ポドールイの人形師

4−4、幌馬車

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 ロセンサルは二頭立ての幌馬車で、御者役を務めていた。向かうはポドールイだ。皇帝ミカエルの側近と呼べるのは、自分とリリアンの二人だけだったため、密使的な遣いの仕事を頼まれることはままあった。だがそんなときは、単身騎馬を疾駆させたものだ。ただでさえ途中のシャイヨーでは反乱が起こっており、ポドールイに行くには迂回せねばならないのだ。馬車を転がし緩やかに揺られるに身を任せるのんびりした旅は、ロセンサルにとっても初めてのことだった。
「くしゅん」
 御者席の隣りに座った女の子がくしゃみをした。毛布で体を包んでいるが、それでもやはり冷えるのだろう。山を上り、辺りの景色は次第、雪の白さに明るくなる。もうすぐポドールイの邦に入るだろう。
「馬車に入ったほうがいいですよ。もう周りは雪で真っ白です。風に当たると、風邪をひきます」
 目の見えないラフィセは、道中周りの様子を教えてくれるようロセンサルにせがんでいた。ロセンサルの言葉を聞いたラフィセは被った毛布の合わせを締めて、冷たい空気を大きく吸い込む。
「とても澄んだ空気。これが雪の匂いなんですね。木の香もします、ここはどんなところですか」
 好奇心旺盛にラフィセは少し身を乗り出した。危なっかしい。遠くを見つめるラフィセの瞳が、きらきら輝いて見えた。その様子を目の端で見て、ロセンサルはラフィセに気付かれない程度に苦笑する。
「落ちないように、ちゃんと座っててくださいね。ここは森林地帯です。陽はあまり差し込みませんが、それでも雪が白いのでとても明るい。ポドールイまで来ると、木の葉は皆、針のように尖っています。あ、リスがいますよ。尻尾が大きい」
 ラフィセの隣りのロセンサルは、言われるままに目に映るものを言葉に換える。子供と言えど、ロセンサルは女が苦手なはずだった。話しながらいつになく饒舌な自分に気付き、そんな自身に思わず苦笑がこみあげた。

「ロセンサルさんは、これからお迎えにあがるシシルさまにお会いしたことがあるんですよね。シシルさまって、一体どんな方でしたか」
 景色が単調になってきたこともあり、見るものを口にするのをやめていたロセンサルに、前触れもなくラフィセが訊ねてきた。言葉の調子に今までになかった刺を含むこと、またシシルにつけられた敬称を不審に思う。シシルには、三年前に会ったきりだった。ロセンサルは、これから迎えにあがるシシルの身の上を知らない。考えてみると、隣りに座る女の子に関しても、突然ミカエルに預けられただけでその家姓すらも聞いていない。ただ貴族だろう、という見当をつけているくらいだ。
「私の会った彼女はまだ幼く、しかし美しく、なにより誇り高い娘でした。その点で、尊敬に値する人のように思います」
「ロセンサルさんは、ひどい扱いを受けたと聞いてます」
 シシルについて訊ねてきたときの、言葉の刺の理由に思い至った。三年前、シシル嬢にはずいぶん邪険にされたものだった。ミカエルが告げ口したのだろう。優しいラフィセは、ロセンサルの代わりに憤ってくれているらしい。
「陛下にお聞きなさったのですか? 彼女は確かに、私たちジュダ人を蔑んでいたようです。しかしなんというか……それも彼女の誇り高さゆえのように思います。あまり、憎む気持ちは起こりません」
 ジュダ人としての誇り。それを守るため、ロセンサルはいくら不遇を受けてもジュダ語読みの名を変えようとは思わない。シシルの誇りに、ロアンヌ人の聖典に悪魔の民と記されたジュダを蔑むことが含まれている。それが正しいこととは思わないが、それを責める気にもならなかった。
「ラフィセのような子のほうが、珍しいんですよ」
 不満げに表情を硬くしたラフィセに、ロセンサルは笑いかけるように付け足した。ロアンヌ人で、ジュダの自分にこれほどまでに自然に接する人間のほうが特異なのだ。例えば、皇帝ミカエルと……。続けて大嫌いな男の顔が浮かんできたので、ロセンサルは慌ててその憎たらしい顔を打ち消した。

