ポドールイの人形師

1-8、名付け親

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 赤い太陽が地平にかかり、ポドールイの短い昼時間が終わりにかかる。深紫に沈む空に星が瞬きだした頃、ようやく儀式の舞台が整う。村長のモルロもようやく駆けつけ、フュレーさんの家に生まれた新たな命の、洗礼の儀が厳かに執り行われようとしていた。
生まれたばかりの赤ちゃんは、いたずらっぽい大きな目が、確かにお兄ちゃんのクリスチャンに似ている気がした。表情豊かな大きな瞳は、夕空と同じ深い紫紺の色をしている。将来、かわいい女の子になるだろう。赤ちゃんを聖水に浸し祝詞を述べる、黒衣の司祭カトリノーの横顔も、先ほどの詐欺師を思わせる表情とは打って変わって、厳格な教皇庁派の司祭の顔になっていた。
「司祭様、この子の名前を考えてやってくださいませんか」
 かわいらしいお母さんが、カトリノーにそう言った。クリスチャンのくせっ毛は、お母さん譲りらしい。波がかった長い髪が、童顔をなお幼く見せている。
「だめ! 司祭様に名前をつけてもらったら、俺の妹がちゃらんぽらんで嘘つきな子になっちゃうよ。ねえ、司祭様」
 あろうことかクリスチャンは、カトリノー本人にそう言った。あまりの悪気のなさに、カトリノー司祭さえも、そうかもしれませんね、と肯定してしまう。
「では、村長さんにつけてもらおうか。モルロさん、引き受けてもらえますか」
「村長さんも絶対ダメ! 俺の妹がボケちゃったらどうするのさ!」
 お父さんの提案にうれしそうに満面の笑顔を浮かべた村長だったが、クリスチャンの言葉に、今度は目に見えて表情が沈む。モルロの落ち込みようは痛々しいほどだったが、クリスチャンのあまりの無邪気さに、誰も怒るに怒れない。
「では、伯爵様に頼んだらどうでごぜぇましょう」
「まぁ、それは良い考えですね」
「どうです、領主様、お願いできますか」
 村長モルロの提案に、若い夫婦はとりなすように同意した。なにをまちがえて、この若い夫婦はことごとく、この地の権力者たちの気分を害しているのだろう。
「ピエロ! 父さんたち本気? 絶対ダメだからな。ピエロなんかに妹の名前を決められたら、弱いのと頼りないのと変態なのが感染っちまうじゃねえか」
 今度ばかりは明らかに悪意を込めて。クリスチャンの言葉がとどめとなって、めでたい席の主役のはずの若い夫婦の顔は、かわいそうなほど蒼白になっていた。
「すみません、すみません」
 お父さんがひたすらジューヌ伯爵に平謝りし、後ろでお母さんがクリスチャンに拳骨をくれていた。若い夫婦は司祭や村長のように、変にジューヌ伯爵を扱い慣れてはおらず、真摯に息子の非礼を詫びてくれる。
「いえ、いいんですよ。本当のことですし」
 しかしあいかわらずの気弱な物腰で、むしろジューヌ伯爵が恐縮していた。
 暗がりが降り立つにつれて、雪も冷たくなってきた。シシルを降ろすことを諦めたらしい、伯爵はずっとシシルを持ち上げている。お姫さま抱っこをされている自分を思うと、悪意のない村人たちの視線が気恥ずかしかった。そうは思っても、子供っぽく暴れてはまた迷惑であろう。
 とりあえずシシルは、自分を軽々と持ち上げる伯爵を、恨みがましく見上げてみる。
「どうかな、シシル。フュレーさんの赤ちゃんに、君が名前を付けるというのは。もちろん、フュレーさん夫妻やクリスチャンがよければ、のことですが……」
 頬に冷たさが落ちるのを感じた。見上げると、暗がりに白が漂っている。険悪な視線を伯爵に送っていたところ、不意にそんな言葉が掛けられた。
 浮かび上がる銀世界。ポドールイは本当に、雪がきれいだ。
「もちろん、領主様のお嬢様に名前を考えていただけたら、それほど光栄なことはありません」
 思いがけない提案を、シシルよりも先に、クリスチャンのお父さんはあっさり承諾してしまう。ちなみに、シシルは私の娘ではないのですが、というジューヌ伯爵の呟きは、あいかわらず無視された。カトリノー司祭が、隠し子だからと恥じることはありません、とちゃちゃを入れ、村長のモルロは、お人形さんに名前を決めてもらうのでごぜぇますか、と幸せそうに笑ってくれる。
「シシル様、お願いしますわ」
 お母さんが、小さな赤ちゃんを渡してくれる。小人の人形と交換した赤ちゃんは、ずっしり重く、小さいながらも命の重さを感じさせた。
「クリスチャンくん、いいかな?」
 赤ちゃんを受け取り、シシルは、たんこぶを抑えるクリスチャンに尋ねてみた。
「変なの。ピエロに抱っこされて、子供が赤ちゃん抱いてやがる」
 少し視線を斜め上に外し、少年はあいかわらずの乱暴な憎まれ口を叩いた。子供呼ばわりされてしまった。クリスチャンの方がシシルよりも小さいだろうに。クリスチャンにとって、シシルも名付け親には不適格なのだろうか。
「でも、まぁいいよ。おまえきれいだし、おまえみたいにきれいになるかもしれないし」
 この子はなんて口が悪いのだろう。ただその分素直な言葉は、シシルのことをうれしくさせた。
「じゃあ、きれいな女の子になるように」
 ポドールイ。この南果ての村は、白銀の雪世界が本当にきれいだ。
「雪の女神に願いを込めて」
 願いを込めて。
「シファというのはどうかしら」
 聖典の神話の中の美しい雪の女神の名を借りて、小さな命に、シファと名付けた。
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