ポドールイの人形師

6−6、恋煩い

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 リリアンが目を覚ますとまず頭に鈍痛を感じ、やがてその痺れるような痛みが、体中に拡がっていくような感覚を覚えた。覚醒するに従い、鈍い痺れだった痛みが、焼けるようにはっきりしてくる。痛みを押して身を起こすと、そこはどうやら石牢だった。暗くじめじめとして、わずかに饐えた河の香が漂っている。
「おはようございます」
 見やると格子の向こう暗がりに、ひどく美しい陶人形が佇んでいた。反射的に、リリアンは牢の奥に退った。嫌な感覚が、ふとよぎった。
 朦朧とする記憶を辿ってみる。そう、ラウランの姫君の勘違いを指摘してやったところ、姫君が突然叫び出し、すると前に陣取っていた人形が、振り向いて頭突きを放ってきたのだ。なぜ急に襲われたのだろう。ここはどこだろう。頭痛の元凶と、意識を失った理由は思い出したが、なぜ自分は体中まで傷だらけなのだろう。
 リリアンは意識的に口元を引きつらせ、黙って人形に、視線を定める。暗がりの中、返される翠の双眸は茫洋として、感情を映さずリリアンのことを眺めている。それでもしばし、リリアンが笑顔を造って睨み付けていると、やがて根負けしたように、人形は口を開いた。
「平気ですか?」
「……ダメ」
 言葉を捜すことを放棄したような問いに、リリアンも相応に返してみる。なにもかもが、ダメだった。
「よかった、打たれ強いですね。シシルさんが心配していたのです。あなたが黒鷲の人だと知れると、民衆はみんなであなたを蹴ったり殴ったり。業は案外、返ってくるものなのですよ」
 人形には表情がなく、口調はまるで軽い世間話でもされているようだ。恐ろしく惨いことを言われていると思う。それがまるで他人事のように、言葉はリリアンの右の耳から左の耳へとすり抜けていきそうになる。
「酷いな。農奴たちに袋叩きに合わされたんだ、僕」
「ええ」
 リリアンがあえて非難がましく呟くと、人形は硬質な表情を変えないままも、苦笑めかした声音で言葉を紡ぐ。
「シシルさんが、あなたを庇ってくれたのよ。限りなく優しくて、愛らしい子」
「否定はしないさ。あんたの場合、確信犯みたいだし。それに真実を教えたから、あんたは僕を襲ったの?」
 リリアンが訊ねると、人形は長い睫毛を瞬かせ、うふふ、と声だけで笑ってみせた。食えない人形だ。応える気のないのを見て取り、リリアンは一つ嘆息する。
「ここはどこ? 僕はどうなるの?」
「アルビの城の地下牢よ。外は今になって雨が降ってる。見つからない人の捜索や、亡くなった人の埋葬もあるから、しばらくここにいることになると思うわ」
 人形は端正な顔に表情を映さず、淡々と言う。なるほど、牢が異常に湿気っているのも道理だ。おそらくラフィセの謀った水計に、地下の牢など天井まで浸かったことだろう。それにしても彼女の口調は、凄惨な悲劇を、他愛無い日常のように錯覚させる。例えば笑顔で悪事を企む者の言葉を聞くが如く、騙されると、言葉の意味を取り違えかねない。
「あなたのことは、処刑することになると思うわ」
 こともなげに、軽く声だけの笑みまで零して、人形は付け足した。
「へえ」
 身構えていたにも関わらず、いやしくも黒鷲の人間だというのに、つられて相槌を打った自分に、リリアンは少しがっくりした。
「誤解しないでね、リリアンさん。あなたや、ヴィルトールの家の業に比較して、アンドレはあなたに、可能な限りのとりなしをしているつもりよ」
 翠の双眸に光は灯らず、流れる声音に抑揚はない。処刑の宣告と同じ響きで、どこか事務的な繕いの言葉が掛けられた。
 アンドレ、叛乱軍の立てる皇帝だ。感情の整理が追いつかず、リリアンは虚勢の笑顔を造ってみせる。大輪のヴィルトールの笑み。向けた陶製の貌に何かが映るはずもなく、その効果の程を知ることは適わない。
「あなたに、面会を望む人がたくさんいるわ」
 人形の言葉の意味を図りかね、リリアンはただ笑顔を保った。少し間を起き、陶人形は言葉を継いだ。
「ラウラン家の当主や、将軍。クリスチャン君もだし。ポドールイの民も、シャイヨーや、他の邦の人たちも。あなたたちの犯した業の数だけ、たくさんの人たちがあなたに会いたがっている」
 並べられたのは、リリアンやヴィルトール家に、恨みを持つ者たちだった。それが救いの活路を示す提示なのか、それとも単にリリアンの絶望を駆り立たせたいだけなのか、人形の抑揚ない口調からはそれすらも読み取ることが難しい。
「ラフィセ・ド・ヴィルトール。あと、カロルという女の子。この二人に逢いたいな」
 結局、詮索を放棄して、リリアンは人形にそう告げた。
「どうして、カロルさんに会いたいの?」
 気の無い調子で人形は訊ねた。おそらくはリリアンの真意を探っている。だが興味が無いのも本当だろう。笑っておけばあえて追求されることもない気もする。だがカロルに逢いたい理由は、ヴィルトールの秘め事とするには、あまりにそぐわないものだった。
「あんたは人形だしね。教えてあげよう。僕は彼女に、淡い恋心を抱いている」
 沈黙を挟み、やがて人形は声に出してくすくすと笑った。
「同情するわ。シファ・フュレー。リュック・ド・ラウラン。二人を呼んであげる」
 石牢の中、感情の少ない綺麗な声が、知らない名前と、嫌いな名前を響かせた。唇の端が引きつってしまうのを感じる。そんな名前の人間に逢いたくなどなかった。
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