ポドールイの人形師

4−5、追跡

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 馬車が止まった。賊に襲われたらしい。ずっと隣りにいたロセンサルが降りてしまい、心許ない。ロセンサルは強い。いっぱいの悪口を織り交ぜて、兄のリリアンが、 ロセンサルがロアンヌで一番強いと言っていた。
 ラフィセの感じるロセンサルは純粋で、優しい人だ。しかしその上で、隣りにいた大きな人が、とてつもなく強いというのもわかるのだった。父や兄もとても強いが、それはまるで底の見えない水面のような、もっと似合った表現を使うならわだかまる深い闇のような、得ようと手を差し入れても空を掻いて掴めない、得体の知れない力だ。対してロセンサルのそれは、隣りにあるだけで安心する、まっすぐで揺るぎない強さだった。形あってもどうせ見えぬものだから、ラフィセはやはりヴィルトールの力を求める。だが光の届かぬ瞳にも眩しいほどのロセンサルの強さに、ラフィセは焦がれるような憧れを覚えるのだった。
 早く賊を蹴散らして、隣りに戻ってきて欲しい。そう思って待っていたら、ロセンサルではない者がラフィセの元に近づいた。賊。誰かがその名をガストンと呼んだ。ラフィセを人質にしようとしている。肩を掴まれ飛びかう音から状況を理解し、やがて自分がロセンサルの邪魔になっていることに気がついた。
 首元に冷たさを感じつつ、毛布の中で毒の小瓶に針を沈める。手早く毒を含んだ針を抜くと、毛布を貫きガストンなる賊に突き刺した。成功らしい。空気が軽くなり、続いて人が雪に落ちる、鈍い音が傍らで響いた。
「毒か」
 遠くからリーダー格らしい賊の叫び声が聞こえた。目敏い。まさかすぐに気付かれるとは思わなかった。まだまだ手際が悪いのかもしれない。
「ヴィルトールか!」
 続けざまに。まさか家名まで当てられるとは思わなかった。ロセンサルには隠していただけに、少し気まずい思いがした。

 賊の少年たちを、ロセンサルは追い払って御者席に戻ってきた。ラフィセを襲った少年の倒れざまに、ほとんどはロセンサルが手を出すまでもなく逃げ散った。ただラフィセによく似た瞳の少年だけが、何度殴り倒しても起き上がり向かってきて、少し時間を食ってしまった。少年を昔の自分に重ねながら、ロセンサルは少年を気絶するまで殴りつけた。
「ロセンサルさん、みんな殺してしまったのですか?」
「死んだのはあなたを襲った一人だけです。相手が子供でしたので、できる限りの手加減はしました」
 馬車を再び走らせる。答えた言葉がよそよそしくなるのが、自分で分かった。ただ愛らしく見えた幼い少女が、今は違って見える。問うラフィセの口調に揺らぎがないのは、その紫紺の瞳が、泡を吹いて死んだ少年の姿を映すことがないからだろうか。
「わたしはヴィルトールの娘です。毒も、使います。ロセンサルさんはわたしを、軽蔑しますか」
 やはり。人の死に際し感情を乱さぬのは、リリアンの特性だ。顔の造作は違ったが、知らねば思わず心を許してしまう人好きのする空気も、奔放な価値観も、思えばリリアンによく似ていた。
「……いいえ」
 固い口調で、ロセンサルはそれだけ零した。
「そんな言い方しないでください。兄さまには、なんでも文句を言うんでしょう」
 押し殺した声に、ロセンサルは顔を向ける。前を見据える紫紺の瞳に、別段表情は窺えない。だが抑揚のないその声は、怒っているようにも聞こえた。
「馬鹿。とんま。乱暴者。でくのぼう。無神経。トンチンカン」
 延々悪口を並べられて、ロセンサルは考えた。わけがわからず黙っていると、紫紺の瞳に涙が溢れてくるので慌ててしまう。
「無視しないでください。何も聞こえないと、怖いんです」
 言われて、しかし言葉も浮かばず、とりあえず唸りながら少女の頭に手を置いた。前を向き、なにを求められているのか考える。
「……ラフィセは、私と喧嘩がしたいのか?」
 掌の下、頭がコクッと頷いた。
「それならそれなりの対応をしてやるが、なんにせよだ。お前の兄貴を参考にするのだけは、よしたほうがいいぞ」
 二、三度、軽く頭を小突いてやる。
「うー」
 ラフィセは変な声を漏らした。嫌がっているのか。照れているようにも聞こえる。
 いずれにしろ、顔を俯けて表情を隠すラフィセは、リリアンの真似事をしようとしてもなりきれぬ、ロセンサルの知るヴィルトールとは少し違うもののように感じるのだった。

