ポドールイの人形師

1-7、宴

前へ | 次へ | 目次へ
 道すがら、やけに静かだとは思っていたのだ。
「ジューヌさま、今日はお祭りですか」
 老若男女、村中の人が一堂に会し、ある者は踊り、ある者は食べ、ある者は昼間っから酔っ払っている。フュレーさん宅の庭先では、酒池肉林の饗宴が催されていた。
「フュレーさんの赤ちゃんの誕生祝いですよ。村が総出で祝うのが、この地の慣わしです」
 それにしても品がない。いくら彼らが平民といえど度が過ぎている。なぜ人々は踊っていて、ふんだんに食事がもてなされ、そして酒の臭いが充満しているのだろう。
「それだけ平和で、豊かだということです」
 顔をしかめるシシルに、伯爵は少し苦笑した。
「みなさん、暇を持て余しているのですよ」
 領主の到着に、人の波が割れ、道ができる。
 踊りを小休止した人々の間から、村の司祭がジューヌ伯爵らを迎えに出た。
「これはこれは! ようこそ、我らが領主様!」
 黒い僧服を着た司祭が、ジューヌ伯爵を大げさに迎えた。声の調子は気安く親しみを感じるが、伯爵に向けられたあけすけな笑顔には、領主に対すべき尊敬の念は感じられない。
「皆さん盛況のようで、私はお邪魔でしたかな」
「なにをおっしゃる、せっかくのお祝いの席です。領主様がいらっしゃらないと始まらない。ねえ、みなさん!」
 あいかわらずジューヌ伯爵はどこか気弱な様子だ。しかし司祭は陽気に伯爵を迎え、そして酒気の漂う宴席は、司祭にまして陽気だった。
 遅れてきた伯爵は乱暴なほどの歓声で迎えられ、それにとまどう伯爵には大きな笑声が贈られる。シシルがジューヌ伯爵に求める、威厳や尊敬は悲しいほどに欠けているが、このポドールイのおおらかな人々が、伯爵を大いに好いていることは、シシルにもなんとなく伝わった。
「おや、こちらは。またかわいらしい」
 ロバに乗ったシシルに気付いた司祭が、頬を赤らめて近づいてくる。まじまじと無遠慮にシシルの顔を覗き込む様子に、シシルは愛想笑いを浮かべる元気も出てこない。この司祭も、シシルを人形と間違えている。
「いやぁ、ほんとにかわいらしい。新作ですか? 領主様、触ってもよろしいですかな?」
 やはり、直接シシルには訊かず、繰り手だと思っているジューヌ伯爵に司祭は尋ねた。
「いえ、その、ダメだと思いますよ」
 ジューヌ伯爵は、少し困った様子でもごもごと言った。壊れ物ですものね、司祭はそう言いつつ心底残念そうに、差し出しかけた手を引っ込める。口惜しげにロバの上のシシルを見上げる司祭の顔は、修行を果たした聖職者とは思えないくらい、あまりに情けない。
「あの」
 思わずシシルは言ってしまった。
「別に、触ってもいいですけど」
 ぱっと顔を輝かせた司祭は、ジューヌ伯爵に礼を言うと、いきなりシシルの頬に手を伸ばした。どさくさに紛れて少し酒臭い、村の男衆がどっとシシルにつめかけた。
「ですから、私は、人間ですからね」
 馬上から冷たく、シシルは周りを見回す。シシルに手を伸ばした人々は、触ったととたん、一同に驚いて手を引っ込めた。
「やわらかい……」
「あったかい……」
 口々にそんなことを呟きながら、男たちは自分たちの手の感触を確かめた。しばし唖然としたのち、男たちはいっせいにシシルを見上げる。自分に注がれる視線に少し気まずい思いをしながら、シシルは乱れた髪をかきあげた。
「領主様、ついにやったんですね!」
 司祭が興奮気味に声を発した。
「ここまで人間に近い人形をつくりあげるとは……」
「伯爵様は領主様としては頼りないことこの上ないですが、人形師としては天才ですな」
 人々は口々に、ジューヌ伯爵を褒めそやした。
 なぜだろう。村の衆は頑として、シシルを人間とは認めたくないようだった。

