ポドールイの人形師

6−1、黒鷲の惑い

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「リリアン、今日は何人斬った」
「四人だけかな。僕の悪口を言っていたんだ、笑顔が怖いって。不敬極まりないよね」
 リリアンが乾いた笑い声を漏らした。正面から突然斬りかかり、複数の兵士を飾り剣のような細い剣で突き殺す。そんな狂ったような行為を、リリアンは数日続けている。
「意外に剣が使えるんだな」
「驚いた? でも、剣で斬るのは嫌いだよ。手応えが残るのが好きじゃない。筒の方がいいよね。ちょっと引き金を引くだけで、爆発して、人が簡単に死んで。すっとする」
 リリアンは楽しげに、声の漏れる笑いを造った。果たしてこの機嫌の良さは、リリアンの本意なのであろうか。ただ人を殺すと、この悪友は饒舌になる。連日まるで憂さ晴らしでもするように、リリアンはほとんど不条理に麾下の兵卒に刑罰を下している。常に増して無茶苦茶だ。なにか考えるものがあるのだろう。リリアンの闇奥で移ろうような思考を、何年付き合おうとロセンサルに掴めるはずもなく、強く諌めることも叶わない。なにかリリアンの言動の端々に、焦りと、同時に背反する確信犯的なものを感じるのだ。
「何里進んだ」
「へ、知らないよ。昼寝の時間を減らしたから、昨日よりも進んだんじゃないかな。ここの空気は暖かいのか涼しいのかわからなくて気持ち悪いから、なんだか眠気が覚めてしまうよね」
 川を遡ってロセンサルたちは進軍していた。ロセンサルが届けた叛乱軍の報せを受け、出立した軍発だった。途路にて、なぜか叛乱軍がラフィセを預けたラグナロワ将軍の城に矛先を向けた。未だアルビ城までは距離がある。本来ならばとうに到着し、叛乱軍と戦っていたはずなのだ。無能を通り越し、悪意すら滲ませるろくでもない指揮官のせいで、帝国直属の兵団を率いてきたというのに士気は上がらず、あまつさえ理不尽な刑罰、用兵がまかり通り、脱走兵すら出てくる始末。進軍は著しく遅れていた。リリアンの心情をなんとか理解しようとは試みるものの、やはり冗談ではないのだ。
 アルビにはラフィセがいるのだ。目の見えない小さな女の子を、乗り込んで助け出さなければない。そして都の宮殿にはあのお人よしで無防備な皇帝陛下を一人残してきている。リリアンの父親を始めとした腹黒い大人たちに囲まれて、さぞ心細い思いをしているだろう。叛乱軍の鎮圧など早々に済ませて、一刻も早く陛下の元に戻らなければいけない。
「まだ戦争してそうだよ。怖いなぁ、少し急ぎすぎたかな。ねえ、ロセンサル?」
 なにもかも急がなければならないのに、馬は足を引きずるようにのろのろと進んでいる。必死に沸騰する頭を冷まそうと意識を集中しているときに、リリアンが耳元に、癇に障る口調で相槌を求める言葉を置いてきた。もはや本能的に我慢ならず、姿を確認することもなく、重い篭手付きの腕を振るって隣りを行く人間の鼻頭にぶつけてやる。
「ぶひゃ」
 手応えがあり、間抜けな悲鳴が上がった。さらに続けて、盛大な落馬の音が響く。
「痛いよ、ローゼンタール」
 馬を即座に止める気にもなれず、少し進みすぎてしまう。十歩ほど歩ませ、そこで仕方なく馬首を返し、リリアンに寄って見下ろしてやった。涙目で、鼻を抑える片袖を赤く滲ませる間抜けな男がそこに落ちている。必死に冷静たることを試みて、ロセンサルは馬上からリリアンに腕を伸べた。
「乱暴者。意地悪。単細胞。ジュダ人」
 鼻血を拭いた袖でそのまま涙をぬぐった汚い将校が返してくれるのは、子供じみた罵声だった。それでも素直に差し出した手を受け取ろうとする辺り、リリアンの考えていることはあいかわらずわからない。
 また、馬鹿にされるだろうか。だが考えてもわからないのだ。聞いてみるしかないのだろう。
「リリアン、なにを考えている」
 指の触れる寸前に手を引き、ロセンサルは問いを仕掛けた。リリアンは大げさに手で空を掻き、涙をぬぐった際に鼻血のついた汚れた眉間を、不満いっぱいにしかめてみせた。
「……どうせ怒るから、教えない」
 笑われるのを覚悟していたロセンサルだったが、リリアンもリリアンなりに怖れるところがあったらしい。少し気の抜けたロセンサルは、一つ息を吐いて優しく問うた。
「大丈夫、今さらキサマのやることに怒りやしない。全てなにか考えがあっての行動なのだろう。俺にも協力できることがあるかもしれん、教えてくれ」
 血の止まらない鼻を掻き、やましげに上目遣いで思案する表情を見せたリリアンは、やがて意を決したようにロセンサルに眼差を定めた。
「剣を寄越せ。もしおまえが本気で怒ったら、殺される」
 どんなことを白状されても冷静に聞き入れる覚悟はしているのに、ずいぶんと信用のないものだ。それでもリリアンの目がいつにもなく真剣だったので、ロセンサルは鞘ごと剣をリリアンに放った。剣を受け取らずにはたき落としたリリアンが、訥々と、だが眼差を逸らさず話し始める。
「親父の命令が、三つある。一つ目は叛乱軍、特に王兄アンドレを名乗る偽帝を始末すること。二つ目は、ヴィルトール家の最後の政敵の、ラグナロワ侯爵の死を見届けること。三つ目は、皇帝直属のこの軍隊を、宮廷から遠ざけること」
 一、二は何の事はない。侯爵への裏切りは許し難いことだったが、予想の範疇だった。しかし三つ目の命令の裏に潜む意味を、しばしロセンサルの思考は解することを拒んでしまう。そんなロセンサルに構わず、黒鷲の公子は言葉を継いだ。
「僕の私的な目的が三つある。一つ目はラフィセを回収すること。二つ目は、おまえを宮廷から離すこと、無駄に親父の陰謀に巻き込みたくないんだ。三つ目は、陛下の想い人を保護すること。たぶん僕の嫌いな人種だろうけれど。僕にとってもかわいい人の、きっと忘れ形見になってしまうから」
 ロセンサルは無意識に腰から剣を抜き、乾いたもう片方の袖で血を拭くリリアンを突き刺した。手応えがない。ロセンサルの手には、何も握られていなかった。
「リリアン、今ほどキサマを憎んだことはない」
 リリアンは、寂しそうな笑顔を造ってみせた。ヴィルトールの笑顔ではなかった。こんな時に限って、そんな顔をされても困る。
「北のね、プリィスの蛮族が、兵士のいないパリスの都に攻め込むことになっているんだ。宰相の親父が内応していて、ミカエルの首を携えて降伏する。そんな場所におまえを残しておいたらさ……おまえを死なせたくないんだ」
「キサマら父子の策謀を、今さら非難はしない。それがヴィルトールのやり方であって、誇りの一部だということは俺も理解している。だがその場に、陛下の元に俺がいられないことが、どれほど残酷なことか」
 言葉に詰まったロセンサルに、今度はリリアンが眩いほどに満開の笑みを造ってくれた。
「わかってるよ。でもそんなこと、僕が斟酌するわけないだろう」
 リリアンは、おもむろに黒い剣を取って抱きしめた。俯き目を瞑った表情は、まるで至福のものだった。
「良かった。こんなの、初めての衝動で戸惑っていたんだ。でも僕は、僕が欲しいもののために、あのかわいいミカエルの心も、大好きなロセンサルの心も裏切って、今ここにおまえといる」
 ロセンサルは馬に鞭を入れる。軍を突っ切り、馬を死なすまで走らせ、なにがなんでも都に戻る。
「もう無理さ! とっくに始まってる!」
 逆風にかき消される叫びが、背後よりかすかに聞こえた。
「大丈夫。僕は最後まで、黒鷲だよね」
 聞こえるはずのない呟きが、いやに鮮明に、ロセンサルの脳裏に響いた。