 子供たちを追い払い、馬車はポドールイの村に差し掛かった。村は閑散としていた。ラフィセが耳を澄ませても、街道と同じ風の音しか聞こえない。人の気配がまるでない。ロセンサルに訊いてみると、やはり人は誰もいないようだった。しかし田畑が荒れているわけでもなく、災害があった様子はないらしい。つい最近まで人の住んでいたということになる。
「私たちのせいで、戦禍に見舞われたのです。本当に、酷いことをしたものです」
 ロセンサルが沈痛な声でそう漏らした。だが聞く限り、戦争で村人たちが逃げていったにしては不自然だった。戦争は三年も昔の話だ。村には生活の形跡が見られ、復興の兆しもあるという。叛乱を起こすと、賊の首領格だった少年が言っていた。ラフィセは、村人たちが一斉に何かしらの目的を持って移動したような印象を持った。
 村を抜け丘を登ると、馬車は人形館に到着した。ロセンサルが必死にこじ開けた大きな扉を抜けると、ラフィセはまるで違う場所に立っているような感覚に陥った。黴臭く、湿っている。外とは時の流れさえも断絶しているかのように、ねっとりと纏わりつくような重い空気がわだかまっていた。そしてラフィセが生まれてこの方感じたことのない、不思議な『力』のようなものが人形館の空間を支配していた。
 階段があるのか。上方に、人の気配が一つラフィセたちを覗っている。気配に対して、ロセンサルが声を発した。
「ドロティア侯様とお見受けします。皇帝陛下に密命により、シシル嬢をお迎えに上がりました」
 開かぬ扉を、ロセンサルは力ずくで破って人形館に侵入した。そして館の中は、この不思議な空気に包まれている。選定侯ドロティア。ラフィセも聞いたことがある。選定侯位を持つ、赤衣の魔女。人形館になぜそんな者がいるのだろう。魔女が家名を持たぬから、ロセンサルは名前にそのまま爵位を付けて呼んだようだ。その様子からして、ロセンサルにとって、彼女の存在は驚くべきことではないらしい。この満たされた、得体の知れない『力』は、彼女の魔法の力なのであろうか。
「ジューヌ伯爵様と、シシル嬢はご不在でしょうか」
「ご不在よ」
 魔女の声を聞いた。力ある者の声だった。自信に溢れ、ふざけた回答にも異することを許さない。言葉を継げず、ロセンサルが黙ってしまうのがわかった。さあ、この時のために自分はつけられたのだ。ラフィセは一つ息を吸いこみ、ロセンサルの前に進み出た。
「ドロティアさま、まさか伯爵さまをお匿いになっておられるわけではないでしょうね」
「ええ。間違いなくジューヌはいないわよ、おちびちゃん」
 揶揄の半分混じった、割と優しい調子で返してくれる。館中、人の気配は感じられない。断言はできないが、魔女の言葉は本当であろう。
「どこへ行かれたのか教えていただけますか?」
「教えていただけませんわ」
 七割方ふざけた面白がる調子で、教えられない、と魔女は答えた。その答えも予想済みだった。それにどこへ行ったかの見当はついている。ポドールイは叛いている。ポドールイ単独で叛乱など起こせまい。シャイヨーのラウランと合流するはずだ。
「いつ、出て行かれたのですか?」
「おちびちゃん、ちっちゃいのに敬語が上手ね」
 ついには全く真面目に答えてくれなくなった言を、先程と同じ、返答不可の意とラフィセは捉える。これは答がほしい問いであった。だが村の様子、また自警団と名乗った少年たちがまだ残っていたことから、おそらくそう時間は経っていないのではないかと判断する。農奴が整然と移動するには、それなりの指導者が必要だ。
「伯爵さまは、馬など持っておられましたか?」
「そうね。ロバなど借りておられましたわ」
 返答と一緒に、何か思い出し笑いをするように、魔女がくすくす笑う声が聞こえた。ロバ。機動力はない。ロセンサルの馬なら、十分追いつけるはずだ。
「ありがとうございました。失礼いたします」
 ペコリと、ラフィセは魔女に礼する。
「ロセンサルさん。まだ追いつきます。すぐに追いましょう」
 ロセンサルを引っ張って、人形館から出て行こうとする踵を返したラフィセの背中に、呼び止める魔女の声が響いた。
「待って。あなたたちをごまかすよう言われているのよ。私、喋りすぎちゃったのかしら、怒られちゃうわ」
「いいえ、もともと目星はついていましたので、ドロティアさまには確認させてもらっただけです」
 話についてこられていない様子のロセンサルを引っ張りながら、ラフィセは振り向かずに後ろに応えた。
「おちびちゃんたち、シシルちゃんを迎えに来たのよね?」
 不意の質問に、ラフィセは足を止め押し黙る。目的を確認するドロティアの意図が読めなかった。
「その沈黙は、肯定の意味と捉えるわ。緊張しなくて大丈夫、他意はないから」
 緩い調子で、ドロティアは言葉を紡いだ。本当に、何を考えているのかがわからない。
「ジューヌは街道じゃなくて、渓谷を渡っていったわ。まぁ、がんばってね、おちびちゃん」
 渓谷を。村民たちを率いるならば、街道を行くと思っていた。穿ってドロティアの気配を窺うが、嘘をつかれている気はしない。何かを企んでいる。魔女は味方なのだろうか。利害が一致していることまでは感じたが、彼女の望んでいることはわからなかった。
「ありがとうございます」
 訝しむ気持ちはしまい込み、ラフィセは魔女に振り返る。にっこりヴィルトールの笑顔を造ってみせ、ラフィセはもう一度お辞儀をした。
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