ポドールイの人形師

7−10、金髪の皇帝

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 馬蹄は累々たる轢死体を踏み分けていく。剣で切り殺されたものではない。楯の列に押し潰されて殺されるのだ。敵が楯に押し潰されて殺されるのはもちろんのこと、前列で倒れた自軍の兵士も、後ろから来る味方の兵士に踏み殺される。楯の列に綻びを作るわけにはいかないため、倒れた者の穴を塞ぐために後ろの列の者が前に出ざるを得ないのだ。
 それは先の宰相、ジネディ・ド・ラウランの用兵だった。自ら剣を振るって攻撃的な用兵を行なう、将軍ラザール・ド・ラウランや元帥アンリ・ド・ラグナロワのように華々しい戦果は上げなかったが、その分一度たりとも敗北することはなかった。兄アンドレは忠実に、師の戦術を継いでいるのだろう。明らかに筒で撃ち殺されたと思しきプリィス人の死体も混ざっており、むしろアンドレの用兵の方がより、人間を人間として扱わぬ容赦のないものだったことが想像できた。
 惨景にも、シシルは顔色を変えなかった。発した言葉は、ロアンヌの皇帝は選帝侯が定めるものでしょう、と王権神授の思想に小さく異を唱えただけだった。少女の鋭い指摘は、場にはひどく馴染まなかった。
 シシルはミカエルの話を、神妙な顔をして咀嚼している。ナシャが静かなのが無気味だった。街を囲む、長い城壁が見えてきた。城門は開いていた。ラザールが私兵を率いて先発しているはずだというのに、戦闘の気配は感じられなかった。
 開け放たれた門の扉に寄り掛かる、真っ赤な長衣の人影が見えた。

「しばらくぶりね、お人形さんとお姫様」
 人形は先導のナシャだろう。それなら姫はシシルとなる。自分への挨拶はないようなので、ミカエルは魔女から目を逸らした。ろくな姿を見られていないので、無視してくれるならむしろありがたい。
「あたしは人形じゃありませんから」
 シシルが子供っぽく文句を言った。かわいそうにいつも人形扱いされるからであろう、意識が過剰になっている。今の場合シシルの役回りは姫君であろうに……
「お姫様? ちょっと、無視しないでよ」
 ミカエルがあさってのほうを見ていると、眼前で小さく爆発が起こった。驚いて魔女に向き直る。
「お姫様」
 凄むように睨まれる。ミカエルがおそるおそる自分を指差して首を傾げると、魔女は鷹揚に頷いてみせた。
「この軍の指揮官はお姫様、あなたよね。密告に来たのよ。トゥルクの軍隊が迫っているわ」
「とりあえず、俺はそう呼ばれるのが一番頭に来るんだ。あんたといえど、容赦はしないぞ。異教徒のことは知っている。援軍だ」
「まあ、強気なお姫様だこと。それにお人よし。この国が以前、その異教徒に施した仕打ちを知っている? あなたたちの神の名のもとに、国土を荒らし、民を殺し、財宝を奪い、異教徒の王女を人質に攫っていったの。戦争での出来事を責めるつもりはないけれど、異教徒があなたたちを助ける理由なんて、どこにあるの?」
 魔女は嫣然と微笑んだ。兄から施された憐れみの分だけの屈辱が、ミカエルの行動の原点だった。大事なものを奪い取ったローター王への復讐が、今のミカエルを支えている。屈辱は、晴らされなければならない。奪われたものは、取り返さねばならない。信ずるものに関わらず、それは人の人たる性だろう。
 かつてラウランとラグナロワは、悪魔狩りの筒を用いて、異教徒の国を容赦なく完膚なきまでに叩き潰した。ヴィルトールが、異教の国の聖なる姫君を奪い去り、ロアンヌの皇帝の妾となることを強いた。兄によく似た、異教徒の王の顔を思い出す。人好きのする笑顔で笑っていた。だが復讐は、王としての彼の権利であり、使命であろう。かつて自らの国が蒙ったように、このロアンヌの国土を焦土に変えねば気が済むまい。奪われた王女の代償も、異教徒の王は求めるだろう。
 ミカエルはそっと、シシルの横顔を盗み見た。端正な面差しが、強い視線でまっすぐ前を見据えている。すでに異教徒の王も、ロアンヌの二人の皇帝を虜にした、この眩い姫君の品定めを終えている。ミカエルは全軍に反転を命じた。迎撃の態勢を作らねばならない。大軍の体勢を立て直す。一刻を争う。
「ミカエルさま」
 ミカエルの反転の命令に、シシルがミカエルを向いて言葉を発した。どこまで、何を察しているのかわからない。精緻な造りの無表情は、自身の置かれた状況を何もわかっていないようでもあり、同時に全てを見通しているようにも見えた。
「あなたと仲直りが出来て良かったです。本当にありがとう。ここからは一人で先に行かせてください。どうしても早く、ジューヌさまに逢いたいの」
 翠の視線から、ミカエルは視線を外した。答える言葉は、浮かばなかった。『仲直り』など。もはや資格などないと自覚をしても、不服だった。礼を言われる覚えもなかった。想いの分だけ、傷つけた。シシルの行動は、ミカエルが制する領分ではなかった。
「大丈夫よ。城の中にはもう、蛮族の兵隊はいないわ。とうに逃げちゃった。シシルちゃん一人でも大丈夫」
 ずっと黙ったままの陶人形の顔の前に、魔女は手を翳した。ナシャは諦めたように、手綱を二本とも放してしまった。
 素直じゃないの。そう言って、魔女は小馬の綱を引っ張り、門の中へいざなった。
「ミカエルさま」
 シシルが再び、自分の名前をその澄んだ音に乗せてくれた。
ミカエルは自由になった手綱を絞り上げ、返答を待つシシルには目もくれず、白馬を異教徒の方へと反転させた。
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