ポドールイの人形師

7−6、探し人

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 迎えに来たのはナシャだった。轍のすれ違う広い街道の正面から、道の真ん中を歩く陶人形の姿が徐々に大きく、精緻な造りがしだいにつぶさに見えてくる。
「シシルさん」
 勝手をして叱られるかと思った。思わず首を竦めかける。しかしジューヌには言わなければならないことがあった。ナシャの背後には、ジューヌの影がある。シシルは意識的に眉根を寄せ、できる限りの憎たらしい顔をして陶人形を睨みつける。そして次にはフンとそっぽを向いて、無視してやった。道を避ける譲歩すらせずに、立ち尽くす人形のすぐ脇をシシルは行過ぎる。匂いのないナシャの乾いた金の髪が、風に揺れてシシルの頬をふわりと掠めた。
「シシルさん、待って」
 行過ぎた背後から、状況にそぐわないのんびりした声で呼び止められた。怒っている様子ではない。少し気の強くなったシシルは、五歩ほど反応せずに歩みを進めた。十分に距離を取ってから呼び掛けに振り向く。睨みつけるように見回すと、クリスチャンらシシルのあとをついてきていた子供たちが、一斉に怯んだように動きを止めた。腕を振りあげたまま、足を差し出したままの姿勢で、長く伸びたみんなの影法師が固まっている。ナシャの影はわずかに首を傾げ、斜陽に伸びた人差し指を自分の口許にあてていた。聞き分けのない子に困った風な風情だった。
 振り返った側が多勢で、しかも皆が皆、シシルに気兼ねしているような空気がある。お蔭ですっかり、シシルは自分が悪者のような気分になった。
「ジューヌさまとお話させてください」
 もう引くに引けない。挑むような、強い語調でシシルはナシャにそう告げた。ナシャは考え込むように、しばし俯きぎみに目を伏せる。しかしやがて口許から指を下ろすと顔を上げ、影まで写す長い睫毛をぱちくり揺らすと、真っ直ぐにシシルの視線を見返してきた。表情を映さぬ翠の眼差。見竦められて、シシルのほうが顔を逸らしたくなってしまう。
「わかりました」
 陶人形はゆっくりと、首を傾げた。
「ジューヌはシシルさんに逢うわ」
 表情のない陶人形の声が、少し笑っているように錯覚する。張り詰めたものが不意に途切れ、子供たちが数人、静かに息をつく音が聞こえた。
「……連れて行ってください」
 そう言いつつ。心の内を悟られぬよう、シシルは慌てて陶人形に背を向けて、ナシャより先に歩みを進めた。

 花の咲く木の陰からジューヌの待つであろう都までの道のりは、大きな街道がほとんど一本道に走っていた。ナシャの案内などなくても、迷わなかったかもしれないと思う。だがナシャがいなければ、途中で不安になっていたかもしれない。都の城壁に沿うように設けられた前線の宿営地にようやっと着いた時には、すでに太陽は地平の果てに姿を隠し、深い黄昏の帳が降りていた。ナシャのわがままに付き合って、何度も休憩を取ったのにも関わらず、足は棒のように疲れている。
 想像以上にみすぼらしい、布張りの天幕を貼り合わせただけの小さな小屋が、たくさん並んでいる。見張りはいない。灯火も一つとして燈らず、戦場の宿営地は、無気味に静まり返っていた。
 ナシャに手を引かれて連れて来られた小屋の中から、小さな人影が現れた。小さな燭に火を点し、淡々とした足取りでシシルのもとへと歩み寄ってくる。下方から揺らめく光に照らされる顔の部分には、赤白のとぼけた仮面が被せてある。状況にそぐわない非現実的な存在に、お人形、シシルは思った。
「わたしはアンドレ陛下です」
 手前まで来るや、仮面がシシルを仰ぎそう言った。声音は幼い女の子のものなのに、口調は怜悧でどこか達観していた。シシルは手を伸べ仮面を取った。亜麻色の髪の女の子が、虚ろな紫紺の瞳で、じっとシシルを見上げていた。
「アンドレ陛下の偽者です」
「ジューヌさまはどこ!」
「奥に、いることになっています」
 小さな女の子を相手に、シシルは少し語気を荒げてしまった。シファの物言いは少し引っ掛かったが、大人気ない自分に少し後ろめたさを覚え、シシルは黙って仮面を返した。シファは心許ない手つきで仮面を受け取ろうとし、取り落とす。
「シシルさまの皇帝陛下は、もうおりません。今いるあの方は亡霊です」
 物を捉えぬ視線が緩慢に、地面に落ちた仮面を追う。俯いたシファの頭をシシルは撫ぜた。ジューヌは変わってしまった。だけど亡霊などではない。逢って話せば、きっと取り戻せるはずだ。
「それでも愛する人が、どんな形であれ存在してくれているというのは、うらやましくも思います」
 続いた小さな女の子のませた台詞に、シシルは思わず苦笑を零してしまった。裏返しになった仮面を見据える、紫紺の瞳は哀しげだった。リリアン・ド・ヴィルトール。その名の青年が亡くなったことを思い出し、シシルは慌てて笑みを飲み下す。ポドールイの雪原で、この子に初めて会った時、ラフィセ・ド・ヴィルトールと、同じ家名を少女は名乗った。
「彼は罪深い人だったわ、司教さまを殺したの。卑怯な上に、意地悪だったし。でも死んでしまうなんて、とても嫌だね」
 シファは黙ってシシルを見上げ、可憐な造作に似合わない、ひどく大人びた笑みをにっこり浮かべた。造り笑顔なのは一目で知れた。ごまかして、一切の詮索を拒否していた。追究はせず、シシルは女の子の後ろの小屋へと向かった。

「おう、シシル。俺様がジューヌだ」
 入るや偉そうに、赤白の仮面にそう言われた。動物臭さがこもっている。天幕の中にも関わらず馬がいて驚いた。少しずん胴な葦毛の馬だ。アルビから馬車を引いてくれていた、四頭のうちの一頭だった。地べたにあぐらをかいた仮面の男の手ずからに、葦毛の馬は干草を食んでいた。馬の食事の音が響いている。大柄な男の仮面の後ろからは、硬そうな赤毛が覗いていた。
 馬を駆って、先回りをされたらしい。シファがいたことにも、説明がつく。シシルの方が先に発ったことを思うと、むやみに腹立たしい。
「ラザールさま、ジューヌさまに会わせてください」
「俺が、ジューヌだ」
 シシルはつかつかと偽者のもとまで歩み寄ると、力いっぱいほとんど叩くような勢いで、乱暴に赤白の仮面を奪い取る。人を食った笑みを浮かべる、向こう傷の赤ら顔が現れた。
「カロルを人質に取られていてな、ジューヌを演じるよう強要されている」
 ラザールにただ一瞥を送ると、問答もせずに視界から外した。話にならない。シシルは背後の人形に向き直った。ジューヌに逢わせてくれると言ったはずだ。この茶番は、どういうつもりなのだろう。
「シシルさん。頭の悪い役立たずの方は放っておきましょう。あとでジューヌが適当に処分しますから。本物のジューヌは別の小屋にいます」
 悪びれさえもせず、ナシャの口調は有無も言わさず、淡々としていた。往生際悪く隠れ続けるその人を、人形を通して、シシルは強く睨みつけた。
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