ポドールイの人形師

2-11、姪っ子

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 ラザールは死野の様を、眺めていた。
 兵士たちはずいぶんと動揺しているようだ。戦勝の略奪と殺戮は、本来、歓喜と悦楽とともに勝者に与えられる、最上の美酒のはずだ。だが今、死者から身包みを剥ぎ、狂喜の叫びを上げる者はいない。彼らのほうが死人のように押し黙り、ただ黙々と生者の首を刈っている。
 あの飄々とした、リュック兄すらも慌てていた。この驚くべき光景を見て、表情を変えないまではさすがだ。だが彼は真っ先に、掴みかからんばかりにジネディ兄の奥さん、テレーズのもとへ向かっていってしまった。やるべきことは山ほどあるが、それは第一にすべき行為ではなかったろう。いまさら彼女に何かを言って、どうなるわけではない。その辺り、表情には出さずとも、珍しくリュック兄が冷静さを失っている証拠だ。
 さて、ラザールはというと。真っ黒な雪野に立ち、彼は不謹慎にもこの壮観に清々しさを感じていた。敵は死に絶え、味方は誰一人傷ついていない。この光景を、なぜ自分で創り出そうと思わなかったのだろう。残念ながらこの舞台を作り上げたのは、自分ではなくテレーズだ。ラザールの仕事は、放心状態の、信仰篤き仲間たちを、まだ続く戦いになんとか奮起させることだった。
 一度神学の道を志し、踏み外したラザールは、自分が人より幾分信仰心が希薄だということを自覚している。そのお陰か、この限りなく罰当たりな状況で、ラザールは自分でも驚くほどに平静さを保っていた。リュック兄も放っておいて大丈夫であろう。彼は敬虔な司教ではあるが、彼には皆を導く責任があるし、それだけの強さも持っている。問題は信仰篤き兵たちだ。鎌を片手に、いつまでも敵の生き残りを探す者。武器を捨て、雪の野に寝そべる者。野に立てた筒に寄り、ただ涙を流す者。各々がそれぞれの行動を取っていたが、皆一様に放心していた。今はまだ、自分たちのやったことを整理しきれていないようだった。だが時を置いて落ち着かせれば、その罪の重さを知るだろう。悪夢に苛まれ、戦う気力は失われる。脱走兵が相次ぐだろう。いや、家が潰れてまでラウランについてきてくれた、忠誠篤き兵たちだ。自ら殉じる者が出るかもしれない。
 さあ、この哀れな兵士たちの心を鎮めるには、どうすればよいか。
それには更なる狂気に身を置いて、その罪を思い出させないようにするのが一番早いと思われた。すなわち、今一度。今度はこんな筒による無機質なものではなく、刃を重ね、血沸き肉踊るような戦をさせたい。ラザールはそう考えていた。
「ラザール様? 薄笑い、無気味です」
 場違いな女の子の声が聞こえた。いつの間にか、リュック兄の娘のカロルが、ラザールの傍らに立っていた。味気ない兵士服な上に、髪も大いに乱れているが、どこか親しみやすい童顔もあいまって、いつもに増して可憐に見える。
「なんだ。悪いがカロルの相手してる暇ないんだ。リュック兄のとこいってろ」
 リュック兄は過保護で、子煩悩だ。こんな光景をこの娘に見せただけでも、リュック兄にどんな目にあわされるかわからない。そう思ってラザールは少し、身震いした。
「それがですね、奥方様がギャー、とか叫んでて、父様に殴りかかったり。なんだか入り込む隙がないんですよ」
 彼女はそう言ってくすくす笑う。
「奥方様のあんな姿、初めて見ました。いつも近寄りがたくきれいで、冷たい感じの人なのに、父様のほうが一枚上手みたいです」
 見てきた光景を思い出したのか、笑い声が少し大きくなった。だがよく見ると、少し大きな兵士服に包まれた体が、ずっと小さく震えている。ぼさぼさの頭に手を置いてみる。怯えている。笑い声とは裏腹の感情が、痛いほどに流れ込んできた。
「よく、笑っていられるな。普通の娘なら、目を背けて泣いてるところだろうに」
 くしゃくしゃと、乱れた髪をさらに乱してやりながら、特に思うところなくラザールは感想を漏らした。
「だって、自分でついてくるって言ったんですもの。ここで泣いたりしたら、ラザール様馬鹿にするでしょう。それに私なんにもできないのに、目を背けるのは違うと思いますし。ただ、夜でよかったかな。よく見えなくて……」
 訥々と。笑っていたはずのその声は、台詞の最後には、いつの間にか泣きじゃっくりに涙声になっている。うっかり、本音も漏らしている。
「馬鹿にしやしねぇよ。おまえが見てて誰が生き返るわけでもねえんだ、目ぇ瞑ってろ」
 そう言ってラザールはカロルの顔に腕を回し、目を塞いで抱き寄せる。直に、震えが余計に伝わってくる。
「べつに邪魔にならない程度なら、泣いてもいいし。おまえはリュック兄の娘なんだ。シシルとおんなじ、俺のかわいい姪っ娘なんだからよ」
 やがて細い体の震えは収まり、代わりに小さな嗚咽の声が漏れてきた。泣かせてしまった。泣いてもいいとは言ったものの、柄じゃない。どう扱えばいいものか。おっかなびっくり、腕の中のカロルをあやしているところ、義姉との話は終わったのか、リュック兄がこちらのほうへと寄ってきた。