「村が見えてきました。遠くの丘のてっぺんに、人形館も小さく見えます」
 森を抜け、いよいよ目的地に近づいて、ロセンサルも口数が増えてきたところだった。 ロセンサルは手綱をひいて、馬脚を減速させる。道を塞ぐよう、子供たちが群れていた。地元の子たちであろうか、十数人、各々武器を手に持っている。不穏な空気だった。
「着いたのですか?」
 目の見えない、ラフィセが訊ねた。
「いいえ、動かないで、少し待っていてくださいね。すぐ済みますから」
 ロセンサル一人なら、強行したところであろう。ラフィセを馬車の中に入れておくのだった。今無理をして走り抜けようとすれば、隣りのラフィセを落としてしまう危険があった。
 仕方がない。少年たちを前に、ロセンサルは手綱をひいて馬車を進めるのを諦めた。
「俺たちはポドールイ村自警団だ。検問させてもらう。お前たち、何用でポドールイに立ち入る」
 十代の半ばだろうか。まだ声には幼さが残っていた。リーダー格らしい少年が馬車の前に進み出る。見据える大きな紫紺の瞳に驚いた。かわいい顔の造作から跳ねる亜麻色のくせっ毛まで、初めて会ったとは思えない。
「あ、ああ。密使ゆえ、言えない。人形館に用がある」
「お偉いさんか。誰の狗だ」
 御者席にいるロセンサルに剣を差し向け、少年は厳しい口調で訊ねてきた。知った色の大きな瞳に、ロセンサルに向けての強い敵意が篭っている。
「私たちは皇帝陛下の密命を受けてやってきた。どいてくれ」
 さあ少年たちはどう出るか。ポドールイは不安定な邦だ。先帝の代までは親王色の強い地域だったが、先のラウランとの戦いで、この地に大きな被害を与えてしまった。皇帝の名前を出すことで、子供たちが引いてくれると良いのだが。ラフィセのいる手前、余計な争いは避けたかった。
「なら敵だ。ポドールイは皇帝の所業を許さない。戦うことを決めている」
 ロセンサルの当ては外れた。なんということだろう。すでにポドールイも叛いていた。見上げる少年の紫紺の眼差が、なおいっそう険しく光る。
「ジュダ人、お前だけ降りろ。女子供に手は出さん」
「良い心がけだ」
 少年の生意気な言に応えて、命ぜられるままにロセンサルは御者台から飛び降りた。ラフィセを見逃してくれるのはありがたい。だがそれにしたって、頭が痛い。ロセンサルを取り囲むのが、すべて子供ときている。
「私も子供に怪我をさせるのは本意ではない。見逃してあげるから、ここは退いてはくれないか」
 両手を上げて戦意のないことを示し、ロセンサルは薄く笑みを浮かべてそう言った。甲斐なく、紫紺の瞳の少年が続けて発した、かかれ、の号令に従って、子供たちが一斉に襲いかかってきた。
 最初に襲い掛かってきた、鍬やら鎌やらを二、三躱す。剣は抜かず、拳や蹴りをそれぞれ見舞った。多少の手加減は加えたが、それでも少年たちは身一つ宙へと吹き飛ばされる。ロセンサルが後続の子供たちを一つ強く睨みつけると、怖気付いたように彼らの動きが一斉に止まった。
「おい、ジュダ人、こっちを見ろ。子供の命がどうなってもいいのか!」
 振り向くと、中では年嵩に見える子供がいつの間にか馬車の御者台に取り付いて、ラフィセに刃物を当てていた。
「ガストン、やめろ!」
 背後から、リーダー格の少年の怒声が響く。約束が違う。怒りのままに、ロセンサルはガストンと呼ばれたラフィセに鎌を突きつける少年を睨めつける。見竦められたガストンは、一瞬不自然に目を見開いた。やがて泡を吹いて御者台から転げ落ちる。
「毒か」
 背中より、唐突な少年の叫び声が聞こえた。

