ポドールイの人形師

2-13、拾い物

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 霞む視界に見た、大きく見開いた妹の目が、脳裏に焼きついて離れない。腕が、焼かれているように熱くてたまらない。
 だがその炎の中に、もっと熱い灼熱の中でシファが苦しんでいる後ろ姿が、何度も何度も闇の中に浮かび上がる。
 泣いている。自分はお兄ちゃんなんだ。助けてあげなきゃ。
 だが手を伸ばしても、自分の腕も燃えていて、思うように動かない。それでもなんとか泣いている妹に手が届く頃には、シファはもう燃え尽きていて、大きな瞳だけをぎらぎら浮かべた、爛れた顔で振り向くのだ。
 驚いて手を引っ込めると、悲しそうに紫紺の瞳からぽろぽろ涙を零し、灰になって妹の姿は闇の中に崩れてしまう。
 やがて、また別のところでシファの泣き声が聞こえだす。
 遠くて、届かない。手を伸ばすと、皮膚を焦がした顔を向け、恨みがましくこちらを見つめ、消えてしまう。
 そしてまた、どこかでシファの泣き声が聞こえはじめる。
 何度も何度も、そんなことが繰り返された。

 お尻に響く、規則的な振動。クリスチャンは、馬に揺られていた。
「ボク、目が覚めた? もう大丈夫?」
 空気は冷たいが、背中があったかい。後ろに目をやると、だぶだぶの兵士服を着た、知らない若い女の人がクリスチャンを支えてくれていた。
「クリスチャン! 良かった。体は? 手は平気ですか?」
 下着姿の、寒そうな人。クリスチャンを乗せた小さな栗毛の馬に小走りについてくるのは、カトリノー司祭だ。
「うん……」
 頭がグラグラする。言われて掌を見てみると、紫の痣ができていた。右腕全体が痺れ、感覚がないが、動かそうと思えばなんとか動く。
見回すと、兵隊たちがいて、雪の結晶を集めたようなきれいな紋章を描いた楯が整然と並んでいる。先頭の黒い馬には、やはり真っ黒の、しかしカトリノー司祭の着ていたよりいくぶん立派な僧服を纏った、聖職者らしき人の後ろ姿が見える。それに続き、大きな剣を下げた、恐そうな戦士みたいな人が、きれいな服を着た女の人を前に抱えて、大きな馬に乗っている。その後ろに、クリスチャンと兵士服の女の子が乗った小さな栗毛の馬が続き、その三騎でたくさんの兵隊を率いていた。
「なに、これ?」
 言うべき言葉が浮かばず、クリスチャンはそれだけ呟いた。
「ラウラン家の方々だそうですよ。とても偉い、貴族さんの家です。今から人形館へ行くそうです」
「そんな、司祭様。特に偉いわけではないのですよ、今では反逆者扱いですし。それに司祭様が言うと、なんだか皮肉を言われているみたいですわ」
 カトリノー司祭の言葉に反応して、ころころと笑い声が聞こえた。なるほど、さすがに貴族なのかもしれない。この似合わない兵士服を着た女の人でも、村にもいそうな親しみやすいかわいい娘なのに、喋り方がどこか上品だ。
「姉ちゃん、なんで人形館なんて行くの。あそこには変なピエロしかいないよ」
 クリスチャンは小さな嘘をついた。あまり貴族なんかに人形館に来て欲しくない。かわいらしく笑う、この女の人は悪い人には見えないが、やはりシシルに近づけたくはない。あのリリアン・ド・ヴィルトールだって、一見優しそうだった。
「皇帝陛下が人形館に逗留してらっしゃるの。私たちは陛下に会いに行く途中に、クリスチャン君たちを拾ったのよ」
「皇帝! 皇帝って、貴族の親玉だろ! もしかして、リリアン・ド・ヴィルトールも行ってるのか?」
 クリスチャンが何かを言うたびに、後ろの女の子はくすくす笑う。女の子は楽しそうだったが、クリスチャンはカトリノー司祭に耳を引っ張られた。
「痛って。司祭様、なにすんだよ」
「クリスチャン、言葉が過ぎますよ! カロル様たちは、私たちの命の恩人なんですからね」
「司祭様、いいんですよ。男の子なんですから、元気なのが一番です」
 クリスチャンたちのやりとりに、カロルと呼ばれた後ろの貴族の女の人は、おもしろがるようにくすくす笑った。カロルの手が、クリスチャンの頭上に迫るのを感じる。撫ででくれようとしていたのかもしれない。だが教会でリリアンに毒の指輪で手を握られたことを思い出し、反射的に頭を逸らしてしまう。バランスを崩し、クリスチャンは落馬した。
「あ、ごめんなさい。驚かせたかしら。大丈夫?」
 馬を止め、カロルがクリスチャンに手を伸べる。その手に、あの薄紫の宝石は飾られていなかったが、クリスチャンは逃げるように細い指から跳びすさった。
「ご、ごめん。その、人形館にリリアンはいるのか?」
「えと、ヴィルトール家の人もいるかもしれないけど……」
「姉ちゃん、ありがと。俺、先行く」
 深い雪に足を取られながら、クリスチャンはカロルの言葉を最後まで聞かずに駆け出した。
 あいつが人形館にいる。シシルが危ない。早く、自分が助けに行かなきゃ。シシルも、シファも。

 クリスチャンに逃げられた。
 どうしたのだろう。嫌われるような事でも、言ってしまったのだろうか。
「司祭様、すみません」
 隣で少し慌てた様子の、下着姿の司祭に小さく謝って、カロルは慌てて馬足を速めた。
「父様、ラザール様、私先に行ってます!」
 隊を先導する指揮官たちの馬を追い抜いて、カロルは深い雪の中を走って逃げようとしている、少年のあとを追いかける。さすがに雪国の子だけあって、雪の中でも沈みきらない様、器用に柔雪の上を駆けて行く。むしろ、雪に慣れていないカロルの馬の方が、脚が沈んで手こずっているようだった。
 だが毒で体が弱っている子供を、この雪の中に放っておくわけには行かない。後ろ姿が、服がぼろぼろで、見ていられなかった。
 カロルは隊列を抜けて、クリスチャンのあとを追いかけた。
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