「これはシシル嬢。非礼をいたしました、まことに申しわけありません。私はこのポドールイ教区の司祭、ジャン・カトリノーと申します」
 シシルの不機嫌の空気に背中を押された、ジューヌ伯爵の必死のとりなしもあって、しぶしぶながらも司祭たちはシシルを人間と認めてくれた。少し芝居がかってはいたが、ジューヌ伯爵に対したときよりははるかに礼にかなった挨拶を、司祭はシシルにしてくれる。とはいえ、シシルの機嫌はどん底までに悪化していた。挨拶を返すこともなく、シシルは高慢にそっぽを向く。
「シシル様は貴族様でしょう、伯爵様とはどのようなご関係で?」
「え、どうして私を貴族だと思うんですか?」
 司祭の言葉に、シシルは少し驚いた。どうして司祭は、シシルを貴族と思うのだろう。
「どうしてって……。わかりますよ。私が司祭だというのと同じくらい、あなた様は貴族様でしょう」
 そう言われてもわからない。カトリノー司祭は伝統的な黒い僧服を纏っているので、一目で聖職者と判断はつくが、シシルは違う。
 みすぼらしいロバのディアンヌ。裸足の足。ナシャに着せてもらった人形のような服は、凝った造りではあるものの、決して貴族の着るような高価なものではない。人形に間違えられることがあろうとも、シシルの素性がばれる要素は何もないはずだった。
 訝しむシシルに、司祭は楽しそうに言葉を付け加えた。
「私は司祭らしく、慈愛と慈悲に満ち溢れた顔をしているでしょう。だから、たとえ私がこの黒い司祭服を着てなくても、人は一目で私を聖職者と見破るでしょう。それと同じように、どんな格好をしていようとも、シシル様が貴い身分だということはすぐにわかります」
 例えが非常に悪かった。悪質な冗談に一同に失笑が起こる。もしもカトリノーが僧服を着ていなかったら、せいぜい二流の詐欺師くらいにしか見えないだろう。
 ただ意味はわかったので、シシルは少し反省する。苛々していたこともあって、少し偉そうだったかもしれない。上から見下ろす自分の態度も、あまり気持ちの良いものではないだろう。
「ごめんなさい」
 人形で顔を隠して、シシルは少し恥じ入りながら謝った。シシルは、雪の地面に飛び降りる。裸足の足に冷たさがしみた。
「シシル!」
 足の冷たさを感じるのもつかの間、シシルは問答無用でジューヌ伯爵に抱き上げられた。乱暴なほどに伯爵が慌てていたので、シシルは思わず預けられていた小人の人形をとり落としてしまいそうになる。
「……領主様」
 そんなシシルたちの様子を見た司祭は、神妙に自分の顎の下に手を添えた。
「シシル様は、ずばり領主様の隠し子ですね」
 至極真顔で、司祭はそう結論付けた。

「おい、ピエロ! 俺の……に不埒な手で触るな!」
 先ほど道中会った、クリスチャンだ。『俺の』なんだというのだろう。突然現れた幼い少年は、大きな紫紺の瞳をキッと眇めて、顔を真っ赤にジューヌ伯爵に噛み付いた。
「おい、おまえ! 名前はなんだよ」
 口ごもったクリスチャンは、今度は伯爵の腕に収まったままのシシルに、あいかわらずの乱暴な口調で吠えてくる。
「えと、シシル」
 突然の質問に、シシルはなんとかそれだけ口に出す。抱っこされた状態をクリスチャンのようなちっちゃな子に見られるのは、シシルとしても恥ずかしい。
「よし」
 偉そうに一言前置くと、クリスチャンは、コホンと一つしわぶいた。
「おい、ピエロ。もう一度言うぞ。俺のシシルに不埒な手で触ってんな!」

「これ、クリスチャン。領主様に失礼だろう。せめて『ピエロ様』、とお呼びしなさい」
「あ、司祭様。ごめんなさい。で、ピエロ様。なにその子をやらしい手つきで抱き上げてんだよ」
 カトリノー司祭に注意されて、クリスチャンはしおらしく謝った。農民たちは老若土地柄に問わず、聖職者の言葉には従順だ。ただ、カトリノー司祭の注意はどこかずれている気がしたし、小さなクリスチャンにすっかり気圧されて、シシルを抱き上げたまま完全に怯んだ様子のジューヌ伯爵は、もっと間違っていると思う。
「こら、クリスチャン。領主様が困ってらっしゃるでしょう」
『やらしい』と言われ、ジューヌ伯爵は抱き上げたシシルを降ろそうとするが、裸足のシシルを雪の地面に降ろすわけにもいかないらしく、完全に戸惑った様子であった。
「こちらのお嬢さんは、シシル・ド・ジューヌ様、領主様の隠し子様ですよ。だから領主様が抱っこしていたって、ぜんぜんやらしくなんかないんです。ねえ、領主様?」
 カトリノー司祭の口から饒舌に、推測があたかも真実のように紡ぎだされる。うやむやのうちに、シシルは伯爵家の家名をもらってしまった。ジューヌ伯爵の反応が鈍いのをいいことに、村人たちもすっかりその気になっている。
「なに、その娘、ピエロの娘だったのか! くそっ……」
 苦い顔でなにかを考え込んでいるクリスチャン。
 私を幾つだと思っているんです、こんな大きな子のいる年じゃありませんよ、などという伯爵の呟きなど誰も聞いてはいない。それに仮面を被った伯爵の歳など、わからない。伯爵の言葉からして、思ったよりか若いのだろうか。シシルがそんなことを思っていると。
「しかたない」
 まるで世界の命運でも賭ける大きな決断でもしたかのように、クリスチャンは大仰に溜め息をついてみせた。
「ジューヌ。今日から、不本意この上ないけど、義父上と呼んでやる」
「……どういう」
 あっけにとられた様子で、伯爵はそれだけ呟いた。
 シシルにも、この少年の思考回路は理解不能だった。
前へ | 次へ | 目次へ
Copyright (c) 2006 Makoku All rights reserved.