ポドールイの人形師

1-9、人形劇

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「昔々、ある国に、二人の王子様がおりました」
 太陽と共に、宴も終幕を迎え始める。沈みゆく闇の中、篝火が焚かれ、フュレーさん宅の前だけが明るく炎でほのかに温かい。踊る者はもうおらず、酔漢たちからも穏やかな寝息が聞こえてくる。
「兄の王子は黒王子」
 黒王子と紹介された人形の肌は、名前のとおり浅黒く、ジューヌ伯爵の作にしては珍しく、やけに手を抜いた出来だった。申し訳程度につけられたとぼけた表情の目や口は、伯爵の仮面に通じるものがある気がした。
「弟の王子を白王子といいました」
 白王子は、シシルの抱えていた人形だ。小さいながらも精巧な、かわいい綺麗な顔をしている。
 ジューヌ伯爵の人形劇。シシルやクリスチャンを初めとする子供たちと、司祭や村長などの暇な大人たちが集まっていた。
 篝火の心地よい温かさにあてられて、シシルはしだいに眠くなる。腰掛けるロバのディアンヌの首筋に頬を寄せると、ざらざらした毛皮を通して、ディアンヌの体温が伝わってくる。馨しい獣臭さもあいまって、シシルはさらなるまどろみに沈んでゆく。
「ある日、R侯爵が二人の王子に尋ねました。R侯爵は二人の王子の先生で、父親のような存在です」
 拳大の頭一つ大きな、大人の人形が舞台に出てきた。二人の王子とR侯爵、同時に三体の人形を、ジューヌ伯爵は器用に動かしている。
 夢心地で、シシルは伯爵の穏やかな声音に聞き入った。

 二人の王子を座らせて、R侯爵が向かいに直る。
「将来の夢は?」
 前振りもなく唐突に、R伯爵の人形が、二人の王子にそう訊ねた。
「俺は父上の後を継いで王様になる!」
 弟の白王子が無邪気にそう言った。問うたR侯爵が困った顔をする。正確には少し俯いただけなのだが、顔が少し翳ることで、R侯爵の困惑の様子が見事に伝わってくる。お兄さんがいるのだ。R侯爵にしてみれば、弟の白王子が王様になるのは、喜ばしいことではないのだろう。
「君は?」
 R侯爵は向き直り、続けて兄の黒王子に質問をした。
「私は、人形師になりたい」
 兄の黒王子は、少しはにかみそう言った。

「やがて、二人の皇子の夢は実現し、R侯爵はこの時強く諌めなかったことを大いに悔やむことになるのです」
 表情豊かな黒王子や白王子の声とは打って変わって、淡々としたジューヌ伯爵の語りが入り、第一幕が終了した。

「ジューヌさま、お姫さまは出てこないの?」
 少し寝ぼけた調子で、シシルは口を挟んだ。
「だって、王子さまが出てきたら、お姫さまが出てくるのがお約束でしょう」
 心地よいまどろみに、少しろれつが回っていないのを、シシルは自分でも感じていた。
「そうですね、お姫様を出しましょう」
 ジューヌ伯爵はマントの下から女の子の人形を取り出した。長い金の髪のかわいい人形。黒いマントの下はどうなっているのだろう。次から次へと、いろいろ出てくる。お姫様の人形はまだ舞台にはあがらず、黒王子、白王子、そしてR侯爵の三人で、人形劇は再開される。

 人形師になった黒王子は、王様になった弟の白王子に、少しばかりの領地をもらい、田舎の美しい邦にひっそりと暮らしておりました。しかしR侯爵は弟の白王子が王様になることを認めてはくれず、自分に逆らって王様になってしまった白王子を、許してはくれません。少し短気な白王子は、そんな侯爵の頑なな態度に怒ってしまい、R侯爵を家ごと攻め潰してしまいます。

 銀の鎧を着せた白王子がR侯爵を踏みつけて、二つ目の場面が終了する。ここで場面が変わり、ようやくお姫さまの人形が、舞台の上に現れた。とぼけた顔の黒王子のもとに、伯爵の操る長い髪のお姫さまが駆け寄る。

