの口真似をしてみせた。空気に晒した指先の傷は数瞬消えていたが、ややもするとまた、紅が滲み出してくる。
「あんたの前だけの、偽者」
「……なんで」
 なぜ、反論の言葉が出ないのだろう。シシルの唇は、間の抜けた言葉を一言発するのがやっとだった。
 リリアンはおもむろに立ち上がると、無造作に人形たちを蹴り払った。黒王子も、将軍も、小型ナシャも、為す術もなく蹴り飛ばされたり踏みつけられたりしてしまい、せっかくの人形劇が台無しになる。
「自分勝手な黒王子は、大事なお人形を壊してしまうのが怖かったのです。冷酷な彼は、民を、国を、師を、弟を犠牲にしてまでも、王様になって、お姫様の気を引こうとがんばりました、とさ」
 軽口めいて語り口調を作り、リリアンは無残な舞台を勝手に幕引きさせた。シシルは大声で叫んで、ジューヌに助けを求めた。
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