青い水底に揺れる街
三章、リーリウム(2)
親愛なるレイディ
レイディと呼ばれて、気を悪くする君の顔が目に浮かぶよ。でも僕は君をレイディと呼ぶよ。君ほどこの名前がにあう子もいないのだから。もう顔を合わせることもないから、怒られたってこわくないしね。
ごめん、やっぱり怒らないで。手紙、最後まで読んでください。
レイディはきっと、僕が死んで悲しんでるよね。ごめんね。僕も悲しいや。レイディともっといっぱい遊びたかったし、いつか外に連れ出したいと思っていたんだ。
レイディはみかけによらずいい子だから、僕が死んだのは自分のせいだ、なんて思っちゃってそうで心配だよ。なんていえるのも、発作が収まっているときだけだけど。いっぱい仲間を噛んじゃった、助けようとしてくれたアリウムさんも。リコちゃんも噛みそうで、そんなときは自己嫌悪で死にたくなるよ。この手紙を読んでいるということは、レイディもリコちゃんを知っているよね。僕を拾ってくれた人。
これから書くこと、絶対に、僕が死んだって、内緒だよ。ばらしたら化けてでるよ。僕、リコちゃんのこと好きなんだ。
さて、本題なのだけど、レイディに重大なお願いがあるんだ。リコちゃんを守ってください。僕いっぱい人噛んじゃったから、それも乱暴でちょっと嫌なやつらばっかり。リコちゃんたちを噛むよりいいと思ったんだけど、今の落ち着いた状態で考えると、まずいかもしれない。僕でさえ耐えられない黒いものが湧き上がってくるんだもん。お菓子屋の息子なんてさ、しらふで僕のことぼこぼこにしたんだから。発作起こしたら大変だと思う。
僕も悪いけど、半分は僕を噛んだレイディが悪いんだからね。僕はレイディを恨んでないけど、責任は取ってもらうから。
リコちゃんのこと、噛んじゃダメだよ。ぼく、レイディのこと信じるからね。大丈夫、絶対レイディもリコちゃんのことが好きになるから。
じゃあ、これから具体的にレイディがなにをするか説明するから。まず、リコちゃんに取り入ること。リコちゃんは優しくてお人好しだから、簡単だと思う。そして、うんこのセンセイに気を付けること。あと、リコちゃんのお母さんのジプにも気をつけて。調べてるうちにわかったんだけど、ジプ、うんこのセンセイの家来なんだ。リコちゃんお人好しだから、センセイに騙されてるんだよね。センセイのこと好きみたい。僕、そもそもセンセイの弱点を見つけようと思って探ってたんだけど、本当にうんこなんだもん。困っちゃった。リコちゃんには、できるだけ内緒にして。リコちゃん、泣いちゃうかもしれないから。
そしてそのあとは。レイディの命を懸けて、リコちゃんを守って下さい。賢いレイディのことだから、きっとうんこのセンセイにも負けないはずです。
ごめんね、わがままなお願いばっかり書いちゃって。レイディのところに遊びに行っていたのも、センセイのことを探るためだったんだ。
でもレイディがね、リコちゃんのところまで僕を探しに来てくれたと思うと、それだけですごくうれしい。リコちゃんが手紙を届けてくれる可能性もあるけれど、『レイディへ』じゃあ、どこのお嬢様かわからないだろうし、そもそもリコちゃんはレイディみたいに無謀なことはしないからね。うん、リコちゃんは、センセイの家の二階には行かないと思う。レイディが逃げ出して、シェットランド・カフェに来てくれることはあるかもしれないけど。
とにかく、レイディに幸せになってほしいと思いながら、僕はレイディにわがままをいっているし、レイディに忘れられたくないと思っている。ドッグタウンの人は、リコちゃんも含めて、きっとすぐに僕のことなんて忘れてしまうから。
でもレイディがこの手紙を読んでくれただけで、本当に、本当に、本当にうれしいから。
どうか、自分を責めないで。悲しいことは早く忘れて。楽しい思い出だけ、ずっとレイディの心に棲まわせてくれるなら、僕は本当に幸せだから。
最後に。レイディにリコちゃんを引き合わせられたこと。リコちゃんにレイディを見せてあげられたこと。
僕からの、大好きな二人への、お礼です。もったいないくらいの、大盤振る舞い。
レキ
・・・
レイディは愛想なく、さっさと二階に引っ込んでしまった。
無造作に置きっぱなしにされたレキの手紙を、そっと拾って拡げてみる。守ってくれるなんていいながらさっさと姿を消してしまうし、大事なレキの手紙を放り捨てて行ってしまう。ネコとはこういう種族なのか。照れ隠しに天邪鬼になられては、扱いづらいことこの上ない。
二枚の便箋には、大きな文字が描かれているが、薄闇に霞んでよく見えない。じって見ていると、涙に滲んで余計に形が取れなくなった。そもそもリコは、文字が読めない。レキはレイディに文字を習ったのかな、と思う。リコにも教えてくれるだろうか。
腕の中に、突っ伏して目を閉じる。
センセイのことが好きだった。ジプは、見捨てられた今でも、一番大切な人である。螺旋を巻いて沈んでいくだけの、無駄な感傷なのは分かっている。それでも今晩だけは、そんな泥沼に頭のてっぺんまで沈み込ませてもらうことにする。
ジプ、センセイ、レキ、レイディ。綺麗な顔、優しい顔、可愛い顔、それらを脈絡もなく、瞼の裏の闇に浮かべ、感情も抱かずじっと眺めた。やがて待ち侘びていたまどろみが、リコを優しく招き入れてくれた。