ポドールイの人形師

4−7、王への平伏

前へ | 次へ | 目次へ
 ラフィセとロセンサルは、シシルたちの足跡を辿って追いかけた。だが間に合わなかったらしい。すでにシシルたちはラウランの反乱軍と合流してしまっていた。雪十字の紋の入った楯を持った者たちに護られて壇上にシシルがいると、ロセンサルは言った。
 叛乱軍の集会らしい。静かな雑踏が聞こえる。広場にはたくさんの人がいるようだ。兵士、農民、老若男女、あらゆる人間たちが混じりあっているという反乱軍の集会に、軽くロセンサルに片手で抱えられてラフィセも人々に潜り込む。農民に紛れるために鎧を脱いだロセンサルからは人肌のぬくもりが感じられたが、それでもふわふわのシシルと違って、硬かった。
 大勢の沈黙の呼気を縫って、雪野で耳元に聞かされたと同じ、美しい声が流れてくる。
「……レティシア・フュレー、シファ・フュレー、オレリー・モーリス、ジャン・ケール」
 高く響く抑えた旋律に乗せられる、滔々と流れる名前の羅列に、深い感情がこめられている。
「侯爵ジネディ・ド・ラウラン、シャイヨー司教リュック・ド・ラウラン。先のシャイヨーにおける戦い、そしてポドールイにおける戦いで天に召された尊き魂たちを、深く悼みます」
 高く澄んだ声が、ラウランの亡き指揮官たちの名を呼び上げ、会場は静かな嗚咽に包まれた。この抑揚のない旋律に、溢れる人たちが同じ感情を抱き、会場は一つになっている。なんと響く声であろうか。見えない目に、唄うように名前を紡ぐシシルの姿が浮かぶようだった。畏ろしく美しく、高貴な姿。
「ひどいものですね。悪いのは、わたしたちの方なのでしょうか」
 期せず心動かされたラフィセは、自嘲気味に呟いてみた。
「そうかもしれませんね……」
 ロセンサルの声のしたほうをラフィセは見上げる。落ちてきた音はひどく虚ろだ。黒騎士が、空気に、シシルの声に呑まれている。重症だ。
 犠牲は皇帝側のせいだけではないだろう。戦争は一人でできるものではない。そもそもシシルに、それを非難するだけの権利があるのだろうか。いまもって何も知らない女の子。あの様子では、戦争を見てすらもいないだろう。だがシシルの言葉は、真理や感情を飛び越えて、ロセンサルやラフィセの心までも揺るがせた。皇帝陛下に、必死にラフィセの兄に懇願させてまでも求めさせる。気高さと、どこまでも汚れなき、侵しがたい純粋さ。これがシシルの力なのかもしれない。


 クリスチャンは一人、街道を下ってシャイヨーに辿り着いた。ポドールイの村人たち、シシルと道化が出立するのを見計らい、しんがりにポドールイに舞い戻ったのだ。
 徴兵にかからなかった年齢の子供たちを組織した『ポドールイ自警団』を率いて、邦境の街道を張っていた。怪獣みたいな黒いジュダ人がやってきて、ボコボコに殴られた。毒使いの幼児を連れていて、副団長のガストンが殺された。ガストンは卑怯で嫌いな奴だったが、殺されるいわれはなかった。自警団は散り散り勝手に逃げてしまった。気絶するほどに殴られたのに、起きてみるとさほど痛くはない。痣だらけの体は、問題なく動いた。相手を殺す気で向かったのに、ガストンは死んだのに。ジュダ人は剣を抜かず、自分だけがこんなに手加減されたことに、どうしようもなく腹が立った。
「伯父上たちの遺志を継ぎ、ラウラン家党首、このリュック・ド・ラウランが、偽帝ミカエルを倒す事を誓う。ポドールイ、シャイヨー、両邦の民よ。私とともに、戦ってくれるだろうか」
 高い声が響いている。人ごみの果ての壇上から声を張り上げる、細い人影が見て取れた。弱そうだ。あれでは悪の親玉の皇帝どころか、怪獣みたいなジュダ人にも、頭に笑顔のこびりついて離れないヴィルトールのリリアンにも、絶対に敵うまい。
「待て!」
 叫ぶと、クリスチャンのぼろぼろの様相が効を奏したのか、人ごみが割れ道が自然と開かれた。皆が押し黙る中、クリスチャンは壇前に進み、リュックと名乗った青年を見上げる。線が細く、下手をすると女に見える。
「当然皇帝とは戦う。だが悪いが、お前みたいな弱そうな奴を大将には認められない」
 クリスチャンはリュックに剣を向けた。
「試させてもらう」
 リュックは女の子のような大きな瞳を瞠り、呆然とした顔でクリスチャンを見下ろした。聴衆の、ポドールイの住人の占める一角が、どっと笑い声と一緒に沸き上がった。