 R侯爵には美しい娘がおりました。
 家を失い、身寄りのなくなった娘は、R侯爵の遺言に従って、人形師になった黒王子のもとへ逃げてきたのです。

「ジューヌさまぁ」
 物語を中断させ、シシルは口を挟む。ロバのディアンヌの首に腕を回し、シシルは上半身まで完全に、温かなディアンヌに押しつけていた。夢見心地に、視界が滲む。
「黒王子は、R侯爵をやっつけちゃった白王子をどう思っているのかな。だってR侯爵は王子様たちの先生で、お父さんみたいな人だったんでしょ。許せないと思ってるかな、大嫌いになってるかな」
 シシルの言葉に、伯爵はどんな顔をしているのだろう。怒っているのか、笑っているのか。困っているのか。赤白のとぼけた仮面の下、伯爵の表情を窺い知る術はない。
「どんなことがあっても、黒王子にとって、白王子は大切な弟だということに変わりはありません。白王子がどんなことをしても、たとえそれを間違っていると思っても、黒王子は白王子を嫌いになることはないと思いますよ」
 うろんなシシルの口出しに、気を悪くした様子もなく、さりとてとまどった様子もなく、伯爵はやさしげに言葉を紡いだ。少し苛立ちを覚える。その穏やかな答えは、シシルの望んだものとは違っていた。
「黒王子は、R侯爵を殺した白王子を許しちゃうんだ。でもお姫さまは、お父さんを殺した白王子を許さないと思うわ。絶対に、許さないと思う」
 そう言ってシシルは顔を伏せ、ディアンヌの太い首に押しつけた。
「邪魔してごめんなさい。続きやっていいです」
 顔をディアンヌに押しつけたまま、シシルはくぐもった声を発する。そう言ったものの、シシルはもう人形劇の続きを見る気などなかった。
「……いや、ごめん。続きは考えてない。みなさん、すみません。今日はここでお開きです」
 中途半端な場面で劇は切り上げられ、伯爵は集まったわずかな観衆たちに、短く詫びた。シシルを除くお客さんは、伯爵に温かい拍手を贈っていた。
 あいかわらずわけわかんない話だな、とクリスチャンが言えば、カトリノー司祭に至っては話の内容に触れようともせず、お姫さま役の人形を見せてほしい、と伯爵にせがんでいる。他の子供たちもそれぞれの人形に群がり、話の中途半端さを非難する者はない。ジューヌ伯爵の人形劇がよくわからないのはいつものことらしく、子供たちは劇の内容よりも、その精巧な人形や、それを操るみごとな技術を見たいがためだけに、集まっていたようだった。
 人形劇がお開きになり。それをもって今宵の、シファの誕生祝いの宴も終わりとなった。

 帰途に就くジューヌの背中に揺られながら、シシルは穏やかな寝息を立てていた。ロバのディアンヌの背中の上で器用に眠り込んでしまったシシルであったが、村長のロバを連れて帰るわけにもいかず、ジューヌはシシルをおぶって帰ることに決めたのだった。人形館への道は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かだった。ただ踏みしめる自分の足音と、耳元に感じるシシルの静かな吐息だけを聞きながら、ジューヌは人形館へ続く雪の丘の一本道を歩いていた。
「ジューヌさま」
「おや、シシル。起きてしまいましたか」
「ううん……」
 寝ぼけたようなシシルの声。いつもの気丈で気位の高い様子から察するに、シシルは本当にまだ、夢の中を漂っているらしい。
「あたしも、お人形を動かしてみたいな」
「では帰ったら、ナシャを動かさしてあげましょう」
「うん……」
 再び、規則正しい寝息が聞こえる。やがて、黒い人形館に、煙が昇るのが見えてきた。
 おおらかな領村の民。愛すべき少女。平穏と、求めてやまなかった幸福を抱きしめて。この時が永遠たることを、ジューヌは願った。

 さて、赤衣の魔女ドロティアを、ジューヌは放置して人形館から逃げてきた。
帰ってきたジューヌは、焼け落ちた廃墟に呆然とした。
 それから二年、ジューヌは屋敷の修繕費の捻出に苦しむことになる。
 領民たちから施しを受けて、ジューヌはなんとかやりくりするのだが、そんなジューヌの情けない姿に、シシルはさらに、軽蔑の念を強めることになってしまうのだった。
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