ポドールイの人形師

6−4、小さな捕虜

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 ラフィセは捕虜になっていた。ラウランの当主に手を引かれて、叛乱軍の指導者たちのほとんど真後ろで、今はラザール・ド・ラウラン将軍の演説を聞いている。アルビの城で名を聞かれた時にも感じたことだが、ラザールは乱暴に見せかけて、如才ない人間だと思う。
 そんな風に叛乱軍の将に評を下したところで、ラフィセは心の中で溜め息をついた。仕事を終えて、生き残りはしたものの、ラフィセの中で張り詰めていたものが切れてしまっていた。ヴィルトール家伝来の、笑顔を造るのも忘れがちだ。今は心の中でだけででも、ラグナロワ将軍の喪に服していたい。
「ラザール様たら……、私止めてきます。クリスチャン君、シファちゃん見ててくれる?」
 ラフィセは、握られた手を引っ張られる。『クリスチャン君』に引き渡されるらしい。
「嫌だね。そいつはヴィルトールの子供だ。手なんか握ったら、殺されるぞ」
 ラウラン当主のあったかい手に放されてしまった手を、ラフィセはわきわきと数度握ってみた。汗ばんだ手に、空気が冷たい。やがて自分が、前後左右を見失っていることに気がついた。気を抜きすぎかもしれない。知らない場所、知らない人たちのもとで、つかまる物がないと心もとない。少しふらついてしまう。誰かに当たった。長い衣を着た、大人の男の人だと思う。顔からぶつかってしまった厚手の布が、生乾きの饐えた匂いを発している。洪水に巻き込まれたまま、着替えていない人なのかもしれない。
「クリスチャン。かわいいあなたの妹ですよ。ひどいことを言ってはいけません」
 頭の上で響いた声は、叱っているにしては柔らかい。ふん、とラフィセの兄ということになっているらしい少年の、ふて腐れた鼻息が聞こえた。ぶつかった拍子に掴んだ衣を放そうか放すまいか迷っていると、ラフィセはその饐えた臭いの人に持ち上げられた。
「リュック様、シファは私が看ていますから、行ってらっしゃいませ」
 ラフィセを持ち上げた人が、なにやら上機嫌に申し出た。司祭様、すみません、お願いします。言い残して、ラウランの当主はパタパタと足音を遠のかせて行ってしまう。司祭様と、饐えた臭いの人が聖職者だということに、ラフィセはびっくりしてしまった。
「ん、大丈夫。安心して下さい」
 脇の下から胸に腕を回され持ち上げられた状態のまま、見えない目で見上げると、司祭がやや的外れに柔らかな言葉を落としてくれる。一人で立ってられます。そう言おうかと思ったのだが、ラフィセを抱き上げている司祭がなぜか異様に嬉しそうな空気を発しているもので、しばらく臭いを我慢しておくことにした。
 アルビの街とラグナロワ侯爵もろともに、ラフィセの策は叛乱軍をほぼ壊滅させた。生き残りは女子供や老人や僧を入れてもせいぜい数百、都には万に余る皇帝軍が控えている。
 絶望的な状況の中、人が採る行動は三つだ。逃げるか。立ち向かうか。目を瞑るか。最初に壇に立ったダルジャントーという老人は、逃げる者だった。すでに責任の転嫁と、退却の算段を立てている。自身への非難に応戦したラザールという将軍は、立ち向かう者であろう。論は好戦的で、また無謀にも、進軍を続ける気配だった。
 旧選帝侯家の当主というより、宮廷の女官のようにかいがいしくラフィセの世話をしてくれたリュック・ド・ラウランは、分類するなら目を瞑る者だと思っていた。ラフィセへの過保護なほどの優しさはどうしても不自然に感じられたし、それは現実逃避の手段であろうと思っていたのだ。そのラウラン当主が、意外にも立派な演説をしてみせて驚いた。口調は訥々と時に言を詰まらすこともあったが、現実をしっかり見据えた、そして誠意の篭った言葉だった。
 今、救える者を救わねばならない。そして、自分たちの皇帝を見つけなければならない。ダルジャントー卿も、ラザール将軍も押し黙る。頭の上で、司祭が、ほう、と溜息を漏らすのが聞こえた。
 ラフィセも含め、聴衆がラウランの当主の言に聞き入ってしまいかけていたところ。
「頼りなかったかわいい当主様が、ずいぶんと立派になられましたこと」
 突然、割り込むように女の声が挟まれた。世間知らずで高飛車な物言いは、一度会ったラウラン家の姫君を連想させたが、それよりはやや老けた声だった。
「えー、確か、テレーズ様です……」
 頭の上から、司祭が呆気に取られた様子で教えてくれた。
「シシルの母ちゃん、だっけ……?」
 ラフィセの兄ということになっている少年が、横で声に出して自問していた。

「精霊の子なんてどうかと思っていたのだけれど、案外本当なのかもしれないわね。娘の侍女だったあなたが、金縁の雪十字を胸に着けるなんて。何かに憑かれているとしか思えないわ。司教リュック・ド・ラウランの娘、カロルちゃん」
 ラウランの当主は女で、貞節を守るべき聖職者が為した娘だ。何気無さを装って繕われたテレーズの言を、ラフィセは素早く頭の中で変換する。身の毛のよだつほどの、悪意の詰まった糾弾だった。
「私はもうずいぶん、神様なんていないと思っていたのだけれど、最近は考えを改めようと思っているの」
 悪魔のような迫力から一転、テレーズは媚びるように声音を造って息を継いだ。
「神様はいるんじゃないかしら。ただね、神様が大事にするのは、嘘をつく人間とか、禁を犯す人間とか、とにかく悪い者を好むように思うの。ほら、当主は汚れた出自でありながらそれを偽り、私たちに命令を下している。シャイヨーでの戦いで教皇に禁じられたアンドレの筒を用いておきながら、将軍もラウランの兵士たちも平然としている。そしてあなたたちの拠り所であるアンドレ殿下も」
「おい、司祭様。いま俺の自警団からの報告で、百の百倍くらいの敵が近づいてきてるらしい。団長として、行ってくる!」
 突然、クリスチャンが大きな声でラフィセの方向に向けて声を発した。お陰で数節、テレーズの言葉を聞き逃す。
「……汚れた異端の血が混ざっても、王の子は確かに王。でも私はね、不思議に思うのです。皇帝の妾が、男の愛人を囲って産んだ子は、果たして王の子といえるかしら」
 百の百倍の敵。ロセンサルが、援軍を呼んできてくれた。あたりには動揺と、殺意に近い淀んだ感情が渦巻いている。将帥は兄リリアンだろうか。皇帝陛下御自らが、叛乱軍を討伐に来ることも考えうる。一近衛兵に過ぎぬあの人には身分的に不可能なことだったが、もしもロセンサルが軍を率いてやってきたのだとしたら。そんなあらぬ妄想も浮かんでしまう。とにかく、もう一仕事しなければ、とラフィセが心に決めたとき。
「ロアンヌ帝国皇帝、アンドレ・ド・ラ・ヴィエラ。帝国軍を率い、ただいま戻りました」
 ラフィセは知らない声だと、思ってしまった。
「テレーズ様、口をお慎みになってください」
 聞き直し、ポドールイの谷でロセンサルを倒した人間の声だと、認めざるをえなかった。
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