「ラザール。私のカロルを泣かしましたね」
 背筋が凍るような声だ。背後から聞こえたリュックの一見穏やかな声の中には、言い様のない殺気が含まれている。
「い、いや、これはだな。カロルが無理してるっぽかったから、俺は良かれと思ってだな……リュック兄、ごめんなさい、許して!」
 まだ落ち着かないカロルを胸に寄りかからせたまま、背中に感じるあまりの威圧感に、振り向くこともできない。抵抗虚しく、ラザールはあっけなくリュックの前に無条件降伏してしまう。
「なにを謝るのです」
 耳を引っ張られ、振り向かされる。ラザールの目線より低い位置にあるリュックの白い顔は、整った顔だちに穏やかな笑みを貼り付けている。だが、その氷のような明るい蒼の瞳だけは、まるで悪魔のそれだった。
「むしろ良かったですよ。カロルのことだから無理して笑っていたりしたらどうしようかと思っていたんです。素直に泣いてくれて、まだ救われます」
 乱暴にカロルの目を塞いでやっていたラザールの腕を引っ剥がすと、リュックは解放された少女を奪い取る。カロルが、露わにされた目を恥ずかしげに伏せると、リュックはそこから零れかけた涙を優しく掬いとった。壊れ物でも扱うようにカロルをそっと胸に抱くと、リュックはキッとラザールを睨み上げてきた。
「ラザール、感謝しますよ」
 言葉ではそう言っている。頭でもそう思っているのだろう。だが兄の切れ長の目は、ラザールを全く許してくれてはいない。
 リュック兄が長兄のジネディと決定的に違うところ。二人ともラザールとは違い、非常に頭が良いが、リュック兄はジネディ兄に比べて、多分に感情に支配される人間だ。
 カロルが泣いていて、自分がそれをあやしていたのが、どうしても生理的に許せないのだろう。しかし、この姪っ子に負けず劣らず、ラザールにしても兄のことをこんなに慕っているのに、この待遇の差はなんなのだろう。
「はいはい、泣き虫のお嬢ちゃんのことは、リュック兄に任せますよ」
 兄の目つきがさらに険悪に、厳しくなる。馬鹿だ。やっかんでカロルに当たってどうするのだ。しかも自分で思う、子供っぽい。カロルの面倒は、兄が見ればよい。ラザールがなんとかしなければならないのは、八百人余の放心状態の兵士たち。今皆に、カロルのように泣いてもらうわけにはいかない。
「よーし、全員立て。武器を持って整列しろ」
 不器用な叔父さん、馬鹿な弟の表情は捨て去る。ラザールはラウラン家を、ロアンヌ帝国を守りつづけた、歴戦の勇将の顔を造り上げ、厳かに叫んだ。
「戦いは始まった。さあ、今度はこちらの番だ。丘を駆け上がり、人形館を攻め落とす」
 神に逆らった軍に、いまさら理屈も大義も必要ない。いつになく高飛車に、有無も言わせぬ調子でラザールは命令を下した。ラザールの手によって、雪十字の家紋を施したラウランの楯が高々と掲げられる。
「叫べ!」
 きらめく銀で飾られた、雪の結晶のような十字の紋様は、闇の中でもきらきらと輝いていた。
 戦ラッパの音も、戦旗の翻りもそこにはない。ただ美しい雪十字に似合わぬ、喚きのような蛮声が、高らかに轟いた。
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