周瑜嬢

7、ユーコさんの意見は誰も訊いていないのよ(byリョーコ)

「ちょっと、あんた!」
「なにかしら、尚香ちゃん」
 店まで連れて来てもらうなり、突然尚香がリョーコに食って掛かった。リョーコは泰然自若の表情で、扇子を広げて口許に当てながら、おっとりと尚香をあしらう。
 隆中バス停付近は、江南町と同じように静かな水田地帯であった。刈り入れの終わった裸の田圃が、一面に広がっている。周瑜はリョーコの案内のままに、尚香は怪訝そうな顔をしながらも、二人はリョーコについていき、行きつけだという洋服店に辿り着いたのである。
 ファッションセンターしまむら。『ファッション』は服装の最新流行、『センター』は中心を意味する。その名称にふさわしく、田圃の真ん中に立つ店舗は巨大で、品物は店先にまで溢れていた。
 この世界の服装の最新流行の、それもその中心を名乗る店なのである。確かに、ドアラとトラッキーの周瑜には敷居が高い。
「ユキさん、こんな馬鹿置いて、河北町のデパート行こっ!」
 デパート。デパートメントの略だろう、全体の一部、組織の一区分という意味である。英和辞典で覚えた原語からは正確には意味が取れないが、ファッションセンターの対極にあるものなのだろう。この世界の、そして女の服の初心者である周瑜には、ファッションセンターは荷が重いと尚香は気を遣ってくれているのだ。なんて優しい子なのだろう。
 しかし巨大な試練を前にしたからといって、それを避けて簡単な道を選ぶのは、周瑜の信条に反していた。
 孫策と共に挙兵した時、そんな危険なことをせずに大人しく袁術に従うよう諭すこともできたのだ。赤壁で巨大な曹操軍が攻めてきたとき、周瑜の決断で戦うことなく降伏することもできたのだ。
 ここでしまむらに屈しては、それらの命懸けの戦いを、周瑜を信じてくれた主君らを、共に命を懸けてくれた仲間や兵士たちを、全てを裏切ることになるだろう。ひいてはそれは、元の姿になって元の世界に戻るという、今の周瑜の悲願にも背を向けることになるような気がするのである。
「ありがとう、尚香ちゃん。でも私、例え分を弁えないことだったとしても、しまむらに乗り込むよ」
「そんな、ユキさん……」
 尚香が泣きそうな声で、周瑜の革ジャンの袖を引っ張る。振り返ることはせず、周瑜はしまむらのガラスの自動扉を見据えた。
「かわいいブランドものとか着せたかったのに……」
「ありましてよ、しまむらのプライベートブランド。お子ちゃまには早いかしらね」
「そんなのブランドに入んないよ!」
 尚香とリョーコの諍いなど耳に入らず、周瑜はやんわり尚香の手を振り払うと、一人しまむらに歩を進めた。


 店内に入ると案の定、周瑜はまったく太刀打ちできなかった。
 所在無く店内に立ち尽くす。女物の下着売り場など、目のやり場すらなく、おろおろしながら尚香とリョーコに引っ張りまわされるだけだった。試着室にすら入れてもらえず、Tシャツの上から次々に綿や絹の胸当てを当てられる。
「こっちのスポーティーなののほうがいいと思うけど。別に見せる趣味もないでしょ」
「オシャレは中身からでしてよ。こっちのフリフリのにしなさい」
 どちらかというと、周瑜は尚香の持ってくる胸当ての方が良かった。しかし品物を直視することすらできない周瑜に発言権があるはずもなく、尚香の選んでくれた『シンプル』な下着と、リョーコが選んでくれる『ゴージャス』な下着が、半々の割合で籠の中に放り込まれる。『ブラジャー』と一緒に籠の中に放り込まれた、紐のような『パンティ』を盗み見る。こんなのを穿くくらいなら、策のトランクスを穿いていたい。
 下着売り場からレディースの洋服売り場に移動して、周瑜はようやく人心地ついた。秋色の少しくすんだ色合いの洋服が、人型の石膏人形に着せ付けて飾ってある。近づいて見ると、石膏よりは軽い素材らしい。
「尚香ちゃん、これなんでできてるの?」
「マネキン? なんだろ、わからないけどプラスチックじゃない?」
 プラスチック。任意の形に加工、成型できる合成樹脂である。なるほど、こんな精巧な人型を量産することもできるわけだ。このマネキンをたくさん並べれば、敵の目を欺く囮部隊を作ることができるのではないだろうか。
「そんなことよりさ、お洋服、どっちがいい? あたしユキさんは絶対、カッコいい系がいいと思うの」
「かわいらしさを強調したほうがいいと思うわ。ユーコさんはこっちのカジュアル系のほうが似合うと思うの」
 洋服のほうは下着よりも値が張るらしく、ぽんぽんと籠に投げ入れるというわけにはいかないらしい。下着売り場から脱出して、周瑜も少し精神が回復していた。尚香とリョーコがそれぞれ選んできてくれた服を、周瑜もそれぞれじっくり吟味して、意見を述べた。
「尚香ちゃんの持ってきてくれた服は色合いは好きだけど、スカートが短くて露出が多いかな。今の季節寒いし、何より恥ずかしいよ。リョーコさんの服は帽子付きというのが画期的で暖かそうだけど、スカートのりんご柄はいただけません。子供っぽいです」
 周瑜の発言に、尚香とリョーコは、突然揃って険悪な様子で眉根を寄せた。尚香に至っては、はあ? とあからさまな声まであげる。
 リョーコがコホンと、閉じた扇子を口許に当てて、咳払いをしてみせる。
「ユーコさんの意見は、誰も訊いていないのよ。ユーコさんは大人しく、わたくしたちの持ってくる服を着てみてくれればいいの」
 あんなにリョーコと対立していた尚香も、腕を組んで周瑜を睨み上げて、うんうんと頷いている。
 遅ればせに、周瑜は初めて気付いた。味方だと思っていた尚香とリョーコも、実は敵だったのだ。泣きそうになりながら、周瑜は更衣室に追い立てられる。
 そのままたっぷり三時間、周瑜は着せ替え人形扱いされたのである。
 結局それぞれが選んだ二着ずつを購入して、周瑜は家路に就いたのだ。
 リョーコは満足げで、尚香も店に不満を垂れつつも幸せそうだったが、周瑜はただただ疲弊した。


「ユキさん、あのリョーコって人、気をつけたほうがいいよ」
 リョーコと別れたバスの中、尚香がぼそっと囁いた。確かに今日のリョーコは酷い人だった。尚香と二人がかりで、周瑜をおもちゃにした。しかし本来は、聡明で優しい女性である。リョーコのそんなところを尚香に見せることができなくて、周瑜は少し残念に思う。
「それはそうと、今度二人だけでショッピングに行こうね!」
 突然尚香が周瑜の腕に手を絡め、かわいらしい小悪魔の笑顔でそんなことを言ってきた。
 こんな目にまた合うくらいなら、ドアラとトラッキーで充分である。
 愛想笑いも忘れて、周瑜はふるふると首を横に振った。
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