 降って涌いた座興だった。シャイヨーの住人たちを後ろに追いやり、眺めの良い席はいつの間にかほとんどポドールイの村人たちが占領していた。シャイヨーの民は規律正しくおとなしい。ポドールイは、根っからお祭り好きな土地柄なのだ。
 審判、進行を買って出たのは、ラザールだ。シシルの叔父のラザールは、ラウランの人間には珍しい、あえて騒ぎを大きくしようとする種類の人間だった。成り行き上木刀を握らされたリュックが、無理やりクリスチャンに対させられて構えている。巻き込まれて座興の特等席に座らされたシシルに、変な顔をしてリュックは視線を送ってきた。
 心中は察する。だが村人たちとラザールは大いに乗り気であり、クリスチャンも血気盛んだ。リュックには悪いが、ここで止めに入るのも子供の諍いに口出しするようで気まずく、シシルは視線を逸らしてしまう。後でゆっくり、恨み言を聞いてあげよう。
「坊主、一度剣を下げろ。決闘の前に、なにを賭けるか宣言しろ」
「賭ける……」
 ラザールの言葉にクリスチャンはひとしきり首を傾げて、やがておもむろに言葉を零した。
「シシルを賭けて」
 ……待ってほしい。趣旨が。叛乱軍の指揮官の座を賭けるのではないのか。
「乗った」
 リュックの大きな鳶色の瞳に、なぜかクリスチャンと同じ炎が灯った。
 力任せのクリスチャンの大振りと、へっぴり腰のリュックの噛み合わない剣闘が始まる。その後はただのどんちゃん騒ぎだった。野次喝采の中、老若男女の挑戦者が次々と現れる。
「シシルは俺んだー」
 がっはっはと馬鹿笑いを響かせながら、結局一人木刀を掲げていたのは、審判だったはずなのにいつの間にか乱戦に参加していた、ラザールだった。

「ラザール将軍……」
 どこに隠れていたのだろうか。挑戦者が誰もいなくなって、ジューヌが進み出た。最後の挑戦者だった村長のモルロから木刀を受け取る。領主様、わしらの敵を……。モルロの悲痛な言葉がジューヌに預けられる。ちなみに村長はラザールと剣を交えることなく、素振りの剣圧でこけていたため、怪我は無いはずだ。
「おう、やんのか」
 だらりと木刀をぶら下げ。死屍累々――とはいっても誰も大した外傷はないようだったが――、その中心に立ち、ラザールが不敵に笑んでみせる。ジューヌは、そのラザールに、木刀を突きつけてみせた。ポドールイの者たちで固められた観客席から、息を呑むような小さな感嘆の声が漏れる。
「お願いします」
 そして小さく呟かれたジューヌの挑戦の宣言に、ポドールイの村民たちから、乱暴な歓声が沸きあがる。
 一瞬だった。ラザールが得物を悠と振り上げようとしたところ、ジューヌが一瞬のうちに懐に飛び込んで、ラザールの首筋に木刀をあてがった。虚をついただけの、なんのおもしろみもない勝負だった。
「勝ちです。シシルは、あなたのではありません」
「はっ、さすがだ。俺は隙なんてなかったぜ。五年も剣を握ってなかったとは思えんな。あいかわらずの天才っぷりだ。兄貴たちに似てる」
 笑いながらラザールは、両手を上げて振りかぶった剣を落とし、そのまま屈んで地面に片膝をついた。
「陛下、俺たちをお導きくださるよう」
 ラザールの声質が変わる。おどけたお調子者から、歴戦をくぐり抜けた名将のそれになった声が、突然ジューヌへの忠誠の言葉を紡いだ。やがてシシルが決闘の場に、ジューヌのもとに進み出る。
「ラザール叔父さまやリュックさま、ダルジャントーのお祖父さまにも、全部言ってしまいました」
 ジューヌを見上げて、シシルがそう言った。傍らのリュックが将服を直し、やがて跪拝する。遠く壇上にてダルジャントー卿が、ジューヌの皇子としての姓名を呼び上げた。ラウランの兵士たちが、シャイヨーの民たちが、一斉にジューヌを向いて平伏した。取り残されたポドールイの村人たちも、わけのわからぬであろうまま、居心地悪げに腰を下ろす。
 最後にシシルが両膝をついて深く平伏し、ジューヌの垂れるマントを掬って口に当てた。
「ロアンヌの真の皇帝たる、アンドレ・ド・ラ・ヴィエラさま。どうか私たちをお導きください。そして、玉座につかれますよう」
 シシルは粛々と、精一杯厳かに、言葉を紡いだ。

 シシルが、自らに向かって頭を垂れている。跪き、白いコートに土汚れがつくのがやるせない。その唇が、引きずるマントに触れるのを見て、ジューヌは思わず泣きたくなった。
 雪深いポドールイにて、正体を知られず、人形を作り、純朴な村人たちに囲まれて。大切な少女が、怒ったり、ほんの時々笑ってくれたり。それがジューヌの幸せだった。足元にひれ伏され、忠誠を誓われることを、ジューヌは望んでいたわけではない。
 だがこの光景は現実のものであり、いまさら、引き返すことはできなかった。
前へ | 次へ | 目次へ
Copyright (c) 2006 Makoku All rights reserved.