ポドールイの人形師

7−11、お芝居

前へ | 次へ | 目次へ
 皇帝アンドレが、北の蛮人たちに占領された城に、一人で乗り込もうとしていた。皇帝の最たる臣である選帝侯家の当主として、リュック・ド・ラウランはついて行かせてもらうことを願い出た。返事はもらえなかったが特に拒まれたわけでもなく、それを許諾と解釈して、リュックは皇帝の突入に随行した。皇帝アンドレは強かった。プリィスの屈強そうな傭兵たちを、いとも容易く次から次へと切り払う。それに比べて、リュックは始終足手まといでしかなかった。
 皇帝アンドレが一人の赤毛の傭兵と切り結んでいる後ろから、服装からして将校格の青年が、隙を見てアンドレの後ろから斬り付けた。咄嗟にリュックは、皇帝を庇った。剣を差し出す余裕はなく、身体をそのまま楯とした。赤毛をいなすと皇帝はすぐさま反転して、リュックを斬り抜いた若い将校格を斬り捨てた。返す刃を体勢を失った赤毛の背面に突き立てる。一瞬のうちに前後の敵を片付けた皇帝は、倒れたリュックにほんの一瞥を送って、先へと向かった。

 頬に冷たい手が当てられた。カロルが目を開けると、小さなシシルが自分を見ていた。
 幾つくらいだろう、六つか、七つか。初めて引き合わせてもらった頃のシシルだった。少し目が霞み、お人形のように綺麗な顔が、はっきり見えない。
「シシル様」
 呼び掛けると、シシルがにっこりと笑ってくれたのが分かった。満開の華のような、可憐な笑みだ。
「カロル」
 不意に、低い穏やかな声で呼び掛けられた。聞くだけで涙の溢れるような、優しい声だ。
「……父様?」
 声の主を探した。視界がはっきりしない。だが確かな気配がそこにある。小さなシシルの後ろに、司教リュック・ド・ラウランがしゃがみこみ、カロルを見てくれているのを感じた。
「カロル。私の身代わり、ご苦労様」
 父が、言葉を掛けてくれた。
「父様! カロルです! カロル、がんばりました!」
「わかっているよ。さすが私の娘だ。そしてカロルは、神に愛でられた、風の精霊の娘だ」
 司教リュックは勢い込んだカロルに、半分呆れているように笑って言った。カロルは、十歳くらいの小さな女の子に戻っていた。
「父様の仇も討ちました! リリアンを殺しました!」
「……そう。よく、よくがんばったね」
 カロルは父の顔を見た。まだ靄の晴れきらない父の顔は、しかし少し辛そうにしているのがわかった。カロルの父は、そんなことを望んでいなかった。復讐のような、暗い執着心を、父はなによりも軽蔑していた。何をしているのだろう。黙っていればよかったのに。
「ごめんなさい、父様。カロル、父様が死んでしまって、独りぼっちで。父様の復讐をすることしか、生きる理由が見つからなくて。ごめんなさい。父様がカロルにそんなことを望んでいないのは、分かっていました」
 父は言葉を捜しているようだった。その沈黙が、カロルを余計に不安にさせる。
「……カロル、愛しているよ」
 慰めも、叱責も、失望も省かれて、静かな優しい声だけが降ってきた。もう期待すらもしてもらえない。父に見限られた気がして、カロルは焦った。
「カロル、父様と一緒にいたいです!」
 父は悲しそうに顔を歪めた。つられてカロルも泣きたくなった。もぞもぞと、温かいモノがカロルの膝に潜り込んだ。
「シシル様」
 こんなに甘えたシシルを見るのは久しぶりだ。二束に流された髪の一房を、右手で捕まえ梳いてみる。こんな髪形をしていると、幼い主が余計に子供っぽく見える。さてシシルは、こんなにくせっ毛だったろうか。シシルは迷惑そうに顔を顰めると、拙い手つきで空を探って、やがてカロルの右手を捕まえた。小さな指がカロルの手をなぞり、やがて薬指の石に行きつく。
「ダメです、シシル様。危ないですよ。指環にはまだ、毒が残っています」
「カロル、この指環持っててくれたんだ。リリアンさま、地獄で喜んでると思う」
「……違います。これは父様の形見です!」
 かわいい主の口から、そんな酷い言葉を聞くことになるとは思わなかった。カロルは右手を引こうとしたが、シシルにギュッと掴まれ、放してもらえない。
「カロル、私と一緒に行こうね」
 父が膝を付いて、カロルを抱きすくめてくれた。
 シシルの冷たい小さな手が、カロルの指を拳の形に仕舞ってゆく。薬指を抑えられると、掌に針の刺さる痛みを感じた。毒は、心地よい酩酊として拡がっていった。苦しみの感覚は、まるでない。
 父に抱きしめてもらって。シシルを膝に抱え。父がそっと、カロルの唇に口付けた。夢のような、非現実的な安堵感に満ちていた。

 シファは死体の膝の上に登ったまま、まだ温かい彼女の胴に抱きついて頬を埋めた。鼓動を止めた彼女が崩れないのは、上半身を支えられているからだ。
「ラザールさま、やめて下さい。悪趣味極まりないです」
 小さく唾液の剥がれる音がして、ラザールが彼女の頭を解放したのがわかった。
「わかるのか、目が見えないのに」
 ラザールがやましげに零す。隠す気などあるのだろうか。ラザールが自分の唇を拭う小さな舌なめずりの音まで、つぶさに聞こえた。
「そういうご趣味だったのですね」
 ごまかすように大きな手が、シファの頭の上に伸ばされる。本気で汚らわしかったので、シファは頭を振って拒絶した。
「別に、こんな世間知らずの痩せっぽち、俺の趣味じゃないよ。カロルもシシルも、俺にとってはどんな大きくなっても、チビたちに過ぎない。ただ、リュック兄になりきっていたら、不意に衝動が抑えられなくなった」
 彼女の体型や年齢の問題ではなく、死体に欲情するのですね、くらいの意味だったのだが、シファは追及しなかった。
「じゃあ死んだ司教様が、悪趣味だったのですね」
 唾を吐く音が聞こえた。あからさまにあてつけた、大きな音だ。ラザールの心の中を、激情が渦巻くのが感じられた。司教への侮辱にラザールは容易く憤慨している。
「……芝居に付き合ってくれて感謝してる。たいしたもんだよ、全くかわいくないガキだ」
「どういたしまして」
 演技の巧いのはラザールのほうだった。単純でお調子者だったり、その実計算高い皮肉屋だったり、ラザールの性格は簡単に見えて普段からかなり複雑で読みにくい。だが彼女に接したときのラザールは、演技を超えて別人だった。冷酷な魂が、一途に少女を愛していた。心の芯が冷ややかな分、その深い愛情が凄絶に見えた。
「わたしも、兄様の仇をこの手で殺すことが出来ました。感謝してます」
 俺はおまえが怖いよ、とラザールは軽口のように言った。シファは心の中で、同じ言葉をラザールに返した。
前へ | 次へ | 目次へ
Copyright (c) 2006 Makoku All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-