ポドールイの人形師

4−1、宮廷の庭

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 宮廷の庭に、場違いな花壇がある。絢爛豪華な南国の花が咲き乱れ、白い天使の石膏像の守る噴水が虹を掲げる中、その花壇は隠れるように庭の片隅に設けられていた。湿った土が露わな花壇に、紫がかったつぼみをつけた小さな苗がひそやかに並んでいる。綻びかかったつぼみに混じり、中に一輪だけ慎ましやかに花弁を開いた花がある。
 夏の訪れも、もう近い。ジュダの黒騎士、ロセンサルにとって、この場所は少しお気に入りだった。
 皇帝ミカエルは、ヴィルトールの公子リリアンに用があると言う。なにか、悪企みでもするつもりなのだろう。だがそれはロセンサルの領域ではない。彼の仕事は命を賭けて主君を守ることのみだ。剣を振るい体を張ることに、余計な知識は逆に任務遂行の足枷にしかならない。特にリリアンの策案は、気分の悪いものが多いのだ。
 そんなわけでやや手持ち無沙汰なロセンサルは、珍しく主君のもとを離れ、独りお気に入りの花壇を眺めていた。

 膝元にふわりと軽い衝撃を感じた。動物かと思ったが、みやると小さな女の子が立っていた。
「す、すみません!」
 癖のある栗色の髪を二束に流した女の子が、慌てた様子で深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
 謝られることに慣れていないロセンサルも、条件反射的に頭を下げ返した。少女はロセンサルの戸惑った様子にも頓着せず、今度はぺたぺたとロセンサルの腰から下がる帷子を触ってくる。
「かたい……」
 鎧の帷子を触って、女の子はそんなあたりまえのことを呟く。少し土汚れがあるものの、女の子の服装は貴族の、しかも相当に高価なそれで、まず下働きの娘とは考えられなかった。
「あの、花壇のお世話をしたいのですが、いいですか?」
 ロセンサルを見上げ女の子は、大輪の花が咲いたような見事な笑顔を造ってみせた。
「もしかして目が……」
 その紫紺の瞳は茫洋として、焦点が合っていなかった。

 花壇の脇に座り込み、女の子はなにやら土をいじくりだした。盲いだというだけではない。せいぜい四つか五つであろうか。小さな女の子の動きはなにからなにまで、とにかく危なっかしい。白い指に毛虫が這い登ってくるのを、ボーッと見えてない目で眺めている少女に、ロセンサルが逆に慌ててしまう。やや乱暴に小さな手をとり、毛虫を取り払った。手をつかまれ、恥ずかしげに顔を赤らめる女の子に気付き、ロセンサルは慌てて手を離した。
「し、失礼しました」
「いえ、わたしこそ。ぼーっとしてて。でも、毛虫さんの手触りって、嫌いじゃないんです……」
 変ですよね、などと自分で言いながら、女の子はさらに顔を真っ赤にして照れ笑いをする。ジュダである――ゆえにいわれなき偏見にさらされることを運命づけられた――ロセンサルにとって、そんな純粋な笑顔を見るのは本当に久しいことだった。
「なにか、手伝いましょうか?」
 久しくなかった優しい気持ちで、自然にロセンサルは申し出ていた。
「……あの、では水を汲んできてもらえますか? 重いので」
「わかりました」
 確かにこの子の短い腕では重かろう。なにより危なっかしいことこの上ない。井戸のほうへ走り去ろうとしたそのとき、ロセンサルは女の子に呼び止められた。
「あの、わたしラフィセと申します。あなたのお名前は?」
「ロセンサル、それが私の名です」
 ジュダの名前。目が見えなくても、その意味は解するだろう。確かな確信をもって、甘やかな時間の終幕をロセンサルは予感した。
 メシアを殺した民。ジュダ人は悪魔の民族と、聖書にはそう記されている。数多の特別税をかけられ、職に就くことも制限された。社会的な迫害からの防衛策として、多くのジュダ人はロアンヌの聖典で禁じられた高利貸しとなった。双方合意の上の契約。ロアンヌの神に禁じられていても、法に触れることはしていない。それがジュダの言い分だ。しかしさまざまな胸算用が狂って金を返すことができなくなった者たちは、最終的に怨みの矛先を高利貸しに向けた。その際、ジュダ人が悪魔の民族だということは、実に好都合に働く。時代を超えて降り重なる憎しみは、観念となり、代を経るごとに、その観念はロアンヌ人の血に染み込んだ。
 さて、目の前の盲いの少女は。
「ありがとう」
 無邪気な大輪の笑顔を咲かせ。
「ロセンサルさん」
 忌まわしき、ジュダの名前を付け加えた。
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