 馬車が止まった。 賊に襲われたらしい。ずっと隣りにいたロセンサルが降りてしまい、心許ない。ロセンサルは強い。いっぱいの悪口を織り交ぜて、兄のリリアンが、 ロセンサルがロアンヌで一番強いと言っていた。
 ラフィセの感じるロセンサルは純粋で、優しい人だ。しかしその上で、隣りにいた大きな人が、とてつもなく強いというのもわかるのだった。父や兄もとても強いが、それはまるで底の見えない水面のような、もっと似合った表現を使うならわだかまる深い闇のような、得ようと手を差し入れても空を掻いて掴めない、得体の知れない力だった。対してロセンサルのそれは、隣りにあるだけで安心する、まっすぐで揺るぎない強さだった。形あってもどうせ見えぬものだから、ラフィセはやはりヴィルトールの力を求める。だが光の届かぬ瞳にも眩しいほどのロセンサルの強さに、ラフィセは焦がれるような憧れを覚えるのだった。
 早く賊を蹴散らして、隣りに戻ってきて欲しい。そう思って待っていたら、ロセンサルではない者がラフィセの元に近づいた。賊。誰かがその名をガストンと呼んだ。ラフィセを人質にしようとしている。肩を掴まれ飛びかう音から状況を理解し、やがて自分がロセンサルの邪魔になっていることに気がついた。
 首元に冷たさを感じつつ、毛布の中で毒の小瓶に針を沈める。手早く毒を含んだ針を抜くと、毛布を貫きガストンなる賊に突き刺した。成功らしい。空気が軽くなり、続いて人が雪に落ちる、鈍い音が傍らで響いた。
「毒か」
 遠くからリーダー格らしい賊の叫び声が聞こえた。目敏い。まさかすぐに気付かれるとは思わなかった。まだまだ手際が悪いのかもしれない。
「ヴィルトールか!」
 続けざまに。まさか家名まで当てられるとは思わなかった。ロセンサルには隠していただけに、少し気まずい思いがした。

 賊の少年たちを、ロセンサルは追い払って御者席に戻ってきた。ラフィセを襲った少年の倒れざまに、ほとんどはロセンサルが手を出すまでもなく逃げ散った。ただラフィセによく似た瞳の少年だけが、何度殴り倒しても起き上がり向かってきて、少し時間を食ってしまった。少年を昔の自分に重ねながら、ロセンサルは少年を気絶するまで殴りつけた。
「ロセンサルさん、みんな殺してしまったのですか?」
「死んだのはあなたを襲った一人だけです。相手が子供でしたので、できる限りの手加減はしました」
 馬車を再び走らせる。答えた言葉がよそよそしくなるのが、自分で分かった。ただ愛らしく見えた幼い少女が、今は違って見える。問うラフィセの口調に揺らぎがないのは、その紫紺の瞳が、泡を吹いて死んだ少年の姿を映すことがないからだろうか。
「わたしはヴィルトールの娘です。毒も、使います。ロセンサルさんはわたしを、軽蔑しますか」
 やはり。人の死に際し感情を乱さぬのは、リリアンの特性だ。顔の造作は違ったが、知らねば思わず心を許してしまう人好きのする空気も、奔放な価値観も、思えばリリアンによく似ていた。
「……いいえ」
 固い口調で、ロセンサルはそれだけ零した。
「そんな言い方しないでください。兄さまには、なんでも文句を言うんでしょう」
 押し殺した声に、ロセンサルは顔を向ける。前を見据える紫紺の瞳に、別段表情は窺えない。だが抑揚のないその声は、怒っているようにも聞こえた。
「馬鹿。とんま。乱暴者。でくのぼう。無神経。トンチンカン」
 延々悪口を並べられて、ロセンサルは考えた。わけがわからず黙っていると、紫紺の瞳に涙が溢れてくるので慌ててしまう。
「無視しないでください。何も聞こえないと、怖いんです」
 言われて、しかし言葉も浮かばず、とりあえず唸りながら少女の頭に手を置いた。前を向き、なにを求められているのか考える。
「……ラフィセは、私と喧嘩がしたいのか?」
 掌の下、頭がコクッと頷いた。
「それならそれなりの対応をしてやるが、なんにせよだ。お前の兄貴を参考にするのだけは、よしたほうがいいぞ」
 二、三度、軽く頭を小突いてやる。
「うー」
 ラフィセは変な声を漏らした。嫌がっているのか。照れているようにも聞こえる。
 いずれにしろ、顔を俯けて表情を隠すラフィセは、リリアンの真似事をしようとしてもなりきれぬ、ロセンサルの知るヴィルトールとは少し違うもののように感じるのだった。
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