ポドールイの人形師

8−1、蒼い幻影

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 壊れた人形に残った、蒼い魂の残滓に、魔力を込めて幻を映した。

 春の人形館。ポドールイはまだ雪の溶ける季節ではなく、白銀の輝きに包まれている。
 規則的な軋み声を上げて勝手に扉が開く。眩い雪の光を背に負って、三つの人影が立っていた。暗い館に漂う埃に反射され、雪の放つ光はきらきらと撒き散らかされる。姿を現したのは、銀の鎧の弟皇子。大剣を佩いたジュダの黒騎士。将服に黒鷲の紋を入れたヴィルトールの公子。
「おい、アンドレを出しやがれ!」
 皇子が怒りの形相で挨拶も抜きに叫んだ。鋭く美しい顔にあいまって、凄むと迫力があった。階段の上には、踝近くまで淡い滑らかな金糸を流す、ドレスの女性が端然と立っていた。可愛らしい顔立ちの背の高い女官を従えているが、その存在が背景のように霞んでしまう。それほどに、金髪の女性の美しさが際立っている。よく見ると、記憶にあるよりも大人びた顔立ちになっている。だが細い身にはゆったりしすぎたドレスを着せられ、一見年齢よりも幼く見えた。気難しそうな無表情から、複雑なドレスの飾りから指先の造作まで、なにもかもが精緻に過ぎて、凝った陶人形かと思ってしまう。だがやがて白い眉間が不機嫌そうに顰められ、彼女がやはり生きた人間だということが知れる。
「皇帝が離宮を持つことは認めよう。こんな不気味なボロ屋敷を宮殿などとは到底呼べないが、どうでもいい。息抜きも必要だろうさ。だがな、即位して一週間で都を逃げ出し、それから丸五年ずっと人形館に篭っている。プリィスとの戦争があった。異教徒との戦争もあった。その間おまえは何をしていた。いやしくも皇帝だろう!」
 弟皇子が、最後には声を掠れさせて叫んでいた。皇子の言うことが事実だとしたら、なんと情けない皇帝だろう。
「殿下のご意見はごもっともです。皇帝として、国のため民のため、為さねばならぬ使命はいくらでもあるというのに。あたしも探しているのですが、姿が見つかりません。道化の姿にでも身をやつし、おそらくふもとの村落にでも逃げ出したのでしょう。もう正体もばれていますのに。子供たちにからかわれる姿が目に見えるようです。情けない……」
 愚痴を零しているうちに、人形のような女性も怒りを募らせ始めたようだった。厳しい翠の眼光が、唐突に弟皇子に据えられた。
「陛下の体たらくにも関わらず、東では元帥閣下とラザールさまが、見事異教徒の侵略を打ち払ったとか」
 女の双眸は薄められ、言葉にはなぜか悪意が篭っていた。黒騎士がずいと弟皇子の前に出た。
「妃殿下、言わせていただきます。プリィスに敗北を喫したのは、決してミカエル殿下の指揮官としての失策ではございません。阿呆のリリアンめが眠り薬を……」
「おい待て、ローゼンタール。人聞きが悪い。僕は戦いに備えて兵士を安眠させてやろうという名目で、夕食に眠り薬を入れて実験してみただけじゃないか。夜襲なんて卑怯なまねをするプリィス王が……」
 黒騎士が、ヴィルトールの公子を殴った。弟皇子が屈辱に、顔を俯かせて肩を震わせている。ドレスの女が『妃殿下』と呼ばれているのが、おかしかった。少し機嫌を直した様子の妃殿下は、子供っぽく意地悪な表情で視線を外し、笑みが零れるのを我慢しているようだった。
「と……、司教様」
 意地悪なお妃の威光に存在感を霞ませていた女官が、突然に声を発した。視線は三人組の背後に抜け、女官は少し遠くを見ている。皆で一緒に彼女の視線を辿ると、玄関口には黒衣の聖職者が訪ねてきていた。
「カロル、ではなく王妃付きの侍女様、お久しぶりです」
 司教が揶揄の篭った畏まった挨拶をすると、侍女は頬を紅潮させて顔を俯けた。
「お久しぶりでございます、……父様。ちょっと言い間違えただけですのに。皆さんのいる前で、ひどいです」
 侍女が恨みがましい呟きに、司教は怜悧な面差しに、一瞬誰かと思うほどの、蕩けるような優しげな笑みを浮かべていた。
「シシルもひさしぶりだね」
「つ、ついでみたいに言わないでください」
 素っ気無く付け足された自分への言葉に、王妃は侍女の背後に半分身を隠し、少し怯え気味に文句をつける。黒衣の司教は、やはり優しげな――しかし形容するなら、凍り付くような類の優しさの――笑みを浮かべ、申し訳ありません王妃様、と取り繕った。
「見つけたわ、アンドレ!」
 突然階上扉の奥から高笑いが聞こえた。魂の主に抗議をしたい。こんな高笑い、絶対にしない。続いて爆発音が聞こえる。一発ではなく、二発三発。理由もなく、魔法を暴発させたりはしない。これではただの破壊活動だ。
 怒り心頭になり、魂の残滓の依り代だった人形を、魔女は掌の内で爆破した。

 こっそりと拾って直した、R侯爵の人形を再び壊してしまった。なんて不確かな幻だろう。穏やかな平和を望んだのか、独り善がりな野心があったのか、未だにその心情を掴めない。娘を王妃に、息子を皇帝に、夢というには物騒だ。だが描かれた幻想は、野望というには幸せ過ぎた。
 とにもかくにも、蒼い魂の描いた未来に自分の存在を確認できて、魔女は薄く苦笑を浮かべた。
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