 皇帝直属の軍とは言うものの、実情は農民からの徴集兵だ。出自を辿ればむしろ叛乱軍に近いものだった。リリアンが用兵の才に恵まれないこと以前に、そもそもこの戦いに従う道理もないのだ。ロセンサルが行ってしまうや、兵士たちが反抗的になった。そこで少しやけになって、全軍解散! どっかに勝手に失せろ! とか叫んでみた。
 すると兵士たちは怒ってしまった。暴力にはどこかの乱暴なジュダ人のお陰ですっかり耐性ができてしまったリリアンだったが、兵士たちはよってたかって、本気で殺しにかかってくる。さしものリリアンも死にそうだった。
 そんな時、この上なく場違いなドレスの女がそこにいて。
「あなた確か、リリアンさんよね、ミカエルの友達の。一つ頼みごとをされてくれないかしら、そしたら助けてあげますけど」
 そんなことを言ってきた。
「わかった、なんでもする。誰だか知らないが、僕を助けておくれ」
 女は表情を変えずに、しかし返事をするように頭を傾げる。次の瞬間、ものすごい速さで地面を滑るように移動して、リリアンと兵士たちの間に立ち塞がった。一撃、鈍器で殴るような音をたてながらリリアンを襲ってきた兵士の一人に頭突きを食らわせる。
 そして……空を飛んで、リリアンを助けてくれた。
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