ポドールイの人形師

2-15、螺旋階段

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 カロルが、行ってしまった。
「クリスチャン君は毒で体が弱っているのです。シシル様が看ていてあげてください」
 クリスチャンめ、こんなぼろぼろに熱を出していたくせに、偉そうに、隠れてろ、なんて言ってくれて。そんな子供に気圧されているようでは、立つ瀬がない。
「大丈夫。シシル様のなさりたいことは、私が責任持ってやってきます。司教様もラザール様も、奥様やシシル様の心配しておられる他の皆様も、必ずお助けしてきます」
 シシル自身でだって、自分が何をしようとしていたのかなんて、わかってなどいなかったというのに。どうしてカロルに、シシルのやりたいことなどできるのだ。
 心の中で、クリスチャンとカロル、両方に悪態をつきながら。シシルはディディエの教えてくれた隠し通路を歩いていた。

 カロルが行ってしまって、クリスチャンを押しつけられると、ディディエは突然、壁に体当たりをした。白い煉瓦を積んだ、石の壁。そこに本気でくちばしから突っ込んだ様だったので、驚いて目を覆ったが、指の隙間から覗いてみると、壁が破れてそこは秘密の通路に繋がっていた。壁のその部分だけ、紙でできていたようなのだ。
 結局、ディディエがあまりにしつこく急かすので、シシルはカラスに追い立てられるがままに、不思議な螺旋階段を登っている。
 カロルは、シシルをおいて、ジューヌや皇帝のいる戦陣の方へ行ってしまった。意識朦朧のクリスチャンは、シシルが肩を貸して一緒に階段を登っている。ひどい熱で、辛そうだ。でも、身長ではシシルを少し抜かしてしまったクリスチャンより、まだ自分のほうが大人なことを認識できて、シシルは少し嬉しかった。
 丈の長い人形のような服は歩きづらい。壁の両側に、申し訳程度に灯された蝋燭の明かりはおぼろで、螺旋階段の果ては見えない。自分を急かす、ディディエの鳴き声は耳障りだ。不思議とクリスチャンの重みは心地よかったが、それでも、階段を登るシシルの気分は最悪だった。
 階段のうちは、等間隔に燭台が置かれていた。暗くて薄気味悪かったが、それでも足元に困ることはなかった。だがどれほど登った頃だろう。ぱったり明かりが消えてしまった。見えない足元に、先を登る段差も消えていた。
 部屋なのだろうか。窓もなければ、明かりもない。部屋の広さもわからない。真っ暗な場所。見えない先に、足を踏み出すのはためらわれた。
「ディディエ。どこ?」
 乱暴なカラスに、脅されるままに連れて来られた。ここに来て急に怖くなってくる。少し湿った空気が、息苦しい。耳元に聞こえる、クリスチャンの息遣いが、少し荒くなってきた気がする。シシルにしても、少年の体重の半分を支えて、階段を登って。精神的にも、体力的にもくたくただ。
「ディディエ」
 ようやっと見つけた、闇に浮かぶディディエの金の双眸に、しかし安心よりも不安が先に立ってしまう。人形館の柵門をくぐって、初めて見たときの、ディディエの刺すような鋭い眼差を思い出す。あの時は、この目があんなにも恐ろしかった。今となっても、結局のところその眼光は変わらない。まるでシシルを、威嚇している。足が竦んで、進むことをためらっていると、突然宙に、青い炎がパッと灯った。
「ドロティアさま」
 青い光に視界が開けた。部屋の壁際で、肩に金目のカラスを止まらせて。赤衣の魔女が、いつもの不敵な笑みを浮かべて座っている。大きく広げられた赤いマントが、青い炎に侵されて、紫に染まってゆらめいていた。

 白い松明に灯された、冴えた色の青い焔。不思議な青の炎に照らされた部屋は、意外に狭い場所だった。剥き出しの煉瓦の壁。円錐状にすぼまった天井。冷たげな石の床には、黒い染みが広がっている。
 クリスチャンを引きずって、シシルは明るくなった部屋の中へと入っていく。壁にもたれて自分を見つめる、赤衣の魔女と向かい合った。
「ここは、どこですか?」
「牢獄」
 ドロティアの短い答えは、シシルを小馬鹿にするような、嫌味な含みを持っていた。心を落ち着かせ、ようやくシシルは思い立つ。ここは、人形館の外から見えた、尖塔のてっぺんだろう。窓がない尖塔は、自分も牢獄の様だと思った覚えがある。
「ドロティアさま、ここでなにをしてるんですか?」
「隠してるの」
 ドロティアが、白い松明をゆらゆら揺らす。炎が踊って、小部屋自体が揺らされているような錯覚を起こす。
「死体を」
 銀の髪。暗い肌。青の光にゆらゆらと影を揺らし、謎めいた言葉を紡ぐ魔女の姿は、ひたすらに妖しく、美しい。
「この松明はね、死体の骨を燃やしているの。この人の色は、青みたい」
 悪趣味な言葉だ。シシルは思った。

「シシル、下がってろ」
 意識を半ば失っていたと思っていたクリスチャンが、シシルの耳元、掠れた声で小さくうめいた。シシルの肩に置いた手に、一瞬強く体重をかけ、その後よろめくように、クリスチャンは一人で立った。
「おまえ、悪い魔女だな。シシルを攫う気だろうが、そうはさせない」
 ふらつきながらも、クリスチャンは一歩踏み出し、シシルを庇うようにドロティアとの間に立ちはだかった。熱っぽい掠れ声に込められた覚悟は、あいかわらず本気らしい。
「汚い子ね。なんで私がそんなことをしなきゃいけないのかしら。君、喧嘩売ってるつもり?」
 煤まみれのクリスチャンに、ドロティアが少し口元を歪める。妖艶な美貌に浮かべた、余裕の笑みは変わらない。だがドロティアの顔に少し、困惑の色が見えた気がした。
「しらばっくれても無駄だ。赤い服。銀の髪。黒っぽい顔。おまえの正体は極悪非道の悪の魔女、ドロティアだろう」
「ええ。なんだかひどく心外だけど、私は魔女ドロティアよ。なんで君は私の名前を知ってるの」
 クリスチャンに名指しされて、ドロティアは明らかに調子を乱している。いつもの破壊的な言動は影を潜め、まるで常識人のような振る舞いだ。そんな危うい状態のドロティアを前に、クリスチャンはさらに熱に浮かされたように、話し続ける。
「ふっ、ジューヌの人形劇に出てきたからな。赤衣の魔女、ドロティア。一千年も前から生きる不老不死の魔女で、天変地異を巻き起こし、滅ぼした国は数知れず。お姫様を攫って、食べてしまおうとするんだ。だがしかし、正義の勇者が現れて、悪い魔女を退治して、お姫様を救い出す。そして勇者とお姫様は結婚して、めでたしめでたし、ってお話だ」
 一息にそこまでまくしたてたクリスチャンは、そこで大きく息を吸う。いつの間にか顔を俯かせた、ドロティアの表情が見えなくて怖い。だがそんなことにもお構いなく、ごっくんと空気を飲み込んだクリスチャンは、胸を反らして言葉を継いだ。
「さしずめそのお姫様がシシル。勇者が俺だ。さあ、魔女ドロティアよ、勝負だ! おまえを倒して、シシルを守って、そんでシファを助けに行く」
 くつくつと小さな笑い声を漏らしながら、ドロティアはゆっくり顔を上げる。含み笑いにも聞こえるそれは、不思議な青い炎に照らし上げられたドロティアの美貌ともあいまって、本当に悪役然として聞こえた。
「ジューヌめ……」
 魔女の顔に張り付いた笑顔は、目が見開かれ、言いようもなく壊れていた。この笑顔はたぶん、怒りの形相だ。
「私をそんな風に見ていたのね。しかもあることないこと、姑息にも人の知らないところで喋っているとは。お仕置きが必要ね……」
「本性現しやがったな! さあ、退治してやる……」
 啖呵をきったものの、どう手を出していけばいいのかわからないのだろう。ドロティアの恐ろしい表情に少し腰が引けつつ、クリスチャンは小犬のように吠えていた。そこに突然、ドロティアの持っていた青い炎が燃え盛り、クリスチャンの頭部を包みこむ。
 炎が再び収まった後には、くせっ毛の先を、さらにちりぢりに焦がしたクリスチャンが、ただ呆然と佇んでいた。
「まあ、君はこのくらいで許してあげるわ。少し黙ってなさい」
「くぅ、魔女め。覚えてろよ……」
 そう残して、クリスチャンは力尽きて倒れこむ。捨て台詞を言える辺り、まだ多少の元気はあるらしい。
「ドロティアさま、少しひどいです。クリスチャン、今、体弱ってるのに」
「うるさいほど元気だったじゃない」
 うんざりしたような顔をしながらそう言って、ドロティアは松明に息を吹きかけた。炎が暴れ、今度はシシルを襲う。だがシシルの鼻の先を撫でた焔は、見た目に反して、熱くなかった。
「むしろシシルちゃんのほうが元気ないわよ。怖いんでしょ、抱っこしてあげようか」
「いりません」
 こけおどし。しかし白い松明に揺れる魔法の炎に、悲鳴も上げられないほどに驚いてしまった。恥ずかしいのと腹立たしいので、シシルはドロティアにそっぽを向く。
「そ」
 そんなシシルを気にした様子もなく、ドロティアは気絶した少年を無造作に引っぱり寄せる。魔女はクリスチャンの丸い頭を自分の膝に寝かせると、少年のふわふわした頬に長い爪をつんつん突いて、遊び始めた。
「表では、戦争してるのかしらね」
 クリスチャンの柔らかなほっぺが気に入ったのか、ドロティアは松明を置いて、両手で顔中をいたずらしている。広げられた赤いマントの上においても、青い炎は焼け移らずに、ただ煌々と燃えている。ただ、陰の部分が増えて、部屋はいくぶん暗くなった。
「……隣、座ってもいいですか」
「いいけど。私の後ろに死体があるわよ」
 悪趣味な冗談。下から明かりに照らされた、綺麗な造りの笑顔が怖い。
「……別に、いいです」
「そうね。戦争してるとしたら、こんな子たちがもっといっぱい死んでるんだろうしね」
 戦争なんか、していない。カロルがいる、叔父さまがいる、ジューヌがいる。誰も戦おうなんて、思っていない。
「悪趣味です」
 そう呟いて、シシルはドロティアの傍ら、広げられた赤いマントの上に座り込む。
 気付かれないよう、ドロティアの衣の裾を、そっと掴んだ。
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